宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『伊勢物語』(Cf. 在原業平825-880)「第23段 筒井筒(ツツイヅツ)」(その2):「男」は中流貴族でもよいから経済力のある「高安の女」の家を頼るようになった!

2020-11-23 12:12:36 | Weblog
幼馴染で相思相愛、そして結婚した二人だったが、何年か経ち女の親がなくなり、暮らし向きがおぼつかなくなった。男は、この妻ととともに、貧しく哀れなさまでいてよいものかと思い、河内(カワチ)の国高安(タカヤス)の郡(コホリ)に行き通う女ができた。
《感想1》男は「もとの女」のほかに「高安の女」のもとに通う。男は上流貴族の出だ。しかし経済が不如意になっては致し方ない。男は中流貴族でも良いので経済力ある「高安の女」の家を頼るようになった。「高安の女」の家は受領(ズリョウ)層のカネのある中流貴族だ。
《感想1-2》上流貴族は多くが任地におもむかない遙任国司だが(Cf. 「男」の親は地方に赴任した)、これに対し中流貴族は国司になると任国に行って実務をとった。これが「受領」だ。中央政界に進出しえない中流貴族は受領となり,その徴税権によって富をたくわえた。(Cf. ブリタニカ国際大百科事典)

さて「もとの女」は男に対し憎む態度も見せず、黙って「高安の女」のもとに送り出すので、男は“女に他の男ができたのではないか”(「こと心ありて、かかるにやあらむ」)と疑った。
《感想2》妻訪婚で「一夫多妻」の時代だが、逆に女性のもとに複数の男が通うこともあった。だから「男」は自分の妻のもとに、“他の男が通ってくるのではないか”と疑った。

かくて男は河内の「高安の女」のもとに出かけたふりをして、庭の植え込みの中に隠れ妻(「もとの女」)の様子をうかがった。だが妻のもとに他の男が来る気配はない。妻は、念入りに化粧し、物思いにふけり(「うちながめて」)、歌を詠んだ。

「風吹けば沖つしら浪たつた山夜半(ヨハ)にや君がひとりこゆらむ」A wind blows. White waves are caused. You climbs up and down the mountain. It’s dark night. You are alone.(風が吹けば沖の白波が立つ、その竜田山の山中を夜中、あの方は一人越えていることでしょう。)

《感想3》竜田山(タツタヤマ)は、生駒山地の最南端、信貴山の南に連なる山々の総称。竜田川流域にあり紅葉が美しい。Cf. 在原業平「千早ぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとは」、能因法師「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」。
《感想3-2》「風吹けば沖つしら浪」は「たつ(立つ)」の序詞。「たつた山(竜田山)」に「立つ」をかける。
《感想3-3》妻(「もとの女」)の「男」への思慕は深い。「くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」と歌った女の気持ちは今も、何も変わらない。

女が歌を詠むのを聞いて、男は女を「かぎりなくかなし(愛し)」と思い、河内の「高安の女」のもとに行かなくなった。
《感想4》純愛!(Cf. この男と女に子供はいないようだ。しかし子供がいても同じだろう。)「女」が「いとよう化粧(ケサウ)じて」(念入りに化粧して)男を想う様子が、「かぎりなくかなし(愛し)」である。

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浮世博史『もう一つ上の日本史』百田氏の誤り:(67)①「世界に類を見ない」外食産業の繁栄と言うが無根拠だ!(68)②日本の農民は《農奴》にあたる!③農民は土地の「所有者」でなく「耕作者」だった!

2020-11-22 13:36:57 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年)「江戸時代」の章(213-327頁)

(67)百田氏の誤り①:「世界に類を見ない」外食産業の繁栄と百田氏は言うが、《世界の様々の国、様々の都市・町等についての様々の史料》を示していない!無根拠だ!《いい加減》だ!(245-249頁)
V  百田尚樹『日本国紀』は、「江戸文化で特筆すべきことの一つは、世界に類を見ない外食産業の繁栄である。」(百田195頁)と述べる。
《感想1》「世界に類を見ない」などとなぜ簡単に言えるのか?《世界の様々の国、様々の都市・町等についての様々の史料》を示していないのに「世界に類を見ない」と平気で言う。《無責任》だ。
V-2 また百田氏は「嵐の中を船で紀州から江戸までみかんを運んで大儲けした紀伊国屋文左衛門」(百田189頁)と述べるが、彼が運んで大儲けしたのは、《みかん》でなく《材木》だ。(浮世248頁)

