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浮世博史『もう一つ上の日本史』(69) 百田氏の誤り:①17世紀後半の「代表越訴型」一揆のみが江戸時代の一揆でない!②一揆は「交渉」のような穏便なものでない!

2020-11-23 13:38:44 | Weblog
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、古代~近世篇」(2020年)「江戸時代」の章(213-327頁)

(69)百田氏の誤り:①17世紀後半の「代表越訴型」一揆のみが江戸時代の一揆でない!②一揆は「交渉」のような穏便なものでない!(253-258頁)
X 百田尚樹『日本国紀』は、「江戸時代の一揆は、農民が集団で、あるいは代表を立てて、領主や代官と交渉するという形がほとんどである」(百田200頁)と述べるが、「ほとんど」でない。
X-2 百田氏が示した一揆は(イ)「代表越訴型」で17世紀後半の一揆だ。
X-3 江戸時代は260年間ある。一揆は4類型が区別できる。(ア)17世紀前半は、中世的な「土一揆」型だ。武力蜂起や逃散(チョウサン)だった。(イ)17世紀後半が「代表越訴型」だ。なお百田氏はこれを「交渉」と呼ぶが、首謀者は厳しく取り締まられ、普通「磔(ハリツケ)」だった。(ウ)17世紀末からは「惣百姓(ソウビャクショウ)一揆」だ。これも「交渉」のような穏便なものでない。これは、『山川日本史小辞典』によれば、徒党という多数の威力を背景に打ちこわしをともなう強訴、さらに全藩的規模での大規模な一揆、時に藩領をこえた広域闘争だった。(エ)最終段階は、開国に伴う国内の混乱・物価騰貴による「世直し一揆」だ。国学の尊王思想を背景に(口実として)「世直し」が叫ばれた。

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『伊勢物語』(Cf. 在原業平825-880)「第23段 筒井筒(ツツイヅツ)」(その2):「男」は中流貴族でもよいから経済力のある「高安の女」の家を頼るようになった!

2020-11-23 12:12:36 | Weblog
幼馴染で相思相愛、そして結婚した二人だったが、何年か経ち女の親がなくなり、暮らし向きがおぼつかなくなった。男は、この妻ととともに、貧しく哀れなさまでいてよいものかと思い、河内(カワチ)の国高安(タカヤス)の郡(コホリ)に行き通う女ができた。
《感想1》男は「もとの女」のほかに「高安の女」のもとに通う。男は上流貴族の出だ。しかし経済が不如意になっては致し方ない。男は中流貴族でも良いので経済力ある「高安の女」の家を頼るようになった。「高安の女」の家は受領(ズリョウ)層のカネのある中流貴族だ。
《感想1-2》上流貴族は多くが任地におもむかない遙任国司だが(Cf. 「男」の親は地方に赴任した)、これに対し中流貴族は国司になると任国に行って実務をとった。これが「受領」だ。中央政界に進出しえない中流貴族は受領となり,その徴税権によって富をたくわえた。(Cf. ブリタニカ国際大百科事典)

さて「もとの女」は男に対し憎む態度も見せず、黙って「高安の女」のもとに送り出すので、男は“女に他の男ができたのではないか”(「こと心ありて、かかるにやあらむ」)と疑った。
《感想2》妻訪婚で「一夫多妻」の時代だが、逆に女性のもとに複数の男が通うこともあった。だから「男」は自分の妻のもとに、“他の男が通ってくるのではないか”と疑った。

かくて男は河内の「高安の女」のもとに出かけたふりをして、庭の植え込みの中に隠れ妻(「もとの女」)の様子をうかがった。だが妻のもとに他の男が来る気配はない。妻は、念入りに化粧し、物思いにふけり(「うちながめて」)、歌を詠んだ。

「風吹けば沖つしら浪たつた山夜半(ヨハ)にや君がひとりこゆらむ」A wind blows. White waves are caused. You climbs up and down the mountain. It’s dark night. You are alone.(風が吹けば沖の白波が立つ、その竜田山の山中を夜中、あの方は一人越えていることでしょう。)

《感想3》竜田山(タツタヤマ)は、生駒山地の最南端、信貴山の南に連なる山々の総称。竜田川流域にあり紅葉が美しい。Cf. 在原業平「千早ぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとは」、能因法師「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」。
《感想3-2》「風吹けば沖つしら浪」は「たつ(立つ)」の序詞。「たつた山(竜田山)」に「立つ」をかける。
《感想3-3》妻(「もとの女」)の「男」への思慕は深い。「くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき」と歌った女の気持ちは今も、何も変わらない。

女が歌を詠むのを聞いて、男は女を「かぎりなくかなし(愛し)」と思い、河内の「高安の女」のもとに行かなくなった。
《感想4》純愛!(Cf. この男と女に子供はいないようだ。しかし子供がいても同じだろう。)「女」が「いとよう化粧(ケサウ)じて」(念入りに化粧して)男を想う様子が、「かぎりなくかなし(愛し)」である。

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