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hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

⑤稲村ケ崎・磯づたいのみち(後編)

2018-05-27 | 関東ふれあいの道・神奈川県
11時25分
七里ヶ浜の西の端、小動岬(こゆるぎみさき)に着いた。
小動岬は鎌倉市腰越2丁目にある岬で、鎮座する小動神社が八王子社と
呼ばれていたことから「八王子山」とも呼ばれている。
幕末には黒船騒ぎが起こり、異国船見張所が設置され、
川越藩・会津藩・長州藩などが沿岸の監視に携わっていた。

また、作家太宰治が田辺あつみと睡眠薬を飲んで心中事件を起こした
場所としても知られ、太宰は助かったが、あつみは19歳で死んだ。



小動岬(こゆるぎみさき)と江の島



小動神社





赤いほっかむりをした狛犬は地元の漁師の寄進。



第六天社



金比羅宮と稲荷社      海(わたつみ)神社



展望台からは江の島が目の前に見えた。


小動岬を過ぎて緩やかな坂を下ると、左に腰越漁港があった。



腰越漁港
20~30年ほど前、ご近所の友人に誘われて、
お新鮮なお魚を、安く食べさせてくれるお店があるからと、
連れてきていただいたことがあるが、どこを探してもなかった。
今日のお昼はここにしようと思っていたのに残念。



漁を終えて停泊している船はシラス船だろうか。
絵になる風景だ。



腰越海岸?片瀬東浜海岸?
どこが境界かわからない。



東浜交差点を過ぎ、江の島入り口の江の島交差点を通って
境川にかかる弁天橋を渡ると終点の小田急江ノ島駅になるが、
この交差点を右折して「龍口寺(りゅうこうじ)」に寄っていくことにした。
龍口寺は江の島に行くとき、いつも気になっていたお寺で、
一度は訪ねてみたいと思っていた。



龍口寺までの道路わきにはアジサイとランタナが交互に植えられていたが、
ランタナは冬も枯れなかったらしく、もう綺麗に咲いていた。

龍口寺は、日蓮聖人の霊跡(龍ノ口刑場跡)
に建てられた日蓮宗の大きなお寺。
明治19年までは住職がおらず、近隣の八つの寺が順番に霊場を守ってきた。



龍口寺大本堂と五重塔



大本堂(祖師堂)
寺伝によると、日蓮聖人の弟子日法が1337年(延元2年)
龍ノ口法難の霊跡に堂を建て、
自作の日蓮像を安置したのが龍口寺の始まりと伝えられている。
その後、慶長年間(1596年~1614年)、島村采女が土地を寄進し、
日尊によって祖師堂が建てられた。



龍ノ口刑場跡
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にもよく登場する刑場。
日蓮聖人は『立正安国論』の諫言により、
幕府に捕らえられ、処刑されそうになったが、
その瞬間に、江の島の方から満月のような光が飛んできて、
執行人は目が眩み、斬首できなかった(龍ノ口法難)。
この奇跡から、この地は日蓮宗の霊跡、霊場として篤く信奉されるようになった。
元の使者や北条時行などもここで処刑されたという。



仁王門
昭和48年(1973)竣工。
鉄筋コンクリート造り瓦葺。



仁王像
彫刻家 村岡久作氏の作。



山門
元治元年(1864)竣工。欅造り銅版葺。
大阪雷雲寺の発願で豪商鹿島屋某が寄進。





山門の彫刻
中国の故事が細密に彫られているという。



日蓮の御霊窟
龍ノ口法難の際、幕府に捕らえられた日蓮聖人が、
一晩幽閉されたと伝えられる土牢。
土牢の中には、宝暦6年(1756)の日蓮像が安置されている。



日蓮聖人像と鐘楼堂
吊されている梵鐘は「延寿の鐘」と呼ばれ、誰でも撞くことができる。
もちろん私も・・・
「お題目(南無妙法蓮華経)をお唱えして、あまり力を入れず、1回お撞き下さい」
と書かれていたので、静かに撞いた。



五重塔
龍口寺の裏山の山腹にある。
塔は「地」「水」「火」「風」「空」の五大を意味する。
明治43年(1910)建立。欅造り銅版葺。彫刻は一元安信。
神奈川県唯一の本式木造五重塔で、
大本堂とともに「神奈川建築物百選」に選定されている。



大書院
欅造り瓦屋葺。
明治初年、信州松代で蚕糸業で財をなした窪田家が造った蚕糸御殿で、
昭和10年に移築された。



江ノ電・鎌倉駅

これからゴールに向かうが、お弁当を持ってこなかったのでお腹がペコペコ。
腰越海岸で食べられなかったので、
久しぶりに江の島の「とびっちょ」まで行くつもりでいたが、
そんな元気はなくなり、
通り沿いにある、港直送のお魚を食べさせてくれるお店に寄った。



食事時間は12:40~13:10



イクラ、アジ、シラス丼
夫のおごりです。御馳走さま!



境川にかかる江の島弁天橋
「かながわの川100選」に選定されている。



橋中央のオブジェ「雲の形」



ゴールの小田急江ノ島線「片瀬江ノ島駅」
駅舎は龍宮城を模したモダンなデザインで昭和4年(1921)に建設された。
平成1年(1999)には「関東の駅100選」に選定されている。

ゴール到着が13:19と思った以上に時間がかかってしまったので
「⑥湘南海岸・砂浜のみち」を歩くのはやめようと思ったが、
これまでほど、寄るところは少ないと思い、予定通り決行した。
コメント (8)
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⑤稲村ケ崎・磯づたいのみち(前編)

2018-05-25 | 関東ふれあいの道・神奈川県
5月22日(火)
JR鎌倉駅から茅ヶ崎市の浜見平団地まで、
関東ふれあいの道・神奈川の⑤と⑥の2つのコースを歩いてきた。
スマホの万歩計によると、この日一日の総歩数は
32.914歩 22.8km 1.151㎉と、今までで最高。
両足の親指と人差し指の間に豆ができるほどだった。

まずは⑤稲村ケ崎・磯づたいのみちから



いつものように車を駅近くの駐車場に止め
駅まで10分ほど歩く。

海老名07:31~横浜08:58(相鉄本線特急)
横浜08:13~鎌倉08:40(JR横須賀線650円)
実際は↑の時刻より朝のラッシュのためか、相鉄線もJRも約3分遅れた。