(68)百田氏の誤り:②日本の農民は《農奴》にあたる!③農民は土地の「所有者」でなく「耕作者」だった!(249-253頁)
W 百田氏の誤り②:百田氏は、「日本にはヨーロッパや中国で見られたような《農奴》は存在せず、また世界でも非常に珍しいことだが古くから農民が土地を《所有》していた。諸外国では土地は封建領主のものであった」(百田199頁)と述べる。
W-2 《農奴》とは、「賦役」(領主のために働くこと)と「貢納」(領主に生産物を納める)を課され、「移動の自由」がない者のことだ。(浮世250頁)
W-2-2 日本の農民は、「賦役」(Ex. 江戸時代の助郷役)と「貢納」(Ex. 江戸時代の年貢)を課され、「移動の自由」はない(Ex. 江戸時代は移動には手形が必要)。したがって日本の農民は《農奴》にあたる。(浮世250頁)
W-3  百田氏の誤り③:百田氏は「古くから農民が土地を《所有》していた」(上述、百田199頁)と述べるがこれは誤り。「農民が土地所有者となるのは明治維新後、1873年の『地租改正』からだ。」(浮世251頁)
W-3-2 そもそも百田氏自身が「太閤検地」について「特に課税対象者を、土地の所有者ではなく、耕作者にした点は出色だ」(百田152頁)とほめている。つまり農民は土地の「耕作者」だった。(農民は土地の「所有者」でない!)

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『伊勢物語』(Cf. 在原業平825-880)「第23段 筒井筒(ツツイヅツ)」(その1):幼馴染の男と女、二人は互いを深く愛していた!男のプロポーズを女が承諾した!幼い頃からの恋の成就!

2020-11-21 23:15:36 | Weblog
昔、田舎暮らしの境遇の人達がいて、彼らの男の子と女の子が、井戸の側でよく遊んだ。しかし二人とも成長し恥ずかしがる年頃になり遊ばなくなった。だが男はこの女を妻にしたいと思っていた。また女もこの男を夫にしたいと思い、親が他の男と結婚させようとしても承知しなかった。やがてこの男のもとから歌が届いた。

「筒井つの井筒(ヰヅツ)にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹(イモ)見ざるまに」A well was round. I was as tall as the well-frame. Time has passed since then. Now, I want to marry you.(丸い井戸の井筒と較べるくらいだった私の背丈も、それよりずっと高くなってしまったようです。愛するあなたと会わずにいたうちに。)

《感想1》幼馴染の男と女。井筒の高さと比べたほど小さい頃から一緒に遊んだ。しかし思春期となり遊ばなくなった。しかし二人は互いを深く愛していた。1000年以上前も、思慕する心、恋心は今と変わらない。
《感想2》ともに成人する頃、男からの手紙(歌)が、女のもとに来た。男からのプロポーズだ。

女が返しの歌を贈る。

「くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」My hair was as short as you because I was young. Now, my hair becomes long and comes under my shoulder. I want to marry you. (昔あなたの髪とどちらが長いかと比べた私の振り分け髪も、肩を過ぎるほどに伸びました。あなた以外の誰のために、髪上げをしましょうか。)

《感想3》「子どもの振り分け髪の時代は過ぎました。あなたのためにだけ私は髪上げし(成人し)、あなたと結婚します」と女がプロポーズを承諾した。幼い頃からの恋の成就だ。

このように男と女は歌を詠みかわし続け、ついに二人の幼いころからの思いのとおり結婚した。
《感想4》ハッピーエンドだ。男にとって「恋女房」!女にとっての「愛する旦那」!

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児島洋「モナド論と他者問題」:閉じられたモナドに対して、他者の志向性は超越から内在への貫入として現出する!これが『まなざし』という現象だ!

2020-11-21 17:53:33 | Weblog
※新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学:哲学と精神医学からのアプローチ』北斗出版、1982年所収

モナドは、「存在論的な閉鎖性」を持つ、すなわち「自己完結的な閉鎖性」を持つと、児島氏は言う。(314頁)そして「この閉じられたモナドに対して、他者の志向性は・・・・このモナドの閉鎖性を突き破るとものとして、超越から内在への貫入として現出する。これが即ち、『まなざし』という現象である。」(320-321頁) 

