犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

「犯罪被害者の人権論」の難しさ

2008-07-26 21:07:07 | 国家・政治・刑罰
某市教育委員会のパンフレット「人権について考えよう」より

●障害者の人権
障害のある人は、障害があることを理由に、さまざまな差別・不利益を受けることがあります。障害のある人にやさしい社会は、あらゆる人にやさしい社会のはずです。障害のある人もない人も、お互いに支え合い、共に生活し、活動できる社会の実現をめざしましょう。

●患者の人権
エイズ患者・HIV感染者やハンセン病患者・元患者、難病患者など、病気についての知識の不足や誤解から、偏見や差別が生じ、患者や元患者だけでなく家族も精神的苦痛や不利益を受けてきました。こうした偏見や差別をなくすため、病気についての正しい知識の普及や患者等の立場に立って考えることが大切です。

●外国籍の人の人権
言語・宗教・習慣等への理解不足から外国籍の人たちへの偏見や差別意識により、さまざまな人権問題が生じています。一人一人が多様な文化や民族の違いを理解し、真の国際感覚を身につけることにより、多文化共生社会の実現をめざしましょう。

●その他の人権問題
「特定の職業に従事する人」「刑を終えて出所した人」への偏見や差別意識、「性同一障害」「身体的特徴」を理由とする偏見や差別意識があります。これらの問題にも理解を深め、解決に向けて取り組むことが大切です。

●犯罪被害者の人権
犯罪に遭遇した被害者やその家族は、それまでの平穏な生活を破壊され、生命・身体・財産に対する侵害のほか精神面でも日常生活に支障をきたしている例が少なくありません。犯罪被害者等の精神的立ち直りを支援するとともに、犯罪被害者等への理解を深めることが大切です。


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今はどこの自治体にもこのようなパンフレットが置いてあり、様々な人権問題が列挙されている。そして、最近は「犯罪被害者の人権」についても掲載されるようになった。しかし、伝統的に列挙されてきた人権と比べてみると、その論理構成が微妙に異なっている。犯罪被害者の人権以外の人権問題については、「差別や偏見を許してはならない」「人々の間の差別意識や偏見をなくすべきだ」という方向性が明確である。これに対して、犯罪被害者の人権のパラダイムは、このような方向性に基づくものではない。人権問題としては異質である。

伝統的な人権問題の守備範囲である差別意識や偏見は、人間の優越感と劣等感が交錯するところに生じている。「理解を深めましょう」という活動がなされればなされるほど、その揚げ足をとり、相手が嫌がっているところを想像して楽しむ愉快犯の発生も免れない。これが根強い差別と偏見の構造である。このような問題は本来政治的であり、人権論のパラダイムに馴染む。政治的な主義主張とは、間違っている現実を正そうとし、理想的な社会を作ろうとするものだからである。

これに対して、犯罪被害者の人権論は、このようなパラダイムに馴染まない。加害者やその家族には差別意識や偏見が向けられることが多いが、被害者やその家族に対してはそのようなことは稀である。興味本位のワイドショー的報道、プライバシー侵害なども、差別や偏見によるものではなく、従来の人権論で捉えるには異質である。「被害者への理解を深めましょう」「一人一人が意識改革をしましょう」と言われても、何だかピンと来ない。「被害者は生命・身体・財産に対する侵害のほか精神面でも日常生活に支障をきたしています」と言われても、どうにも心に響かない。

犯罪被害者の人権論とその他の伝統的な人権論の差異は、どちらの問題が大きいか、より重要かということでない。視角の取り方の問題である。差別や偏見は他者との比較の問題であり、平等や公平といったいわば水平的な問題である。これに対し、犯罪被害の苦しみは、いわば垂直的な問題である。そこで求められるものは、政治的な主義主張の実現ではなく、心の底から響く言葉である。朝日新聞夕刊コラム、「素粒子」の「死に神」問題における新聞社の回答がどうにも歯がゆいのも、恐らくこのあたりに原因がある。

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