8時50分
鎌倉駅東口から若宮大路に出て右折し、海へ向かって歩く。
鎌倉駅は相変わらず観光客多い。
特にこの時期は修学旅行などの小中学生が目立った。

一ノ鳥居、鶴岡八幡宮に向かって左側の歩道に
鎌倉幕府御家人、畠山重保邸跡と
屋敷跡の石碑、墓所と刻まれた宝篋印塔がある。



石造宝篋印塔(明徳4年銘)は高さ3.4mを超える
市内でも大型の宝篋印塔で、
畠山重保墓塔と伝えられている。



一ノ鳥居



写真を撮りながらのゆっくり歩きでも
鎌倉駅から20分で、国道134号・ 滑川の交差点に突き当たる。
信号を渡るとスタート地点の地点の由比ヶ浜に着く。



さくら貝の歌の歌碑
作曲家・八洲秀章氏が作った短歌をもとに土屋花情氏が作詞、
八洲秀章氏自身が作曲して誕生したもの。
当時の由比ガ浜は、さくら貝の絨毯といわれるほど美しく、
この歌碑は、環境保全とさくら貝の復活を念じて建立されたそうだ。

修学旅行か何かの集合地だったらしく、
次々と高校生ぐらいの生徒が集まってきた。



滑川を挟んで左側が材木座海岸
右側(生徒がいる方)が由比ヶ浜海岸



今日は殆ど海岸沿いを歩くことになるが、
いたるところに地震、津波に対する注意喚起の看板があった。
良いお天気で気温は上がっているはずだが、
海からのカラッとした風が心地良い。



近代的なオブジェから歴史ある石碑まで、
新旧混在していて鎌倉らしい。



上がった魚の取材や消防署員の訓練など、
サーファーだけでなく、色々な情景が目に飛び込んでくる。



遊歩道上には、観光地を示す方位盤のようなものがあったり、
小さな公園もある。



後ろを振り向き、10日前に歩いた大楠山をさがすが、わからない。

そうこうしているうちに稲村ケ崎についた。
鎌倉駅から約1時間歩いたことになる。



稲村ケ崎は由比ヶ浜と七里ガ浜の間にある小さな岬。
車の中からは何度も見ているが、
素通りばかりだったので、時間をとって見学することに。



新田義貞渡渉伝説では、海の中に黄金の剣を投じると、
海が割れて鎌倉を攻め落とせたという。



サングラスをかけていると、富士山が見えるが、
日の光が強すぎるのか、裸眼では見えない。
江の島の右側の陸地の先端、やや左上に、
うっすらと白く見えるのが富士山なのだが…

砂が全体的に黒っぽいのは地中に含まれる砂鉄によるもの。



ボート遭難の碑
明治43年1月23日、七里ガ浜の沖合いでボート
「箱根号」に乗った逗子開成中学校の生徒ら12人が遭難。
兄が弟をかばい、弟が兄を慕う姿をモチーフに、
家族や友人への友愛精神の象徴として建立された。
「真白き冨士の嶺~♪」の『七里ヶ浜の哀歌』は
彼らのために哀悼歌として作られた。



踏破記念の証拠写真を撮る。



小さな山だが、標高44.5mの山頂に登ってみる。
階段わきの大きなアカンサス。
花が咲くのは1~2週間先だろうか。
どんな花でも一期一会、出会った時に撮影しておかねば!



まだ青いサンゴジュと色づき始めたアジサイ



ヒルザキツキミソウの群生とドクダミ



「ロベルト・コッホの記念碑」
1908年(明治41)に弟子の北里柴三郎と鎌倉を訪れた
ドイツ人細菌学者ロベルト・コッホの記念碑。



展望台より江の島と富士山を望む。
夕暮れのシルエットはさぞ美しいことだろう。
かながわの景勝50選に選ばれているそうだ。

椅子に腰かけ、おやつタイム。
稲村ケ崎には30分滞在した。



稲村ヶ崎から小動岬(こゆるぎみさき)までの間が七里ケ浜。
距離にして2.9 km。
日本の渚百選に選ばれている。

遊歩道より稲村ケ崎を振り返る。



ズームで!
富士山がうっすらと写っている



七里ガ浜沿いには江ノ電が走っている。
踏切の向こうで多くの若人がスマホで写真を撮っているのが見えたので、
行ってみると、みな、お隣の国の人たちだった。
私も写真を撮ったが、そうだ、ここは息子が中学生のころ愛読していた
アニメ『スラム ダンク』に登場する鎌倉高校前の踏切だったのだ。



江ノ電・鎌倉高校前



日中、江ノ電は上り・下りともに12分に1本の間隔で運行しているそうだ。
しばらく留まり、電車を待った。



レトロな車両も・・・



この辺から江ノ電は狭い住宅地の中を走る。
小動岬まであと数百メートル。

(写真がいっぱいになったので後編に続く)
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④佐島・大楠山のみち(後編)

2018-05-13 | 関東ふれあいの道・神奈川県

大楠山山頂から山頂と前田橋バス停の分岐まで戻り、
前田橋バス停方面に5~6分歩くと
国土交通省大楠山レーダー雨量観測所がある。



この観測所に設置されているレーダー雨量計は
電波を利用して降雨の強度と分布を測定する設備で、
半径200km~300kmの範囲まで観測を行うことができるそうだ。
展望台に登ってみたかったが、閉鎖されていた。

レーダー雨量観測所から先は細い登山道となる。





20分ぐらい歩くと雷が鳴り始め、小雨が降ってきた。
前日までも雨で、滑りやすい箇所があったので、
これから先は写真どころではなく、歩きに集中した。
途中から雨が酷くなったようだが、
登山道は樹木のトンネルになっており、思ったほど
濡れた様には思わなかったが(実際は濡れていた)、
前田川の川音が聞こえ、樹木のトンネルが期待できなく
なりそうなところで、夫はレインウェアーを、私は傘を差した。
一刻も早く前田橋までたどり着きたいのに、
下りの登山道は、長く感じられる。



大楠山山頂から1時間余り、
最後の階段を下りると、ついに前田川に到着。





前田川は、大楠山の湧き水が集まってできた清流。
全長2.2kmのうち約1.4kmが
「前田川遊歩道」として整備されている。

写真左は現在地・尾形瀬橋の上から、
写真右は600~700m先の遊歩道の起点・お国橋の上から写したもの。



踏み石の上を歩いてみたかったが、
増水していたので、車道を歩いた。



スイカズラ(吸葛) スイカズラ科スイカズラ属
本性つる植物で花の下部から蜜を出すので
スイカズラの名が付けられた。
受粉すると花の色が黄色に変わるそうだ。

13:16前田橋バス停到着
雨はお天気雨に変わり、やみそうな気配となる。
バス停のベンチでしばらく休んだ後、
国道134号線を北上して、立石公園へ向かう。
立石公園へまでは0.8km。頑張って歩こう!