《感想1》評者の考えでは、他我の超越から内在への「貫入」が、「まなざし」(視覚という出来事)ではありえない。他我の超越から内在への「貫入」は《物の出現》という出来事(触覚という出来事)においてのみ可能だ。
《感想2》《物の出現》とは《相互に他なる出来事の出現》《相互に他なる物の出現》だ。
《感想2-2》相互に他なる《身体と物》が(接触において=触覚的に)同時に成立するその場面で、《他なる物》が超越から内在への「貫入」を引き起こすとき、その《他なる物》が《他身体》となる。
《感想3》《相互に他なる物》の一方のみが、《感情・欲望・意図》(これらが《自発性》=《「自我」or「自」》と言われる)に応じるがゆえに、この一方の身体が《自身体》となる。

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新田義弘「自己性と他者性――視点のアポリアをめぐって」:フッサールは、等根源的な他者との差異性を含む共同経験を『相あらがう統一』とよび、これをモナドの交通の仕方とした!

2020-11-21 17:28:02 | Weblog
※新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学:哲学と精神医学からのアプローチ』北斗出版、1982年所収

(1)「意識一般」or「精神」!
「『意識一般』や『精神』などの概念においては、個別的主観相互の根源的区別性が・・・・止揚(※廃棄)されている。」(13頁)
(2)デカルト的物心二元論の枠組!
「視点は、《視像としての世界》のなかに自らを位置づけることを拒む」:「視点の脱世界化」・「世界喪失性」・「主観主義的観念論」の方向。(15-16頁)
「視像は、視点を余計なものとして排除し、自立化する」:「世界の脱視点化」・「世界への結合性」・「客観主義的実在論」の方向。(15-16頁)
(3)「現出論」のパースペクティヴ性と「目的論」の脱パースペクティヴ性!
フッサールは「志向された意味を充実する直観の働き」を「明証」と呼ぶ。(21頁)
「対象が現にそこに在る」という「対象の本源的意識」が「原明証」である。(21頁)
「対象の存在」と「意味」とが完全に一致している状態、言い換えれば、「対象が余すところなく規定しつくされて知に取り込まれている場合」の明証が「十全明証」である。(21頁)
認識は「パースペクティヴ的現出」から「究極目標」へ向けて無限に接近してゆく。(21頁)
「現出論」のパースペクティヴ性と「目的論」の脱パースペクティヴ性。(21頁)
(4)「客観的世界」!
「客観的世界」とは「誰にとっても(für jedermann)」妥当する対象世界だ。(22頁)
(5)「世界の地盤的所与」の仕方①「原秩序」②「現連合」!
「世界の地盤的所与」の仕方①「原秩序」Urordnungの機能:「時間的継起や空間的共在」という「原秩序」によって知覚野における感性的与件(※ヒュレー)を構造化する。(22頁)
「世界の地盤的所与」の仕方②「現連合」Urassoziationの機能:ヒュレー自身が相互に融化や対照化を引き起こし意味として自らを構造化、そして自我への触発を促す。(22頁)
(6)「相あらがう統一」!
「フッサールは、他者(等根源的な他者)との差異性をうちに含む共同経験を『相あらがう統一』Widerstreitseinheitとよび、これをモナドの交通の仕方とみている。」(26-27頁)

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浮世博史『もう一つ上の日本史』(66) 江戸時代、市井の人々が「暢気な優しさ」をそなえていたと百田氏は言う!だが評者の考えでは、百田氏は江戸時代の人間をバカにしている!

2020-11-21 12:18:57 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年)「江戸時代」の章(213-327頁)

(66)江戸時代、市井の人々が「暢気な優しさ」をそなえていたと百田氏は言う!(243-245頁)
U 「驚くのは、江戸時代の治安の良さだ。強盗や山賊はほとんどおらず・・・・市井の人々がいかに暢気な優しさをそなえていたかである。」(百田191-192頁)
《感想1》百田氏は、江戸時代を「天国」のように描く。だが百田氏自身が、自分と考えが違う者に示す敵意・悪意・攻撃性を見れば、人間とは敵意・悪意・攻撃性を持つのが一般的だとわかる。人間が「暢気な優しさ」のみに満ちていると考えるとしたら、それは江戸時代の人間をバカにしている!

