宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

「歌う袋」『スペイン民話集(エスピノーサ篇)』(10話):人々は、いつも「悪」にひどい目にあわされているから、虚構の話の中でも「悪」に勝利されては、たまったものでない!

2020-11-05 13:47:10 | Weblog
(1)
3人の娘を持つ父親が、祭りに行き、娘たちに黄金の指輪を1つずつ買ってきた。ある日、末の娘が洗濯に行って、傷めないよう金の指輪を抜き、泉の石の上に置いた。洗濯を終えると娘は指輪の事を忘れ、家に帰った。やがて指輪を忘れたのに気づき、娘が泉に戻った。
《感想1》よくある話。指輪が見つかるといい。しかし見つからないかもしれない。娘は不安だ。
(2)
泉のそばに1人の老人がいた。「わしは指輪のありかを知っているよ。もしあんたがこの袋に入ったら、返してやろう」と娘(少女)に言った。
《感想2》何というとんでもない老人だ。娘は迷う。怖い話だ。
(3)
少女は指輪を返してほしいので、袋に入った。すると老人は、袋の中の少女に「わしがお前に《歌え、歌え、ずだ袋、歌わないと殴ってやるぞ》と言ったら歌うのだぞ」と脅した。老人は、その袋を背負って歩き出した。
《感想3》老人は、なぜこんなことを少女に言ったのか。実は老人は、金儲けを企(タクラ)んでいた。
(4)
老人は少女の入った袋を持って村に入り、人々に言った。「私は歌う袋を持っております。歌を歌わせますから、お金を下さい。」そして「歌え、歌え、ずだ袋、歌わないと殴ってやるぞ」と老人が言った。袋の中の少女はおびえて歌った。「泉に忘れた金の指輪のために、私は父さんも母さんも忘れて、袋の中で死ぬでしょう。」
《感想4》「歌う袋」とは不思議な見世物だ。村人は老人にお金を渡すだろう。村人は旅芸人、見世物、娯楽をいつも待っている。Cf. 映画『道』の旅芸人を思い出させる。
(5)
老人はこのように村から村へと、多くの村をまわった。少女は袋の中で歌い続け、人々はほんとうに袋が歌っていると思い、たくさんのお金を老人にやった。
《感想5》老人はよい見世物の仕掛け、「歌う袋」を手に入れた。Cf. 少女の「排せつ」等はどうしたのか?道端でさせたのだろう。
(6)
旅を続け、やがて老人は少女の村にやってきた。そして偶然にも少女の家に宿を求めた。老人は食事代の代わりにと、袋に歌を歌わせた。するとすぐ姉さんたちにはその声が、妹の声と分かった。
《感想6》だが姉たちはこの時点ですぐに、老人に「袋の中を見せてもらいたい」と言えない。なぜなら(ア)老人は他人で客だし、失礼なことは出来ない。また(イ)もしかしたら間違いかも知れないからだ。
(7)
老人が夕食を終え、酒場へ飲みに出たすきに、姉さんたちは妹を袋の中から救い出した。そして袋の中に代わりに犬や猫を入れた。老人は酒場から戻ると寝てしまった。
《感想7》(a)犬と猫を一緒に入れて、よくケンカしないものだ。また(b)ワンワン、ニャーニャー鳴かず行儀のよい犬と猫だ。そして(c)老人が酔っ払っていてよかった。
(8)
次の日の朝早く、老人は袋を背負って家を出た。隣村に着くと早速、老人が袋に言った。「歌え、歌え、ずだ袋、歌わないと殴ってやるぞ」。ところが袋は歌を歌わない。怒った老人は袋を何度も殴りつけた。だが歌わない。かくて老人は金が手に入らない。
《感想8》老人は困った。だがまだ袋に少女が入っていると思っている。なぜなら犬と猫はワンワンともニャーニャーとも鳴かないからだ。(不思議な犬と猫だ!)
(9)
老人が袋を開けた。老人に殴られた犬と猫が袋から跳びだした。犬は老人の鼻に噛みつき引きちぎり、猫は老人の顔中をひっかいて傷だらけにした。
《感想9》悪者の老人は懲罰を受け、被害者の少女は救われ、ハッピーエンドだ。つまり勧善懲悪(カンゼンチョウアク)だ。昔話の定番!「悪」が栄える話は人々に受け入れられない。人々は、いつも「悪」にひどい目にあわされているから、虚構の話の中でも「悪」に勝利されては、たまったものでない。

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浮世博史『もう一つ上の日本史』(46)百田氏の誤り:①日本の「教育」は江戸時代からでなく、鎌倉時代・室町時代から広まっていた!②日本の識字率は「世界一高い」わけでない!

2020-11-05 11:41:26 | Weblog
(46)農民で読み書きができる人は、すでに平安時代末や鎌倉時代にも相当数いた!
V  百田尚樹『日本国紀』は「寺子屋の・・・・歴史は古く、桃山時代にはすで都市部に寺子屋があった。当時来日したキリスト教の宣教師が『日本人は女子供までが字が読める』と驚いたのも、寺子屋のお陰である」(百田185頁)と述べる。
V-2  しかし農民で読み書きができる人は、すでに平安時代末や鎌倉時代に相当数いた。(Ex. 地頭の不正を農民が書状で訴えている。)(Ex. 室町時代の一揆でも農民の文字が残されている。)日本の「教育」は中世(鎌倉~室町時代、12世紀末~16世紀終わり)から広まっていた。
V-3 鎌倉・室町時代は産業・商業が発展し、特に商人は「読み書き」が必要となった。また村落指導者にも読み書きが求められ、農村にも文字が広まった。Ex. 絵入りの「御伽草子(オトギゾウシ)」。

(46)-2 日本の識字率は「世界一高い」わけでなく、「低くはない」という程度だ!
W 「江戸時代の庶民が世界一高い識字率を誇り、世界でも類をみないほど高い教養を持った」(百田186頁)と百田氏は言う。しかし(ア)実は識字率の高さについて、明治時代以前は調査がない。
W-2 また(イ)明治初期(1877年)の長野県常磐村の識字率調査(882人)では、(a)自己の姓名・村名の記名64%、(b)出納帳簿の記名23%、(c)書簡・証書の自署7%、(d)公用文読み取り3%である。
W-3 欧米での識字率は(c)(d)の調査が中心なので、日本の識字率は「低くはない」という程度だ。
《感想》百田尚樹氏は「お国自慢」が過ぎるようだ。「贔屓(ヒイキ)の引き倒し」だ。(ひいきし過ぎて、かえって不利にする。)

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