雨は13:20にはすっかり上がった。
途中で雨具をしまったり、リュックのカバーを外した。



標高11.7mの表示。
大楠山の標高差は230m位あったようだ。



久留和海岸



秋谷の立石

「立石」の高さは12m。奇岩としての価値よりも、
その先の「ぼんてん」と呼ばれる岩場とそこに自生する松、
海を挟んで、丹沢、箱根、伊豆の連山や、
その上に浮き出た富士の借景が素晴らしいので、
ここで初代歌川広重も「相州三浦秋屋の里」を描いたそうだ。

この日は富士山は見えなかったが、
空気の澄んだ晩秋から冬は、アマチュアカメラマンが
「立石」に落日がかかるのを、辛抱強く待っているそうだ。

神奈川の景勝地50選に選ばれている。



夫は30代の頃、会社の釣り仲間と、この岩場でよく釣りをしたらしく、
懐かしそうに釣り人を眺めていた。



立石公園にある泉鏡花の碑
草迷宮。  
秋谷海岸周辺が舞台になっている。



海岸沿いの歩道からは、
長者ケ崎や江の島がかすかに見える。



へちま加持の寺・円乗院



(左)西海岸通り(右)横須賀市と葉山町の境界あたり



長者ケ崎(横須賀市側)
横須賀市と葉山町の境に位置する岬。
現在は落石の危険があり、立ち入り禁止。



マイルストーン「ヨット」
ここ葉山町は、「日本のヨット発祥の地」であることから
このデザインが選ばれたようだ。



遠くに伊豆半島や富士山を望める、ビューポイントで、
神奈川の景勝地50選に選ばれている。
特に夕日は絶景らしい。



長者ヶ崎の葉山側に位置する海水浴場



コンビニで一休み



(左)葉山町と(右)下山川(川の右側は葉山御用邸)



一色海岸と御用邸の緑。



浜辺に咲く浜昼顔



終点:一色海岸バス停
一色バス停15:30~JR逗子駅16:00(247円)



懐かしの「鯵の押し寿司」

逗子駅に大船軒の売店があったので、
結婚当初、夫が仕事の帰りに(最寄り駅・大船)「鯵の押し寿司」を
よく買ってきてくれたわね。などと思い出話をしていると、
夫が買ってくれました。催促したわけではないのですよ(笑)。
当時の方が鯵が小ぶりだったかも。

雨に降られるというアクシデントはあったが、
無事に④佐島・大楠山のみちを完歩できてよかった。
あとから気が付いたのだが、せっかくここまで来たのだから
御用邸の近くにあったらしい「葉山しおさい公園」に
寄ってくれば良かった。

この日の総歩数は26.123歩 18.1km 914㎉
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④佐島・大楠山のみち(前編)

2018-05-12 | 関東ふれあいの道・神奈川県

5月10日(木)
関東ふれあいの旅・神奈川県④佐島・大楠山のみちを夫と歩いた。
火曜日と水曜日は予定がなかったので、
そのどちらかの日に行きたかったが、あいにくの雨。
木曜日になってやっと雨は上がった。
朝の天気予報では、横須賀方面は午後の数時間、
雨との予報が出ていたが、
日曜日までずっと予定が入っていたので、
この日は卓球の練習を休み、思い切って出かけた。
天気予報は見事に当たり、大楠山を下山中に雨に降られた。
幸いなことに、樹木に覆われた登山道だったので、
それほど濡れずに済んだが、
滑りやすい箇所が多かったので、それが少し大変だった。





行程
海老名08:11~横浜08:37着08:43発~JR横須賀線:逗子09:14着(648円)
逗子駅2番バス乗り場=大楠芦名口バス停09:25~09:55(420円)



JR逗子駅とスタート地点の大楠芦名口バス停

10:00 
大楠山山頂を目指してスタート!



標識に従って歩き、10分もすると「芦名の堰」に着く。
ここは500年前からのため池で、最近まで稲作に使われていたとのこと。
今は魚や水鳥、トンボたちの住処になっているそうだ。
シニアの男性が二人、カワセミ狙いでカメラをセットしていたが、
一度は飛んで来たものの、どこかに飛び去ってしまったそうだ。
次の飛来を待っているようだが、鳥撮りは気が長くないとつとまりそうもない。

「芦名の堰」を過ぎると山の中に入る。
登山道は、なだらかで広く、ゆっくり自然観察をしながら歩けた。



道の両端にはびっくりするほど大きなシダが生えていた。



どちらもピンボケだが、リスやルリビタキにも出会えた。



ガマズミ
春には白色の花が咲き、初夏からは赤い果実が観賞でき、
秋は紅葉も楽しめる。
山の神からの授かり物として、青森ではマタギたちから大切にされたそうだ。



マルバウツギ スイカズラ(吸葛)



「へっぴり坂」は芦名側の中で最も傾斜の急な
坂道らしいがそれほどでもない。
緩やかな登り・下りは山頂まで続く。



展望の良い場所から眺める山は初夏の気配がする。

沢山の鳥の鳴き声が聞こえるが、
知っているのは、ウグイス、ヤマガラ、カラスぐらい。
鳥の鳴き声を聞き分けられたら楽しいだろうな~



アザミがもう咲いている。
ヘビイチゴは蛇の出そうな場所に生えるらしい。



落ちている花びらを見て見上げると、キラキラと輝く白い花が・・・



ズ~ム!

エゴノキの花のようだ。



タンポポやジシバリ



防空壕のような穴もあった。



ウツギ



最後の階段は150m。ここを登りきると大楠山山頂だ。



11:10 
歩き始めて1時間10分、
三浦半島の最高峰・大楠山山頂(標高241m)に到着!
大楠山は「花の百名山」や「関東百名山」に選ばれている。



大楠山山頂の二等三角点 標高 241.29m



展望台の前で(踏破記念の証拠写真)

展望台は閉鎖され、登れなかった。
空気が澄んでいれば、東京湾、房総半島、伊豆半島、
箱根連山、富士山などの360度のパノラマが楽しめたはずだが、
空は曇り、風も出てきて寒くなってきた。



武山(左)と三浦富士(右)



東京湾と房総半島方面。
大きな建物はNTT通信研究所



三浦半島を一望



運が良ければ相模湾越しの富士山も見えたはず。



山頂ではアジサイが早くも咲き始めていた。

ここでは別のところから登ってきた二人のシニア女性と
お話をしたり(15分位)
寒かったが、ベンチがあったので、お弁当も食べた(25分)
11:50分過ぎに山を下った。
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丹沢山塊東辺のみちで出会った花

2018-05-05 | 関東ふれあいの道・神奈川県

萌えるような新緑。
山の空気は新鮮でおいしい。
林の中でひと際目立つ、ヤマフジやミズキの花たち、
ヤマツツジやウツギも見頃で、
それらの花々を見ていると心からリラックスできる。
道端の山野草を見るのも楽しみ。
初めてのお花に出会うとワクワクとしてくる。
シニアらしく無理をせず、これからも歩く愉しみを続けたい。



ヒメレンゲ(別名:コマンネングサ)



シャガ



タツナミソウ
セリバヒエンソウ



チゴユリ(稚児百合)
ホウチャクソウ



ミミガタナンテンショウの実
ホソバナンテンショウ?



