p.175~ 「冬至」より
秋が過ぎ、いよいよ冬が近いと思われるのは日暮れが早くなっていくのを日々感じる頃からである。11月の半ば過ぎから日脚が短くなり、4時をすぎるとあたりが薄暗くなってくるのはもの寂しいものである。真夏なら5時でも日差しが強かったことなども思われ、季節の移りの早さの不思議のなかに暮らしているのだなあと思うのは毎年のことである。
12月の22、3日頃が冬至にあたり、北半球にある日本では、この日は昼が1年中でもっとも短く、従って夜はもっとも長い。冬至の歌や俳句には日差しを詠んだものがやはり多い。冬に傾いていく日差しを私たちがいかに大切に思い、それを実感しているかを如実に反映している。
病床の母を目守るは十二月 二十三日の日差しと我と (高野公彦 『雨月』)
携帯の時刻表示にたしかむる 十六時三十三分太陽没す (小池光 『時のめぐりに』)
日没の刹那の光はどぶ川の みづのおもてを照らしつくせり (同)
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地球温暖化の影響で日本も亜熱帯化し、以前のような季節感がなくなったと言われます。私自身はむしろ、商業主義によって季節感が人工的に先取りされ、時間の流れがおかしくなっていると感じます。そして、河野氏が「冬に傾いていく日差しを私たちがいかに大切に思い、それを実感しているか」と述べているような部分は、季節感を繊細に綴る日本語力の衰退と連動しているように思います。
以前、ある会合で「11月上旬からクリスマス商戦が始まるのは早すぎる」との感想を私がうっかり述べたところ、ビジネスの最前線にいる方々から、「クリスマス商戦は8月から準備が始まっているのだ」「出遅れたら取り返しがつかない」「業界の厳しさを知らない」との集中砲火を浴びました。これに懲りて、人前ではこのような本音を言わないことにしました。