犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

高野悦子著 『二十歳の原点 序章』 (2)

2012-12-01 23:55:05 | 読書感想文

1968年(昭和43年)9月15日
 私は非常に欲のない人間である。欲望をもたぬということが一番の欠点なのかもしれない。欲望がなければ行動が起こらないし、やりとげるという喜びも知らない。みにくい存在として、人間を憎み愛することも出来ない。とはいっても全く欲のないということではない。いろいろおさえつけられ、あきらめさせられているだけなのである。


1968年9月16日
 下宿から一歩ふみ出すと意識はかたばる。電車の中にもホームにもキャンパスにも、人、人、人だらけであるから。私は人がこわい。会う人会う人が、私の弱点を見すえているようなのである。私の心はこのごろではいつでも沈んでいる。往来を歩いていて、私と同じようなおどおどした臆病なまなざしをいくつか見つけて安心した。私のような人間が他にもおるんだと。生きることに強い欲望をもたず、かといって自殺する気もなく、波にゆられて小さな手をバチャバチャとさせて生きていく人間が。


1968年11月11日
 この世の中は、あの手この手を用いて買わせようとして、やっきになっている。けれども私が自分で働いて得た報酬は、デパートに一歩足を踏み入れたときに感じる、あの何か迎えられているといった幻想とはほど遠い。7時間働いて得る賃金。働いて得た報酬の重さよ。けれどその7時間の没個性的なこと。その空虚さよ。


1968年12月21日
 「これが事実だ!」といっていくつもの事実が出される。唾を吐き散らしながら、「我々に対する誹謗と中傷は許されない」と血気盛んにいう。しかしそれよりも、ほほのやせこけた疲労困ぱいした、静かな面もちで、怒りを抑えた声で言う方が何倍も真実味があるのです。私は否定することで、自己を確認していこうと思う。反乱でもいい。反抗ならなおいい。


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 『二十歳の原点』に書かれた言葉に向き合ってみると、ブログを利用して恩恵を受けている者として、情報化社会によって人間のある種の知性が退化してしまったことを思い知らされます。政治的な主義主張というものは、国家や社会が人間の集まりの別名であり、その個人の中の1人が「自分」である以上、無数の「自分」の中のこの「自分」の人生に関連づけて自問自答しなければ、単なる無責任な不満の発散に過ぎなくなると思います。

 世界で自分1人しか読めない日記と、世界中の全ての人間が読める可能性があるブログとでは、その文字の置かれた差は圧倒的です。そして、その差に対する驚きが失われた先には、言葉の価値の下落があるのみと思います。自分と社会の距離を測りながらの自問自答は、かなりの体力を消耗するものであり、人は色々な意味で余裕がないとこの種の言葉を捉えるのは難しいと思います。他方で、人は余裕が生じると堕落に陥りがちなため、やはりこの種の言葉を捉えるのは難しいと思います。私自身に対する自戒です。

高野悦子著 『二十歳の原点 序章』 (1)

2012-12-01 23:02:15 | 読書感想文

1967年(昭和42年)8月20日
 自治委員の選挙のときであったか、ベトナム人民支援かアメリカ帝国主義孤立化かで論争したことがある。あれなどまるで内容のない言葉だけの論議であった。お互い相手に負けまいとして意地をはっていた。まったくの党派主義であった。何もわからずに対立のうずの中に入りこみ、コチコチの党派主義になっていた。全く違った環境に入ってまごついたわけだが、あまりにも自主性、独立性なしにおし流された。何にか? 学生運動の潮流にである。


1967年10月7日
 差別とは基本的人権が侵されることである。基本的人権には教育をうける権利、生存権、勤労権がある。これはわかる。しかし私の生活の中からその内容を考えると、ちっとも具体的な内容を持っていない。今まで私は外にばかり声をはりあげていた。ある人はいう。「自由の最大の敵は自己自身である」。今まで「動くこと」を「創造すること」をしなかった私が、権利を主張するのは土台無理な話である。生きようとしないものには「権利」などない。


1967年11月18日
 「生」と「死」という2つの状態がある。死ぬことは「生きる」ことよりむずかしい。死ぬ、すなわち自らを殺す、自殺することだからだ。「生」に対して積極的な姿勢がなければ自殺は出来ない。私は自殺する勇気さえない。そして生きている。人は住まいと衣服があれば生きられる。私はただ時をすごすために何かをやっている。行動には一貫した目的がない。けれども何かをやっていなくては自殺しなくてはならないから何かをやる。


1968年4月23日
 話の中心でありたい。行動の中心でありたい。みんなよりも優れた存在でありたい。みんなからほめそやされたい。私は19歳!(私の精神は未発達のまま19歳になってしまった)。気が小さくて臆病ものの私は、ジンセイケイケンがタリナカッタのかしら。卑屈になって優越感を感じ、皮肉でもって相手を見下し、にせもののほほえみをなげかけ(偽善者め!)、世界の中心にいるんだという19歳のムジャキサをもち……


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 私自身、ブログを書いていて思うことですが、ブログというウェブサイトの発明によって最も変わったことは、「人が日記を書く」という行為の意味だと思います。日記を書く際に、他者に読まれる可能性を意識する否かは、その出てくるところの言葉の質の変化をもたらすからです。原稿用紙やノートに筆記用具で書くという行為から、ワープロにキーボードで入力するという行為の間には、さほど距離がないように思います。しかし、パソコンがネットを通じて他者に開かれる段階に至ると、そこにはかなりの距離が生じていると感じます。

 日記もブログも、人間が言葉を文字にして綴る以上、人の内面が書かれざるを得ないものです。しかしながら、単に内面を書いた文字は、話し言葉と変わらない喜怒哀楽にすぎず、もう一度内面を通過しなければ内省的な言葉にはならないのだと思います。他方で、ブログというウェブサイトにおいては、内省的であることは同時に内向的であり、「面白くない」「暗い」という評価が飛んできます。ブログやツイッターを知ってしまった日本人からは、20歳であって20歳でないような20歳の日記はまず出て来ないのだと思います。