ナツトウダイ
ダイコンソウ



クサイチゴ
ジュウニヒトエ(十二単)



春のキノコ
右側のキノコは小さくて魚の鱗のようで、
一瞬、木の皮と思った。
木の幹はけっこうう太く、立ってはいたが葉がない。
立ったまま朽ちているのであろうか。
上の方まで増殖していて、気持ちが悪かった。
カワラタケというらしい。



ヤブデマリ



マルバアオダモ
ヤマツツジ



ミズキ…良い匂い
ウツギ



ガクウツギ
ニシキウツギ



マルバウツギ
コゴメウツギ



ヤマフジ
ヤマフジ白花(orニセアカシア?)
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⑫丹沢山塊東辺のみち

2018-05-04 | 関東ふれあいの道・神奈川県

今回の関東ふれあいの道は、仏果山登山がメインとなる。
起点の坂尻バス停は小田急線本厚木からバスで40分。
終点の半原バス停から小田急線本厚木まではバスで50分かかるが、
本厚木を迂回しないで我が家から直行すると
30分余りで坂尻バス停に着く。
この日も息子が坂尻バス停で夫と私を降ろし、
終点の半原バス停近くに車を止め、そこからトレイルランに
向かう計画を立ててくれた。





坂尻バス停(標高150m)到着8:35
シューズの紐を結び直し、標識などを確認して
8:40には歩き始めた。
まずは4.8km先の半原越を目指す。



道標にしたがって細い道に入ると神社、すぐ先にトイレがある。
(トイレはここを逃すと半原バス停までない)

小川のせせらぎ、鴬や小鳥の鳴き声を聞きながらのんびりと歩いた。



和田川沿いの法論堂(おろんど)集落を歩いていると
モッコウバラが綺麗に咲いているお宅があり、
庭に出ていたご主人から、ヤマビルが出ているので注意するよう
対処法など教えていただいた。



リッチランドから5分ほど歩くと車止めがあり林道となる。
最後の車止めの少し先が半原越(標高480m)

延々と長い坂道だったが、勾配が緩やかだったので、
楽にここまで来られた。
季節柄、たくさんの花に巡り合えたのも良かった。

半原越の右手からは経ヶ岳への「北条武田合戦場のみち」と、
仏果山への「丹沢山塊東辺のみち」に分かれる。



林道斜め左側の階段が仏果山への登山道。



鹿柵、急な階段などが続く。



写真は撮り忘れたが、土山峠からの合流にあった
テーブルでおやつを食べ15分休憩。

また登るの~



革籠石山(標高640m)の少し先で半原から登り、
仏果山を超えてきた息子とばったり会う。
息子は半原で登山口への道を間違え、大変だったそうだ。
前々日は川崎の月例マラソンに久しぶりに参加、
前日は自宅から江の島までマラソンで往復しているので、
ここからはゆっくりと一緒に歩いて戻るとのこと。



仏果山の手前800mの休憩所でお弁当を食べた。
息子の分は車の中にあるので、おにぎりなどは分け合って食べ、
残りは車の中で食べることに。



休憩所を過ぎると道が細くなるとの注意書きの看板があった。
確かに少し細い。



左の写真は下り(振り返って撮ったので)。
右の階段を上るとヤセ尾根に続くのだが、崩落はそこで起こった。



開けたヤセ尾根からは美しい宮ケ瀬湖が見えた。



あとひと踏ん張り!
写真では分かりにくいが、けっこう厳しい岩登りだ。



仏果山山頂(標高747m)

仏果山の山名の由来のは室町時代の始め、清川村煤ヶ谷(すすがや)にある
正法寺を開いた仏果禅師がこの山で座禅修行をしたことから。
その座禅石は、かって仏果山の東南麓にあったが、周辺が採石場となった為、
2001年土山峠近くに移されたとのことだ。



展望台の前で(踏破記念の証拠写真)



展望台(高さ13m)からの眺め





下山は膝が不安なので、デジカメ撮影はほどほどにし(植物の写真のみ)、
体重を足にかけないよう、ストックを使いゆっくりと歩いた。
登山道が整備されているので、分かりにくいところはなかったが、
半原の集落あたりからは、標識を見失わないよう注意が必要かもしれない。









半原バス停の近くには駐車場がなかったので、
車は2㎞先の中津川の川原に止めたそうだ。
息子は途中から走って車をとりに行ってくれた。
その川原にまた寄り、クーラーボックスに入れておいた
お弁当を食べ、コンビニに寄って家路についた。

ここは、11.3km 所要時間3時間45分のコースだが、
ジグザグ歩きをしたり、写真を撮りながらゆっくり歩いたり、
休憩時間、食事時間、滑落事故などのアクシデントもあったので
7時間もかかってしまった。
スマホの歩数計は、24127歩 16.7㎞ 844㎉(一日の合計)を示していた。
問題の左膝の裏側が痛まなかったのが何よりだった。
コメント (4)
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滑落事故を目撃

2018-05-02 | 関東ふれあいの道・神奈川県

4月30日
「関東ふれあいの道・神奈川」の中で一番難度が高いと言われる
『⑫丹沢山塊東辺のみち』を歩いてきました。
この道は、神奈川県清川村の坂尻バス停から仏果山に登り
神奈川県愛川町の半原バス停まで歩くという、けっこうハードな道で、
事故は仏果山山頂手前の、両側が切れ落ち、
人ひとりがやっとすれ違うことができる程度の、ヤセ尾根で起こりました。
落ちた方は5人のシニア男性グループの一人で、私たちのすぐ後ろを歩いていました。
滑落時、大きな音がしたわけではなく、一行の方々も冷静だったので、
落ちた瞬間のことはまったくわからなかったのですが、
1人の方が私たちの前の少しだけ尾根が広くなった場所にリュックを置き、
ロープを出しているのを見て、やっと気が付きました。
他の方々も下に降りて、滑落した方のそばにいましたが、
ただ寄り添っているだけが、精いっぱいの様子でした。
ロープは長さが足りなかったので、夫が持っていた10mのロープを
使っていただきましたが、それでも届きませんでした。
なすすべもなかったので、119番通報をしましたが、一行の方のスマホも、
息子(私)のスマホも、電波が届かず繋がりません(みな同じ携帯会社)
仏果山の頂上の展望台からなら届くかもしれないと、
息子が急いで向かいました。
その後、反対方向から歩いて来た方の中に、他の携帯会社のスマホを
使っている方がいらっしゃり、その方のスマホで119番には通報できましたが、
救急隊が到着するのは時間がかかる様子でした。
一行の方のお話ですと、滑落した方は右手小指が骨折、左肩に脱臼があり、
足はどうなっているかわからないとのことでした。
年齢を聞けば私と同じだとか。
ちょっとしたはずみで、足を滑らせたのかもしれませんが、
山ってほんとに怖いと思いました。
しばらくして、山頂から戻ってきた息子に話を聞くと、
そこでも息子の携帯は繋がらず、休んでいた方の携帯を借りて、
119番通報をしたそうです。
息子の情報は、具体的にどこから山に入って、救助に向かったら
よいのかがわかりやすくて、良いと言われたそうです。
滑落された方が、軽症で済めばよいと、帰りの車の中で話し合っていたのですが、
コンビニに寄った際、ヘリコプターの音がしたので、仏果山方面を見ると
救助ヘリが飛んでいるのが見えました。
落ちた場所は木が多かったので、その間から救出するのはさぞ大変だったと思います。



