犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

「衆院選・議論の外……被災地怒りと失望」より

2012-12-04 22:27:27 | 国家・政治・刑罰

河北新報 12月2日 KOLnet
「争点『復興』どこへ 衆院選・議論の外……被災地怒りと失望」より

 東日本大震災後、初めてとなる衆院選(4日公示、16日投開票)で、政治が優先的に取り組むべき「震災からの復興」が争点からかすんでいる。11月30日の党首討論会でも、被災地については議論が交わされずじまい。国政の主要な課題に隠れ、埋没した感すらある。「見捨てられた思い」「震災を忘れたのか」。被災地に怒りと失望、落胆が渦巻く。

 岩手県釜石市平田の平田第6仮設団地の自治会長を務める森谷勲さん(70)は「被災地の復興は置き去りにされているようだ」と政治不信を募らせる。民主党は「復興が最重点」、自民党は「まず、復興」、日本維新の会は「復興のための体制づくり」、公明党は「復興日本」とうたう。共産党や社民党は復興予算の「流用」阻止を掲げる。しかし、各党が意見を戦わせるのは専ら、エネルギー政策としての原発、環太平洋連携協定(TPP)、経済政策だ。

 宮城県東松島市商工会の橋本孝一会長(64)は「選挙が近づくにつれ、復興が話題に上らなくなった。被災地がないがしろにされている」と言う。資材やマンパワーの不足、雇用の場の創出、復興予算の無駄遣い――と課題は残されたままだ。橋本さんは「いずれも政治が解決すべき問題ではないのか」と訴える。自治体の首長からも注文が付く。奥山恵美子仙台市長は会見で、復興の議論が不足していると苦言を呈した。


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 「地震・津波被害」と「エネルギー政策としての原発問題」の関係は、「犯罪被害」と「刑罰」の関係に類似していると思います。地震と津波は天災であるのに対し、原発事故は人災です。そして、天災は運・不運で語られてしまう出来事であり、事後処理は政治的な課題でありながら、通常は世論を二分する対立が起こりません。被災地は必ず復興して立ち直り、人々の精神的な傷も必ず癒えるという動かぬゴールだけが存在するからです。そして、このゴールは観念的であり、無関係な人には忘れられやすいものだと思います。

 これに対し、原発の再稼動に関する賛成・反対の議論は、必然的に激しい戦いを生みます。有識者の興味や知性も人災のほうに集中するものと思います。これは、犯罪における死刑論議・冤罪の問題と同様の構造であり、その陰で生じてしまった犯罪被害が議論の外に置かれている状況とも同じです。すなわち、天災の被害者と同じく、犯罪被害者は必ず立ち直り、心の傷も癒えるべきだというゴールだけが存在するからです。そして、このゴールも観念的であり、世間からは忘れられやすいものだと思います。

 昨年の日本は、どこを見渡しても「絆」「がんばろう日本」「被災地に元気と勇気を与える」「1日も早い復興」ばかりでした。これらのフレーズは、どのような政治的な立場であっても正面から反対を表明できる筋合いのものではなく、しかも押し付けられることに対して別段不自由も感じないものだと思います。時の経過とともに関心が薄れ、自然と聞かれなくなることが最初から了解済みだからです。犯罪被害に対する、「思いやり」「理解」「支え合う」「分かち合う」といった無色透明な単語との名状し難い類似を感じます。