宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

浮世博史『もう一つ上の日本史』:百田氏の誤り(70) ①「正徳小判」は家宣死後!(71)②庶民は鎌倉時代、すでに政治に口を出した!③「目安箱」は戦国時代にあった!④ヨーロッパ諸都市&イギリス議会!

2020-11-24 22:11:33 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年)「江戸時代」の章(213-327頁)

(70)百田氏の誤り:①「正徳小判」の発行は1714年で、家宣の死後だ!(259-261頁)
A  百田尚樹『日本国紀』は、「[六代]家宣(任1709-1712)は・・・・元禄時代に改鋳した貨幣の金銀含有量を元に戻した」(百田201頁)と述べるが、これは誤りだ。金銀含有量を「慶長小判」に戻した「正徳小判」の発行は1714年で、家宣の死後だ。
A-2 徳川家宣・家継の時代、新井白石が侍講(ジコウ)(政治顧問)(任1709-1716)に登用されており、「正徳の治」と呼ばれる。
A-3 白石の「正徳の治」の時代(1709-1716)も、前半は荻原重秀が経済政策を担当し、1710年発行の「宝永小判」はさらに金の量が減らされた。荻原重秀が勘定奉行を解任されたのは1712年だ。

(71)百田氏の誤り:②「目安箱」以前に「庶民は政治に口を出すことはできなかった」と言うのは誤り!③「目安箱」に相当するものは戦国時代からあった!④日本は、「庶民」の政治参加・政治的発言に関し、ヨーロッパよりはるかに後発だ!(261-263頁)
B 百田氏は吉宗の「享保の改革」の「目安箱」について、「大和朝廷成立以来、庶民は政治に口を出すことはできなかった。(直訴は極刑)。その伝統を打ち破って、広く庶民の訴えを聞くというシステムは、近代の先進国でもおそらく初めてのことではないだろうか」(百田203頁)と述べる。

B-2 百田氏の誤り②:上記の内、「大和朝廷成立以来、庶民は政治に口を出すことはできなかった。(直訴は極刑)」と百田氏が言うのは誤りだ。例えば、(ア)鎌倉時代、1275年の紀伊国「阿氐河荘(アテガワノショウ)の荘民の訴状」は、地頭の横暴を訴えた農民のカタガナ書きの訴状だが、農民たちは極刑に処せられていない。(イ)室町時代の年貢減免を訴える愁訴もある。また(ウ)1441年「嘉吉の徳政一揆」では、幕府は要求を認め「徳政令」を発令している。(浮世261-262頁)

B-3 百田氏の誤り③:「広く庶民の訴えを聞くというシステム」に関し、吉宗の「目安箱」が日本で初めてと百田氏が言うのは誤りだ。「目安箱」に相当するものは「戦国時代からあった」。Ex. 北条氏康、武田信玄、今川義元。(浮世262-263頁)

B-4 百田氏の誤り④:同じく「広く庶民の訴えを聞くというシステム」に関し、「目安箱」が「近代の先進国」でも「初めて」と百田氏が言うのは、ヨーロッパ史についての無知=誤りだ。そもそもヨーロッパでは「広く庶民の訴えを聞くというシステム」どころか、例えば(a)「中世ヨーロッパの諸都市ではすでに市民が市政の運営を行っていた。」また(b)「享保改革とほぼ同じ頃の18世紀初期・・・・イギリスでは本格的に議会が機能していて責任内閣制も始まっていた」。「目安箱」のように「庶民の訴えをお上が聞き届ける、という形式は・・・・前近代的」だ。(浮世263頁)
《感想》ヨーロッパは、「庶民」の政治参加・政治的発言に関し、日本に先んじている。

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宇野昌人(1931-2014)「他者性――精神医学的断想」:躁病者は、「代表象」機能の欠落によって、「他者」を構成できない!

2020-11-24 12:07:41 | Weblog
※新田義弘・宇野昌人編『他者の現象学:哲学と精神医学からのアプローチ』北斗出版、1982年所収

(1)ビンスワンガー『うつ病と躁病』!
ビンスワンガー(1881-1966)は、ハイデガーの現存在分析(Daseinsanalytik)に依拠した精神医学的分析を行っていたが、『うつ病と躁病』(1960年)ではフッサールに依拠し、意識の「志向性」に目を向けうつ病と躁病を分析した。(36頁)

(2)代表象(Appräsentation、間接呈示)!
ビンスワンガーは代表象(Appräsentation、間接呈示)が「他者の身体的現表象(Präsentation)に付け加わる」ことで他我の経験が可能となると言う。(38頁)

(3)躁病者は、「代表象」機能の欠落によって、「他者」を構成できない!
ビンスワンガーによれば、「躁病者は、代表象機能の欠落によって、他者・・・・を構成することが不可能となり、各瞬間に現前する現表象の断片の中に生きている。」かくて「躁病者につきものの、思考における、あるいは行為における抑制欠如または誇大妄想は、代表象が機能しないことの表現にほかならない。」(39頁)

(4)「常態→病態→常態」という治療の視点(動態への視点)!
宇野氏は、「常態→病態→常態」という治療の視点(動態への視点)がない点で、ビンスワンガーを批判する。「ビンスワンガーは、《他者構成機能を喪失し、他者との一切の出会いを失った躁病》の状態から、他者構成機能の《常態》への通路を示していない。」(40-41頁)

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