夜、息子からのメールで、救助に向かう救急隊の写真が
ツイッターに投稿されていたことを知りました。



タンカーで運び出そうとしたのでしょうが、救助できなくて、
ヘリの出動となったのもしれまれません。
新聞には出ていませんでしたが、軽い怪我で済むよう、祈るばかりです。
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③荒崎・潮騒のみち

2018-04-20 | 関東ふれあいの道・神奈川県

再び三崎口駅に到着12:24。

「荒崎・潮騒のみち」の起点は矢作入口バス停だ。
バス停は三崎口駅から2つ目なので、歩いても良いのだが、
気温が上がり、疲れてきたのでバスを利用した。
三崎口駅→矢作入口(IC運賃:186円)



矢作入口バス停には12:35頃に着いたのだが、
写真右の道標が見つからず、夫が探して来るからと、
バスの道を戻って探しに行った。
私は少し戻ったところで待っていたが、
気になるのでまたバス停に行くと、道標はバス停より少し先にあった。
急いで元の場所に行き、夫に手を振って戻るよう促した。
やっと荒崎に向かう道を探したが、ここで15分はロスした。
やはり地図を忘れると駄目ですね。



15分位歩くとお寺があったので寄ってみた。



円徳寺 
日蓮宗のお寺だそうで、お寺の周囲には沢山のお墓があった。



和田長浜海岸
円徳寺から2~3分で海岸に出た。
名前の通りの長い砂浜を歩かなければならない。
砂浜歩きは足がとられて歩きにくいので昔から苦手。
疲れが倍増した感じだ。



遠くで時代劇の撮影をしていた。
ズームで撮ったが、現場を通り過ぎるとき、
スタッフのポケットに入った台本を見ると『鳴門秘帖』と書かれていた。
先週のNHK大河ドラマの『西郷どん』の放送終了時に宣伝されていた
BSプレミアムで放送されるドラマのようだ。
俳優さんの声が聞こえたが、舞台のように大きな声で、
台詞を言っているので驚いた。





まだまだ、先は長い。



佃嵐崎あたりに来ると、岩がゴツゴツしているが、
砂浜よりはずっと歩きやすい。



ソレイユの丘の観覧車が見える。

ソレイユの丘は、横須賀市西部、長井地区の小高い丘の上にある公園で、
長男孫のKが3歳頃、一緒に遊びに来て、ボール遊びをしたり、
ゴーカートに乗って遊んだ、楽しい思い出がある。
あの頃は観覧車はなかったが、いつからできたのだろう。



海岸線の道は、車道歩きと異なり、道標が多いので助かる。
ここ、お仙ヶ鼻からは、漁港をまわり、
特養ホーム(白い建物)の横から高台に登り、



すぐに階段を下りるが、その階段(写真左上)を探すのが
少し大変だったことを除けば、実にスムースに歩くことができた。
コンクリートで囲まれた階段を下り切ると、
(写真下段)のような眺望があり、小さな弁天島も見える。
(写真右上)の階段は(写真左上)の続きで、砂浜まで繋がっている。



エイコラサッと!



荒崎の弁天島。
踏破記念の撮影ポイント



荒崎海岸



十文字洞



14:36荒崎公園に到着 
最初にロスした時間も含めると2時間歩いたことになる。

さて、これからはまた、私の苦手な車道歩きとなる。
荒崎公園を出て400m歩くと、荒崎バス停なので、三崎口駅まで
バスに乗って帰りたいところだが、そうもいかない。
長井漁港を経て高等工科学校前までの4km、
頑張らなくちゃ



熊野神社



海を見ながら長井漁港へ向かって歩いて行くが、
長井漁港にはなかなか辿り着けない。

4つの漁港を経て



やっと長井漁港に着いた。
歩道の花壇のガザニアがとても綺麗だった。



長井郵便局の先を右折し、国道134号線へ向かう。
コンビニに寄って、トイレを借り、
甘いものを食べてエネルギーを補給。



ここまでたどり着くのがほんとに長かった。



陸上自衛隊工科学校に到着。



「荒崎・潮騒のみち」完歩。
ここからはJR横須賀駅、JR逗子駅にもバスが出ているが、
疲労回復のためにも、座って帰りたいので、
始発駅である京急・三崎口駅に行くバスに乗った。
高等工科学校前バス停→三崎口駅13分(IC運賃238円)



この日一日の総歩数 30.899歩  21.4km 1.081㎉
よく歩きました。
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②油壷・入江のみち

2018-04-19 | 関東ふれあいの道・神奈川県
4月16日(月)
関東ふれあいの道・神奈川県②油壷・入江のみちと
③荒崎・潮騒のみちを夫と歩いた。
車を駅近くの駐車場に止め、下記の電車に乗り、
京急終点の三崎口駅に向かった

海老名08:11~横浜08:37(相鉄本線特急)
横浜08:45~三崎口09:42(京急本線特急873円)



京急・三崎口駅と乗ってきたリラックマトレイン

駅前のコンビニで食料品などの買い物をし、
09:57発三崎東岡行に乗った。
このバスはスタート地点(三崎港)の1つ手前が終点なので、
三崎港まで歩くことになった(バス代IC運賃247円)



スタート地点の案内板には、三崎港から西海岸づたいに
市道と県道を通って油壷バス停まで歩くと書いてあった。
ここで、肝心の地図が書かれたパンフレットを忘れたことに気づく。