U-2 浮世氏は「与力の付け届け三千両」と言う言葉を紹介する。例えば長屋の一人が奉行所にしょっ引かれれば、大家、隣近所が取り調べをうけ、「連座」も免れない。こんな面倒なことは避けねばならない。だから有力な寺社、大名・旗本も、町奉行所の与力や同心に、自分たちの身内や藩士が犯したor犯すであろう罪のもみ消しに「付け届け」を行っていた。当時、与力や同心は、茶屋や料亭で豪遊していた。時代劇に出てくるような貧乏な与力や同心はいない。
《感想2》封建社会は武士身分の傲慢・凶暴・暴力・経済的収奪が中心の社会であり、「公正さ」と何の関係もない。市井の人々は、一方で卑屈にへつらいつつ、また他方で虎の威を借り、狡猾に自分を守らなければ生きていけない。百田氏のいうような「暢気な優しさ」などでは生きていけない。(※百田氏は、江戸時代の人間をバカにしている。彼らはドストエフスキーが理想化した『白痴』ではない。)

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浮世博史『もう一つ上の日本史』:百田氏の誤り(64)綱吉を「完全なバカ殿」と言う根拠がない!(65) 荻原重秀の貨幣改鋳の目的は「出目」の稼ぎで、「管理通貨制度」の採用でない!

2020-11-20 11:31:32 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年)「江戸時代」の章(213-327頁)

(64)百田氏の誤り:綱吉を「完全なバカ殿」と言う根拠がない!(235-238頁)  
S  百田尚樹『日本国紀』は、「綱吉は・・・・完全なバカ殿である」(百田237頁)と述べる。とりわけ「生類憐みの令」が「失政」・「迷惑」とされる。しかし①「殺生」を禁ずるお触れは、これまで歴史上、度々出されていた。②「殺生」を禁ずるお触れが表面化して「揶揄された」のは、元禄文化の発達と町人の成長が背景にあったからだ。③前政権(綱吉)を批判する新井白石の綱吉嫌いが、無検討でそのまま引き継がれている。④綱吉の母・桂昌院が僧・隆光から「綱吉公は戌年生まれだからイヌを大切にすれば後継者が生まれます」という話は『三王外記』に載っている。しかし『三王外記』はゴシップ集であり、そこに記された記事を無批判に信じてはいけない。この話は他の史料に一切なく、隆光自身の記録にも書かれていない。⑤綱吉はイヌ好きでない。Ex. 綱吉は芸術家で絵も多く書いたが、イヌの絵は一枚もない。⑥長女の鶴姫の「鶴」の字を名前に使うことを綱吉は禁止する(1688年)が、これは「避諱」(ヒキ)(高貴の人の名前の一字を使わない)という考え方に基づくもので、綱吉が「バカ殿」だからでない。(Ex. 仙台藩では正宗の「宗」が「避諱」とされた。)

(65)百田氏の誤り:荻原重秀の貨幣改鋳の目的は「出目」の稼ぎであって、「管理通貨制度」の採用でない!(238-240 頁)
T 百田氏は荻原重秀(オギワラシゲヒデ)の貨幣改鋳(「元禄の改鋳」)について「日本が世界に先駆けて近代的な管理通貨制度(※金本位制度でない)を採用した」(百田180頁)と述べる。そして重秀が「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えると言えども、まさに行うべし」と言ったとする。
T-2 だがこの荻原重秀の言葉は、ゴシップ集『三王外記』の重秀の言葉を「管理通貨制度」の主張と無理に解釈したものに過ぎない。
T-2-2 『三王外記』は、重秀が愚かだと揶揄し、言わせる。「貨幣の質を下げた下げた、とうるさいんじゃ!貨幣なんて瓦礫でもええわ!」(浮世239-240頁)
T-3 荻原重秀の目的は、「出目」(デメ)(質を下げてできた金の差益)稼ぎが目的で、「管理通貨制度」の採用を目的にしたものでない。

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浮世博史『もう一つ上の日本史』:百田氏の誤り(62)家康は「御三家」を知らない!(63) 江戸の身分制度は「きわめてフレキシブル」ではない!

2020-11-19 12:29:53 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年)「江戸時代」の章(213-327頁)

(62)百田氏の誤り:家康は「御三家」を知らない!(227-230頁)
Q 百田尚樹『日本国紀』は、「(家康が)御三家(尾張徳川家、水戸徳川家、紀伊徳川家)・・・・をこしらえた。家康の脳裏に、三代で絶えた鎌倉の源氏将軍のことがあったのかどうかはわからないが、徳川家の将来までも見据えた用意周到なシステムであった」(百田169-170頁)と述べる。
Q-2 しかし水戸家が徳川家になったのは家康(1543-1616)の死後、家光の時、1536年だ。「家康は御三家を知らない。」(浮世229頁)

