犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

無差別殺人に直面して問わざるを得ない問い

2008-07-27 19:00:00 | 実存・心理・宗教
7月22日に起きた京王八王子駅ビルの殺傷事件で、菅野昭一容疑者(33)の供述が少しずつ明らかになってきている。「仕事関係で2、3日前からむしゃくしゃしていた」。「仕事や職場の人間関係について両親に相談しようとしたが、相手にされなかった」。「大きな事件を起こせば自分の名前がマスコミに出ると思った」。そして、菅野容疑者は事件前の約1週間、市内の旅館などを転々とし、前日は自宅に泊まっていた等の事実も明らかになった。しかしながら、例によって、事件の原因らしい原因は何も明らかになっていない。何が彼を暴走させたのか、その原因を突き止めて、このような事件が起きないようにしなければならない。このような事件直後のマスコミや世論の論調からすると、原因の究明には程遠い。

6月8日の秋葉原の無差別殺傷事件からは、すでに1ヶ月半が経っており、加藤智大被告(25)の取調べはかなり進んでいる。しかしながら、やはり例によって、事件の原因らしい原因は何も明らかになっていない。加藤被告は事件直後、「人生のうっぷんのようなものがたまり嫌になった」「誰でもいいからかまってほしかった」「自分の存在を気づかせるため、どうせなら大きな事件をと思った」などと述べているが、もはやこれ以上のものは出てこないようである。徐々に「後悔している」との供述も出ているようだが、取調べが進めば進むほど、動機が薄っぺらで、何も出てこない事実のほうが明らかになってしまった。何が彼を暴走させたのか、その原因を突き止めなければならないと力んでいたマスコミもお手上げである。

事件の原因を突き止めるためには、犯人の動機を解明しなければならない。根拠によって理論を裏付ける実証主義の近代社会は、このパラダイムで突き進んできた。そして、この役割は刑事裁判に委ねられた。しかし、これまでの数々の大事件を見てみても、刑事裁判はその役割を果たしていない。まずは責任能力の有無が問題となり、精神鑑定に多大な時間が割かれる。また、重箱の隅を突くような事実認定のために何回も公判が開かれる。数年後の判決の頃には、「そう言えばそんな事件もあったなあ」といった状況である。真相を明らかにしなければならない、二度とこのような事件が起きないように原因を突き止めなければならないといった当初の意気込みは、はるか遠く色あせている。そして、量刑が死刑となっても無期懲役となっても、過去の判例との整合性や量刑相場をめぐって専門的な論争が起きる。日本の刑事裁判は、ずっとこの繰り返しをしてきた。

このような方向性の問いによっては、絶対に明らかにならない問いがある。なぜ無差別による殺人によって、「他でもないその人」が殺されたのか、その理不尽さである。八王子の事件では、なぜ他の誰でもなく、中央大学4年生の斉木愛さん(22)が殺されたのか。幼いころからピアノや吹奏楽を習い、中学校の合唱部に属してクラスの練習をリードし、大学のゼミでは同級生15人のまとめ役として誰からも好かれていた斉木さんその人でなければならなかったのか。このように問われれば、どんなに菅野容疑者の動機を追及したところで、何の解答も出てこない。秋葉原の事件も同じである。なぜ殺された7人のうちの1人が、携帯電話から110番通報をしている最中の東京芸大4年の武藤舞さん(21)だったのか。電子オルガンの演奏が得意で、以前から音楽の道を目指して熱心に努力し、就職も決まっていた武藤さんでなければならなかったのか。このような問いには、加藤被告自身も答えることができない。

なぜ、他の誰でもなく、「その人」が殺されたのか。これは法律の問いではなく、哲学の問いである。従って、刑事裁判はこの問いを明らかにしようとする場ではない。しかしながら、いずれは死ぬべき人間が殺人事件に直面して、心底から湧き上がってくる問いの中心は、このような問いでしかあり得ない。哲学の問いは思考過程が大切であり、結果のほうは重要ではない。言い換えれば、問いを立てることそのものが大事であり、その問いの中に答えが含まれている。科学主義に慣れた現代人は、心理学や社会学によって、何でもわかりやすい因果関係で結び付けたがる。「社会格差が広がっているのが真の問題点である」、「ワーキングプアが増えているのが根本的な問題である」、「小泉構造改革の名の下に進められた変化がこういう犯罪を産み出している」といった説明は、無限に可能である。このような説明は、何十回と同じような事件が全国で起きても、そのたびに繰り返すことができる。しかしそこには、誰しも一度きりの人生を生きているという緊張感がない。

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