三崎港

案内板には次の歌舞島公園まで500mと書いてあったが、
その付近に来ても歌舞島公園は見当たらない。
住宅地の中も少し歩いたが、仕方なく、そのまま進む。



忘れたパンフレットの地図

歌舞島公園は小高い丘の上にあったようだ。
桃林布袋尊の見桃寺や県指定の天然記念物・漣痕(れんこん)も見逃していた。



道端に咲いていたダッチアイリス

Saas-Feeの風さんのブログでは、毎年綺麗なアイリスの
写真を拝見しているが、実物を見るのは初めて。
思っていた以上に草丈があった。



マーガレットの株の大きさに驚く。
大きな鉢植えを何鉢も玄関前に並べているお宅もあったが、
それも見事だった。



しばらく油壺方面の半島を見ながら海沿いを歩く。



ここで初めて関東ふれあいの道の道標を見る。



ドーンと音がするので近くを見ると
木枠の船がクレーンで持ち上げられていた。
どうやら新しいボートを作る模型が外されたようだ。



木枠の船の左側の白いボートが新しい船。
近くの漁師さんによると、プラスチックなどの固い樹脂が
何度も塗られて、ボートができるようだが、
どうして木枠がすんなりと抜けるのか、まだ訳が分からない。



海岸沿いの道を離れると、
南国ムード漂うヤシの木が立ち並ぶ交差点に着く。
登り坂が続く。
その先に陸橋があり、陸橋をくぐると坂下に諸磯湾が見える。



八重桜が綺麗!



諸磯湾のヨットハーバー



油壺湾ヨットハーバー
下に降りて踏破記念に必要な人物入り証拠写真を撮る。



道路から見た油壺湾ヨットハーバー
意外とこじんまりとしていた。



また海の見えない一般道を歩く。
高い石垣から垂れて咲く、ヒメツルソバが見事。



ヒメツルソバ



ゴールの油壺バス停
少し足を延ばして油壷マリンパークまで歩くことにした。



バス停近くのマーガレット
これで一株とは羨ましい。



東京大学三崎臨海実験所ではフェンスに沿ってたくさんの椿が
植えられていた。その中に初めて見る椿があったので

右は桐の花。
昔は女の子が生まれると桐を植えると聞いたことがあるが、
最近は見かけることが少なくなった。



レッドロビン(ベニカナメモチ)の花
よく生垣で見る木だが、花を見るのは初めて。
見上げるような高さで咲いていた。
「こまめに刈り込みをすれば、こんなことにはならない」
とは、花の名前を聞いた庭師さんの弁。

マリンパークの周りを歩いたあと、海岸に降りようと思ったが、
次のコースはこの倍以上歩かないといけないのでやめた。
ベンチがあったので昼食。
マリンパーク発12:09のバスに乗り、三崎口駅には12:24に到着した(IC運賃:268円)
ウロチョロ時間が多かったので、思いのほか時間がかかった。

③荒崎・潮騒のみちに続く
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⑯大山参り蓑毛のみち・蓑毛に咲く花

2018-03-30 | 関東ふれあいの道・神奈川県

3月28日に更新した「大山参り蓑毛のみち」では
山や里を彩る素敵なお花たちにも出会えました。
今回はそのお花たちのご紹介です。



民家に咲いていた椿・絵姿
絞りだけでなく、枝変わりの白花も紅花も一緒に咲いていた。
座間市の星谷寺では、五色咲き分けの椿があったことを思い出す。
今も咲いているだろうか。



山中に咲いていたミツマタ



林道に咲いていたヤマブキ
その名の通り、ヤマブキ色の花が咲く。



石垣の上に咲いていたエニシダ



林道に咲いていた日向ミズキ
小さな独特の花が沢山ぶら下がって咲いており、面白い。



野道に咲いていたハナニラ
小さな花ならではの群生美。



蓑毛バス停のコブシ
コブシといえば思い出すのが、千昌夫の「北国の春」
義母が大好きな歌だった。


本日は都合によりコメント欄を閉じさせていただきます。
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⑯大山参り蓑毛のみち

2018-03-28 | 関東ふれあいの道・神奈川県

3月24日(土)
「『関東ふれあいの道』を歩くのならコース順でなく、
難易度の高いコースを先に歩いておいた方が良いんじゃない」
という息子の提案で、今回の『関東ふれあいの道』は、
難易度3の「大山参り蓑毛のみち」に決定した。
息子はそのコースを利用してトレイルランの練習をするそうだ。

家を出たのは08:18
国道247号線を下り、秦野・名古木の信号を右折。
県道70号線(秦野清川線)を約6㎞ほど走ると蓑毛バス停に着く。



夫と私はスタート地点の秦野市蓑毛のバス停🚏で車から降り、
息子は到着地点の日向薬師付近の駐車場に車を置き、
私達とは反対に日向薬師からスタートし、コースを往復するとのこと。



蓑毛バス停~蓑毛越~大山阿夫利神社下社~見晴台~日向薬師バス停
標高310m-652m-678m-769m-131m(8.7km)
寄り道が多かったので実際は19.1km 27.584歩 965㎉

大山は標高1252mありながら、ケーブルカーを利用して気軽に登れる
丹沢入門の山として知られている。
37年前、娘が小学校一年生、息子が幼稚園年少さんの時、
ケーブルカーを使わずに山頂まで登ったが、そのしんどさに参ってしまい、
私を登山から遠ざけるきっかけの山となってしまった。
今回は見晴台までなので、再チャレンジとまではいかないが、
標高差が高尾山よりあるので手ごわそうだ。

「大山参り蓑毛のみち」へ進む前に、
宝蓮寺大日堂へ。 
ここは「⑮弘法大師と丹沢へのみち」の撮影ポイント。
バス停よりほんの少し先の右手にあるのに、間違えて下ってしまう。
15分ほどロスタイム。



大日堂仁王門
大日堂
大日堂の裏手の御嶽神社

宝蓮寺大日堂では15分見学
詳しいことは神奈川県のHPでどうぞ

大日堂から戻って、あらためてスタート(09:43)



沢沿いの道を進み、ヤビツ峠との分岐を右へ(09:49)



標高652mの蓑毛越えまで、杉並木の中を、辛い登りが続く。
途中、林道を3ヶ所横切る。
蓑毛越えのベンチでしばらく休憩・下社に向かって出発(10:55)



しばらくは、左側に石垣が積まれた緩やかな道が続く。
途中で日向薬師から走ってきた息子とすれ違い、
この先には崩落箇所などの危ない道もあるので注意するよう言われる。
冬眠から目覚めたヒキガエル出会ったときにはびっくりしたが、
よくよく見ると可愛い。
キツネやタヌキに食べられないようにするんだよ~



大山阿夫利神社下社に到着(11:45)
参拝し、御朱印を頂き、しばらく休憩してから
参道の階段を下り、茶店の(手前)脇を左に曲がり二重の滝へと進む(12:10)



