犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

新司法試験問題漏洩疑惑

2007-11-11 18:27:45 | その他
司法制度改革の目玉、法科大学院と新司法試験制度がボロボロである。元慶応義塾大学法科大学院教授(元司法試験考査委員)の植村栄治氏による試験問題漏洩疑惑が、今日の朝日新聞の1面を飾ってしまった。こんなことでは裁判員制度もボロボロになるだろうと決め付けるわけにはいかないが、実際に決め付けられても仕方がない話である。

植村氏は行政法の権威であり、日本の代表的な法学者である。法律は言語による構成物であり、法学者はその一言一句の法解釈をするプロであるから、法学者は言葉を扱うプロであるはずである。ところが、この植村教授や周辺の法学者の言葉を聞くと、とても言葉を扱うプロとは思えない。

植村教授は「出題される内容について学生に事前にメールを流したが、『試験に出る』とは書かなかったので、漏洩にはあたらない」「授業の延長であり漏洩の意図はなかった」と述べている。これに対して、他の法学者からは、漏洩行為に該当するのは明らかであるとの批判が出ている。事実は事実として認めながら、それが「漏洩行為にあたるか」という点を争っているが、これは答えが出ない。

なぜ答えが出ないのか。それは、「漏洩」が抽象名詞であるという点に尽きる。バケツに穴が開いた、台所やトイレで水漏れが起きている、この物理的な現象ですら、「漏れる」という動詞は目に見えない。「漏れ」という抽象名詞も目に見えない。これが情報の漏れとなれば、メタファーは二重になる。「漏れ」は「漏れ」であって、「漏れ」以外のものではない、客観的に明確なものを確定しようとするならば、この形式の絶対性以外には何も残らない。

植村教授を「漏洩だ!」と非難している法学者も、もし自分の法科大学院の学生を思う余りに同じことをしてしまい、それが発覚したときには、「漏洩ではない!」と言い張るのがオチである。こんな教授と学生との授業が「ソクラテス・メソッド」と銘打たれ、鳴り物入りの双方向授業として喧伝されていては、ソクラテスもびっくりである。

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