hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

⑰北条武田合戦場のみち/田代半僧坊~韮尾根バス停まで

2018-10-12 | 関東ふれあいの道・神奈川県

10月10日(水)
今回は9月24日に歩いた「北条武田合戦場のみち」の後半を歩きました。
交通の便が悪いので、今回も田代運動公園の駐車場に車をとめ、
田代半僧坊まで歩きました。



田代運動公園駐車場(9:00出発)



勝楽寺:田代半蔵坊(9:10)
今回はお寺には寄らず通り過ぎましたが、
前回寄った時、ご紹介できなかった写真があったので載せました。

勝楽寺は、愛川町田代地区にある曹洞宗のお寺で、
地元では勝楽寺というより田代の半僧坊と呼ばれています。

上の写真は国道412号を跨いだ反対側にある門と石碑で、
山門は国道412号の奥にあります。



勝楽寺の案内



山門 半僧坊
本堂 本堂前の庭園と鐘楼



山門の金剛力士像 



道元禅師像



子育地蔵尊 洗心童子 萩



さぁ、ここからが後半のスタートです。
県道を横断し海底(おぞこ)の集落を角田大橋に向かって歩きます。



角田大橋を渡り右折左折します。

中津川の水量が前回見た時よりも多く、
水も濁っていたので、前日に雨でも降ったのかと思いましたが、
水曜日は宮ケ瀬ダムを放流日とのことでした。



いくら歩いても、関東ふれあいの道の指導標識がないので
不思議に思い、農作業をしている方に
パンフレットに書かれていた戸倉の集落はどこかお聞きすると、
詳しいことはわからない様子。
それではと、北条武田合戦場のある三増はどこかとたずねると
まったく方向が違うことがわかり、
写真上の神社まで引き返し、右折し神社を左手に見ながら坂を歩きました。

この道も正しいルートではなかったので、
家に帰って地図を見ると、間違いは角田大橋を渡り、
右折したことにあったようです(正しくは左折)
ここで30分近く時間をロスしました。



7~8分、坂道を歩いたところで右折、畑の中を歩きます。
風にそよぐコスモスがとても綺麗でした。



神奈川県産のお茶がある事すら知らなかったので、
お茶畑を見て、新鮮な驚きがありました。
お茶畑に立つ扇風機を不思議に思い、夫に聞いたところ
防霜の為だろうと言っていました。
道は間違えましたが、こういうことはよく知っているようです。
新茶の頃に一度味わってみたいものですが、
我が家の近くで売っているかなぁ~・・・



道を間違えて良かったことはお茶畑の他にもありました。
神奈川中央養鶏農業共同組合が運営しているとても大きな養鶏場と、
その直販センターの卵菓屋の発見です。
ソフトクリームの看板にひかれて寄ってみましたが、
なんとマロンソフトが140円でした。。
おまけに茹で卵まで、ただで頂てしまいました。
新鮮な卵はもちろん、美味しそうなプリンやロールケーキなどのお菓子、
地場産のお野菜、卵を使ったオムライスや親子丼などのメニューもありました。
知っていたら、おにぎりなど持参しなかったのですが。
(10:25~10:40休憩)



ここにもお茶畑がありました。
お茶の花は良い葉っぱを採るために、咲かせないようですが、
少しだけ咲いていました。
山茶花に先駆けて咲くようですね。



本日のメイン、北条武田合戦場史跡に着きました。
道路の向かい側にあった指導標識を見て、
正しいルートがやっとわかりました。
東屋があったので、三僧合戦場の碑前の記念撮影などを済ませ、
早めでしたがおにぎりなどの昼食をとりました。
(10:50~11:10休憩)



永禄12年(1569)10月、甲斐の武田信玄は総勢2万の将兵を率いて
北条氏康の小田原城を包囲攻撃するが、
攻略することはできず、帰路に三増峠を選んだ。
これを察知した氏康は息子の氏照、氏邦、娘の夫綱成らをはじめ、
幕下の将兵2万を三増に進出させる。
10月6日、三増山地一帯の武田陣に対し、北条軍は随所に出撃し激戦となる。
緒戦は北条軍有利に展開するるが、武田方遊軍が背後から挟撃きすると、
北条軍は総くずれとなり敗走した。
信玄は、勝ち戦となるや、すぐに兵をまとめ、
反畑(今の相模湖町)まで引き揚げ、勝利を祝うとともに、
敵味方の戦死者の霊をなぐさめる式を行い、甲府へ引きあげたという。
(愛川町教育委員会の資料より)



両軍配置図
黒が武田軍、赤が北条軍

『甲陽軍鑑』には、戦死者は北条方3,269人、
武田方900人と記されています。関係史跡として今日に伝わるものに、
信玄の旗立て松・浅利信種墓所・首塚・胴塚などがあります。



指導標識に従って歩いて行くと、
山のふもとに残土埋立反対の看板があちこちに立っていました。
なんのことかと思ったのですが、
志田峠まで登ったところで理由がわかりました。



右折すると、武田信玄の旗立松がありましたが、
現在はゴルフ場になっており、時間もかかるようなのでスルーしました。



日差しがまだ暑いので、樹林があると助かります。



志田峠(標高310m)
最低の標高が70~80㎝だったので、200m以上の標高差を
歩いたことになります。



志田峠山頂から結構広い範囲で谷を埋め立てています。
こんなところに、いったい何ができるのでしょう。
下るとき、残土を積んだトラックと何台もすれ違いました。



志田山朝日寺(別名・清正光)
麓近くにあります。
300段もある急な階段を見ただけでげんなり。
右足の指に水疱ができ、傷みだしたので見学は止めました。



東京農工大学大学付属フィールドミュージアム津久井





後中央のちょこんと突き出た三角の山が経ヶ岳。
法論堂林道~半原越え~経ヶ岳~田代半蔵坊~北条武田合戦場史跡
志田峠を越え、よくぞここまで歩きました。



大豆畑



韮尾根のバス停は目と鼻の先でしたが、トイレに行きたくなり、
近くのコンビニに寄りました。(12:40)
下調べしたバスの時刻は13:39 16:19 17:19で
13:39を乗り過ごすと、約3時間もバスを待たないと
いけないことだけが頭にありました。
待ち時間がたっぷりとあったので、コンビニの近くにあったオギノパンで、
丹沢あんぱん等を食べて休憩しました。



バス停に着くなりびっくり!
なんと12:44のバスがあったのです。半原バス停までは10分も
かからないし、そこにトイレがあることも分かっていました。
先にバス停に来るべきでした。
半原バス停で2:00発の本厚木行のバスに乗り、
車がとめてある田代運動公園の駐車場近くの田代坂下で下車し、
駐車場には2:20に着きました。
国道412号線を経由して、家には3:10頃到着。
この日の歩行は13.9㎞、19737歩でした。

追加10/14
田代半蔵坊から韮尾根バス停までの道で、出会った花たち(順不同)



杉の蕾(雄花)ボタンクサギ 



ヤクシソウ ?
シロヨメナ カタバミ



マルバルコウ マメアサガオ
ゲンノショウコ カラスウリ



セイタカアワダチソウ アザミ
マルバアサガオ オトコエシ
コメント (10)
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