大山阿夫利神社からの眺め
お天気が良ければ、房総半島、伊豆半島、大島も見渡せたはず。



二重の滝(12:20)
今回の撮影ポイント。



滑落防止のワイヤーロープがしっかりと張られていた。



見晴台(標高769m)
着いたときは雲の中だった大山山頂が顔を出した。
途中で行き会った人から聞いたのだが、山頂は20㎝の積雪があるそうだ。
阿夫利神社の裏手の登山道から、大勢の子供たちが
大山に登って行く様子が見えたが、どうしただろうか。

ここでおにぎりなどの昼食をとる。
蓑毛バス停まで走り、戻ってきた息子も合流。
蓑毛越からの下りは足元が悪くて(前夜が雨)走れなかったそうだ。
息子はお菓子だけ食べて、終点に向けて走り出した。

ここからは標高差638m、4.2kmの魔の下りとなる(12:50下山)



と言っても、
しばらくは明るい尾根道下りで、楽ちん、楽ちん!
ミツマタが綺麗(13:00)


勝五郎地蔵(13:08)

勝五郎地蔵は、江戸時代末期の嘉永6年(1853)に
日向の石工であった勝五郎が建てたもので、高さは約1.7mある大きな石像です。

勝五郎は、信州高遠の石工からその技術を伝えられた地元で最初の人で、
勝五郎地蔵は日向の石工の歴史を語る記念碑的作例といえるそうです。

ここから先は急なつづら折りの坂道。
7年前に、一度傷めた左膝をかばって歩いたので
写真を撮る余裕もなし。



やっと林道に着く(14:00)
林道の脇に咲いていたギブシに和まされる。
息子から電話があり、調子悪ければここまで車で迎えに来るとのこと。
左膝は少し違和感はあったものの痛みはない。
頑張って最後まで歩くと息子に伝える。



この橋を渡ってしばらくすると「日向ふれあい学習センター」
まで下り、日向林道(車道)に出る(14:20)



車道に出ると急に元気に!
周りの景色を楽しみながら日向薬師バス停に向かって歩く。
花は咲きかけたヤマブキ。



曹洞宗 雨降山 石雲寺
伝承では養老2年(718)開創。山号は大山寺と同じ雨降山。
延徳元年(1489)天渓宗恩が曹洞宗の寺として開山。
かつて日向川の対岸に石尊宮があり、霊石・雨降石が祀られていた。
現在は本堂前に祀られている。



境内



境内



大友皇子の墓



石雲寺・満開の李



(伝)大友皇子の墓

日向渓谷の日向川に沿って歩いていると、
案内板を目にしたので寄ってみることにした。
この日は伊勢原市の春の文化祭とのことで、
ボランティアのガイドさんによる説明を受けることができた。

大友皇子の遺言で、墓所には一本の松が植えられていただけだったが、
後に五層の塔が建立された。
現在、五層の塔は石雲寺に移され、
小さな五輪塔がレプリカの五層の塔を囲むように置かれていた。

大友皇子は古代最大の争いと言われる【壬申の乱】に敗れ、
この地に逃れて隠れ住み、没後ここに奉葬されたという伝承がある。

君津市の俵田にある白山神社にも同様な伝承が、
愛知県岡崎市小針町にある小針1号墳が皇子の陵という説などがあるが、
最も事実に近いのは宮内庁により、滋賀県大津市御陵町にある
長等山前陵に治定されている陵と言われている。



浄漁発願寺の三重塔
竣工:平成12年10月

こちらでもボランティアガイドさんの説明を受けることができた。

浄漁発願寺は江戸時代初期に天台宗の弾誓上人に
開山された天台宗寺院で、徳川家や佐竹、藤堂などの大名の保護と、
庶民から雨乞いの信仰を集め繁栄した。
もとは、山の奥にあったが、1938年(昭和13年)
の台風の被害により現在地に移転した。



奥の院から集められた石碑や、新しい石碑が混在していた。



男の駆け込み寺と言われているそうだ。



日向薬師 薬師堂(本堂)
奈良時代初頭の霊亀2年(西暦716年)に、僧行基により開山された



日向薬師・山門と鐘楼



日向薬師は「⑩「太田道灌・日向薬師のみち」の終点、
「⑪巡礼峠のみち」のスタート地点にもなっているそうだ。
この長く険しい階段を上っている時は、今回のコースには含まれていないので、
引き返そうとも思ったが、最後の力を振り絞って上った。



日向薬師・境内



大山阿夫利神社と日向薬師の御朱印

日向薬師の名前は聞いたことがあったが、
もし、『関東ふれあいの道・神奈川県』を歩く計画を
立てなかったら、一生訪ねることはなかったかもしれない。
長い参道の階段を下りる最後の最後に、
古傷の左膝に痛みを少しだけ感じてしまったが、
やはりこの計画を立てて良かったと思った。

膝の痛みは長引かず、翌々日の月曜日は卓球ができたし、
火曜日は東京の目黒川までお花見にも行けた。
難易度4の「丹沢山塊東辺のみち」が気にならないと言ったら
嘘になるが、体調を整えて、挑戦してみたい。

寄り道をしすぎて、帰路についたのは4時半ごろだったが、
楽しく、達成感のある一日を過ごせた。

息子はあっという間に見晴らし台から下り、
スマホで私たちが最後まで歩くとの返事を聞いた後は
車の中で寝て、待っていたそうです。
コメント (12)
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①三浦・岩礁のみち 寄り道・三浦海岸さくらまつり

2018-03-08 | 関東ふれあいの道・神奈川県

京浜急行の線路沿いから小松ヶ池公園にかけて植えられている
河津桜がちょうど見頃とのことなので、
「三浦・岩礁のみち」を歩いたあと、立ち寄ってみた。

河津桜は大島桜と寒緋桜の自然交雑種で、染井吉野より花色が濃く、
花期が1ヶ月と長い、早咲きの桜である。

三浦の河津桜の歴史は浅く、
2000年に 伊豆河津町から譲り受けたものを、若者が少なくなった
地元の町おこしとして 三浦海岸まちなみ事業協議会が植樹運動を始め、
桜まつりは2002年から開催されるようになったとのことだ。




満開❣
駅前のさくら



こぼれんばかり( ^ω^)・・・



他は7~8分咲きであろうか。



葉の花は開花時期をずらして植えられており、
咲き始めたばかりのところもあった。



さくらと菜の花のコラボ







菜の花の写真を撮っていたら京急の電車が写りこんでいた。



橋の上では電車と桜のコラボを撮るため、多くの人が電車が来るのを待っていた。







小松ヶ池公園





小松ヶ池公園から駅に戻る途中の畑で、この日初めての三浦大根を見る。
やっぱり三浦大根は大きい!
「桜まつり」は3月11日(日曜日)まで延長されたそうだ。

この日の1日の歩数は28659歩、19.9km。
満足満足
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①三浦・岩礁のみち(後編)