(63)百田氏の誤り:江戸の身分制度は「きわめてフレキシブル」ではない!(233-235頁)
R 江戸時代の身分差は「士」「農」「工」「商」でなく、「士」と「農工商」の身分差だった。これは百田氏の指摘通り。だが「江戸の身分制度はきわめてフレキシブルであり、部分的には、ある意味、近代的な感覚を備えたものだった」(百田175頁)と述べるのは誤りだ。
R-2  身分制度は「きわめてフレキシブル」の例として 百田氏は(ア)「身分の売買」や「苗字・帯刀の買収」を上げるが、これらは「江戸時代後期・幕末の一部」(浮世234頁)にすぎない。また(イ)「斬り捨て御免」について「実際には町人を斬り殺して処罰を免れる例は少なく・・・・」(百田175頁)とあるが、これは江戸(町奉行所)の記録であり、地方の大名領では別だった。「『江戸』などの大都市の生活・出来事だけで日本全体を網羅できるわけではない」。(浮世235頁)

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浮世博史『もう一つ上の日本史』:百田氏の誤り(60)家光は参勤交代の「従者ノ員数・・・・ヲ減少スベシ」と述べる!(61)「鎖国」の理由は「地理的条件」でなく「国際情勢」だ!

2020-11-18 12:59:39 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国記紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年)「江戸時代」の章(213-327頁)

(60)百田氏の誤り:家光は武家諸法度で「従者ノ員数近来甚ダ多シ・・・・之ヲ減少スベシ」と述べる!(222-224頁)
O 百田尚樹『日本国紀』は、参勤交代は「諸藩が力を蓄えられないように(幕府に歯向かうことのないように)するためのものだった」(百田169頁)とあるが、これは誤りだ。大名が行列に費用をかけたのは、江戸に入る時に、「藩の『見栄』と『威厳』の保持のため」(浮世223頁)で、幕府が圧力をかけたためでない。家光は武家諸法度で「従者ノ員数近来甚ダ多シ・・・・之ヲ減少スベシ」と述べ、費用を減らすべきだと指示する。

(61)百田氏の誤り:「鎖国」の理由は「地理的条件」でなく「国際情勢」だ!(224-226頁)
P 百田氏は「鎖国」(「一国平和主義」)が「二百年以上も続いたのは地理的条件に恵まれていたからに他ならない」(百田171頁)と述べるが、「地理的条件」は江戸時代末の「開国」の時も同じだから、「鎖国」の理由にならない。
P-2 浮世氏は、「世界情勢」が鎖国をもたらしたと述べる。①「スペイン・ポルトガルによる大航海時代」が終わり、オランダ・イギリスが日本との貿易からスペイン・ポルトガルを排除した。②その後、オランダが日本・東南アジア貿易をおさえ、イギリスはインド経営に専念するようになった。オランダは日本との「独占貿易」を実現。③徳川幕府は国際貿易でオランダの覇権に挑戦しなかった故に、戦争に至らず「徳川の平和」が可能になった。

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浮世博史『もう一つ上の日本史』百田氏の誤り:(58)江戸時代は「治安の良かった時代」と断定できない!(59) 「幕藩体制」という制度は日本独特でなく、世界でよくみられる!

2020-11-15 10:08:51 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年)「江戸時代」の章(213-327頁)

(58)百田氏の誤り:江戸時代は「治安の良かった時代」と断定できない!(216-219頁)
M 百田尚樹『日本国紀』は、江戸時代は「治安の良かった時代」(百田164頁)と言う。しかしスリの横行(Ex. 「あらかせぎ」)、通り魔、大量殺人(Ex. 槍で通行人を突きまくり6人死亡)、強盗、放火などは珍しくなかった。
M-2 ただし戦争はなく「パックス・トクガワーナ」(徳川の平和)として、当時の世界でも有名だった。

(59)百田氏の誤り:「幕藩体制」と呼ばれる制度は、日本独特でなく世界でよくみられる統治方法だ!(219-222頁)
N 百田氏は「この『幕藩体制』と呼ばれる制度は、日本独特の封建制である」(百田165頁)と述べる。だが、「幕藩体制」は《重要地を直轄(Cf. 幕領)とし、その他を領地として諸侯(Cf. 大名)に与える体制》であり、これは、世界でよくみられる統治体制だ。Ex. インドのグプタ朝(320-550頃)、Ex. 前漢の郡国制(郡県制と封建制の二重統治体制、6代景帝まで)。

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