tonaさんのブログで知った幸田文さんの「木」に興味を持ち、
病院の帰りに図書館に寄って借りてきました。
幸田文さんの著作は、若い頃「弟」を読んだだけでしたが、
エッセイストとしての幸田さんを知ることができて良かったです。
筆者プロフィール(Wikipediaより抜粋)
1904(明治37)年9月1日ー1990(平成2)10月31日東京生れ。
幸田露伴次女。
1910年、5歳のときに母を、1912年、8歳のときに姉の歌を失う。
1926年、22歳のときには弟の成豊も失う。
1928(昭和3)年、24歳で清酒問屋の三男に嫁ぎ、翌年娘の玉が生まれるが、
10年後に離婚。娘を連れて晩年の父のもとに帰る。
戦時中には、露伴の生活物資の確保のために働き、
少女時代から露伴にしこまれた生活技術を実践していった。
露伴没後、父を追憶する文章を続けて発表、たちまち注目されるところとなる。
1954年の『黒い裾』により読売文学賞、1956年の『流れる』は新潮社文学賞、
日本芸術院賞の両賞を得た。
他の作品に『闘』(女流文学賞)、『崩れ』『包む』など。
「樹木に逢い、樹木から感動をもらいたいと願って」北は北海道、
南は屋久島まで、歴訪した木々との交流の記。
木の運命、木の生命に限りない思いを馳せる著者の眼は、木をやさしく見つめ、
その本質のなかに人間の業、生死の究極のかたちまでを見る。
生命の根源に迫るエッセイ。
(「BOOK」データベースより)
幸田文さんは東京の郊外の農村で育ったことから、庭の広い家で育ち、
植物に関心を持つようにと、親から3人姉弟それぞれに、
蜜柑、柿、桜の木が与えられ、実も花も自由にすることができたり、
とりわけ父露伴からは、木の葉のあてっこ遊びを通して、
どんな状態の葉でも難なく当てられるようになったり、
数多くの、花や木の話を聞き、植物や樹木を愛でる心が養われたことが
2編目の「藤」を読むとよくわかります。
文さんが自分の子どもと、植物の鉢植えが売られている市場に行った時、
子供に好きなものを買うようにと、お駄賃を与えましたが、
子どもが選んだのは、その市場で最も高価な蕾の房がたっぷり付いた老木の藤。
それに驚き、安価な山椒の木を買い与えたのですが(私でも同じことをしそう)、
露伴はなぜ子どもの価値を見出した目を尊重しなかったか、
教育とは何であるかを説いたそうです。
文章も美しく、表現力が巧み…。
読んでいくうちにどんどん引き込まれましたが、
文さんが最も素敵だなぁ~と思ったところは好奇心の強さと行動力。
倒木更新の話に興味を持ったことから、東京大学北海道演習林を訪れたり
縄文杉に出会うため屋久島まで足を運ばれましたが、
なんと、70歳を過ぎてからだそうです。
私も行きたい場所は一人でも行く勇気を持たなければと思いました。
その倒木更新のことはこちらのサイトでよくわかります。
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今季5輪目のハイビスカス・ロングライフ・アドニスダーク
(2022.07.14撮影)
こぼれ種から咲いたメランポジウム
(2022.07.09撮影)
Tさんから千疋屋の白桃を頂きました。
ありがとうございました。
(2022.7.15撮影)
昨日(2022 .7.15)は強い雨が何度かありました。
4時過ぎ、小降りになったのでキジバトの様子を見に行くと、
卵は殻だけになり、道路の端に落ちていました。
あと数日すれば雛になれたはずなのに
こんな結果になり残念です。