(1)から続きます。
第4にビジネスマンの関心が向かうのが、物流への影響の点だと思います。中央自動車道は東京・名古屋・関西圏を結ぶ物流ルートの大動脈であり、かつ年末でお歳暮などの物流が急増する時期にもあたっています。通行止めが長期に及べば、代替ルートの大規模な渋滞などの影響が避けられないことに加え、トンネルの開通時期が不明のままでは物流各社の運行計画の見直しにも混乱が生じるものと思います。事故は一瞬ですが、「経済のグローバル化・高度情報化・規制緩和による厳しい競争の時代」は長く続き、しかも日々激しく流動しているからです。
流れの速い現代社会では、他者に対する繊細な共感力を有していては身が持たず、取り残されるだろうと思います。「尊い命が失われた」という恐るべき現実を表わす言葉は、年々軽くなるどころか、稚拙な論理であるとして嘲笑の対象にもなっていると感じます。人の生死に対して何らの敬意もない言葉から身を守るためには、殻を作って閉じこもるしかなく、これは沈黙に通じます。また、事故現場のその瞬間に身を置き、言葉の消失点に絶句することは、やはり沈黙に通じます。かくして、語られる言葉は語られ、語られない言葉は語られないのだと思います。
この事故の報道では、「行方不明者は7人に上るとみられる」「県警はワゴン車から複数の焼死体を発見した」「乗用車内に人数不明の焼死体らしきものがあると発表」などといった表現が多く、生と死の境界が不明になる感じがします。今の今まで生きていた者が一瞬にして死者となるとき、主観と客観の境界も不明にならざるを得ないと思います。トンネルに入るまでは全員が他人の死体を数える側だったのが、ある者は間一髪で難を逃れて事故の惨状を語りながら全身を震わせ、別の者は「人数不明の焼死体らしきもの」と報道されるとき、科学的に語られる評論の虚しさを感じます。