犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

衆院選投票率 戦後最低の記録更新 (1)

2012-12-21 23:39:19 | 国家・政治・刑罰

 今回の選挙の直前のニュースで、東日本大震災の被災地からの声を聞きました。被災地は政治に見捨てられ、むしろ被災地のような場所を見捨てるのが政治というものであり、従ってもう政治家には頼らず、頼りたくもないという強い悲鳴が私の心に残りました。これは、「既存の政治に頼らない」「自分で行動を起こす」という従来の政治不信とは質の違う絶望であり、その深さは人間の垂直性と対応しているように思われました。選挙や政治というものは、抽象的な仕組みを論じるものであり、震災による物理的な破壊には無力であるということです。

 「復興には政治の力が必要である」というのは、理屈ではその通りであるだけに、震災後1年9ヶ月の間に政治家になし得た現実を前にすると、無力感が際立ちます。今日の目の前のことだけで精一杯であり、遠い未来や改革など考えられない状況で、選挙演説など聞かされても不快で脱力するばかりなのは当然だと思います。候補者には「自らの当選のため」という究極の目的がある以上、どんなに美辞麗句を並べて声を張り上げたところで、聞く者の空虚さと冷ややかな視線は倍増するのみです。悲鳴を堪えているところに絶叫を聞かされるのは地獄です。

 被災地における「選挙どころではない」という悲痛な叫びは、民主主義を当然のこととして信奉する学者・実務家において、慄然すべき重大な真実として受け止められなければならないと思います。「人々が歴史の中で血を流して権力者から勝ち取ってきた貴重な選挙権」というストーリーが説得力を持たない原因を、国民の政治意識の低さへの非難によって穴埋めしたところで、どうにもならないからです。未曽有の大災害の後の初めての選挙において、問題が山積する中で投票率が過去最低になったということは、これが「政治」というものの本来の性質なのだろうと思います。

(続きます。)