2018-03-06 | 関東ふれあいの道・神奈川県


11:40
江奈湾

ここからは江奈湾を左手に眺めながら、県道215号の歩道を歩く。



ヒジキと手漉き海苔
磯の香と味わいがたっぷり詰まって美味しそう。



江奈湾周辺の植物
マーガレット、アロエの花、金盞花、木瓜、日本水仙
ゴムの木が外で育つとは驚きだ。



ゴミ捨て場の近くの庚申塔
三浦市は庚申塔の宝庫のようだ。



干潟の看板
干潟は江奈湾の西側にある。



今は満潮に近いらしく、干潟を目にすることはほとんどできなかった。



カモとシラサギ



江奈湾と別れ、
右側のガードレールに挟まれた旧道を上って行く。
「ここは三浦マラソンで走った道」と夫、
坂上りが苦しくて覚えていたのだろう。

坂の途中で右手の畑を見ると、殆どがキャベツに植え替えられていた。
三浦半島で生産されている野菜は
大根(三浦、青首)、キャベツ、スイカが栽培サイクルのようだ。



12:14
坂を上ってしばらく歩くと、
馬頭観世音と毘沙門天を指す旧い道標の石碑があった。
旧い道標には"是より二丁"とある。
二丁ってどれくらいの距離なのだろう。

ここを右折。



夫はお腹が空いたらしく、リュックから🍙おにぎりを
取り出して食べ始めた。

車が1台やっと通れるほどの農道のような道を7~8分歩くと
道が二股に別れる。
下り坂の右側の道を進む。



道の両側は篠竹で覆われていたが、所々に藪椿があり、
綺麗な花を咲かせていた。



しばらく歩くと左側に「白浜毘沙門堂」があった。
白浜毘沙門天は三浦七福神の一つだそうだ。



狛犬

少し下ると白浜毘沙門天海岸に出た。
この付近は釣り人が多く、車が10台ぐらい止まっていた。



毘沙門海岸
近くには弥生時代の住居跡として県の指定史跡にもなっている毘沙門洞窟が
あったようだが、見つけられなかった。



笹が枯れていると夫が言うので近づいてみるとごみで一杯。
漂着物かと思って引っ張ってみたが、土の中にしっかりと入っている。
ピンクのしっかりしたビニール袋(やさいと書いてある)には
小石や何かの道具の一部のようなごみが入っている。
これは不法投棄に違いない。
崖が崩れた部分を見ると、笹の根にごみがいっぱい絡まっている。
写真の撮り方が悪く、あまり写っていないが、草木が生えている陸続きの奥の方には、
不法投棄されたようなごみがたくさん捨てられていた。
岩礁の道はどこも綺麗だっただけに残念。





コンクリート製の飛び石は怖くはないのだが、その先の細い道が怖い。
右側は垂直に近い崖、左は海。
ほんの数メートルだが、海側につかまる棒が1本でもあったら助かる。



お腹もすいてきたし、トビも飛んでいないので
この少し手前で、残りのお弁当を食べ、出立。

もたもたしている私を待つ夫。
毘沙門湾まで、あと一息だ。



昔、この建物の前で家族で釣りをしたという夫。
私は全く覚えていない。
私だけ来なかったんじゃないの?



カモメ



湾内の道を歩く。
先の方で、高架と、港の西へ向かう細い道に分岐するが、
高架には進まず、湾に沿って歩く。



港の堤防脇からまた岩礁歩きが始まる。



落石



盗人狩の説明版



歩いてきた道を振り返る



盗人狩近辺の風景ををまとめてみた。



宮川湾だ!
風が少ないので風力発電のプロペラはほとんど回っていない。



ヨットハーバー



漁港

ここからあと300mでゴールだが、ずっと登り坂。
頑張って歩こう!



14:29
ゴールの宮川町バス停に到着。
バスは1時間に1本しかないのだが、運よく14:39の三浦海岸駅行に乗れた。
駅には15:15に着いた。(バス代430円)
家を出てからここまでの歩数は20.701歩だった。

天気が良く、途中からは暑すぎるほどだったが、滞りなく歩けた。
ただ歩いている時、いちいち地図を見るわけではないので、
通過ポイントの一つ、「毘沙門児童公園」に立ち寄るのを忘れてしまった。
また、神奈川県の全コースを踏破すると、認定証が交付されるのだが、
各コースの定められた撮影ポイントで申請者自身の写真を提出しなければならない。
その場所である「盗人狩」で撮影するのを忘れてしまったのが残念。
(その近くの標識のある場所で、写した写真はあるのだが)

体は疲れ、両足の親指に水膨れができ、歩くのも辛かったが
トライして良かった。
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①三浦・岩礁のみち(前編)

2018-03-04 | 関東ふれあいの道・神奈川県



2018年2月27日(火)晴
9:30
京急三浦海岸駅着

早咲きの河津桜が美しい。
ちょうど「三浦海岸桜まつり」開催中で、
駅前には地元産の野菜や魚介類を売る屋台や
本マグロの直売所が出ていた。
時間があったら、帰りに立ち寄ってみよう。



9:44
剱崎経由三崎東岡行に乗車(バス代260円)

スタート地点の松輪に行く三浦海岸駅のバス停は、
改札口を出て右手の駅下をくぐってすぐのところにある。
乗り場は②、バス系統34.35



少し走ると海岸に出る。
三浦国際市民マラソン大会が近いらしく、
それを知らせる旗がたなびいている。
夫は40代から50代の頃、この大会に10回出たそうだ。
参加賞で貰った大きな三浦大根を思い出す。
「あの砂浜で着替えをしたんだよ」
「混雑していて、帰りの電車に座れなかったのが辛かった」等と夫。
月日の経つのは早いものだ。

10:00
約15分で松輪バス停に到着





バス停から少し戻ると交差点があり、
右折したところがスタート地点となる。
(↑の写真がそれを示す看板)

10:10
交差点の向かい側のヤマザキデイリーストアでおにぎり等を買い
ウォーキング・スタート



三浦半島といえば三浦大根で有名だが、
今ある大根は、ほとんどが青首大根だった。
大根の収穫が終わった畑は、キャベツに植え替えられ、
白や青のネット掛けられていた。
夏は一面のスイカ畑になるそうだ。
(ヤマザキデイリーストアの裏から写す)



かすかに見える陸地は房総半島。



間口漁港に向かう道端には猿田彦大神の石碑や庚申塔などが多く、
写真以外でも何か所かで見られた。

猿田彦大神は昔、神様の先導を務めたことから道の神、
旅の安全を司る神様として、庶民に愛されてきたそうだ。

庚申塔は、中国から伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて
建てられた石塔のことで、庚申講に参加する人々によって、
死後の安楽を願って造立された。
60日ごとにめぐってくる庚申の日に、その夜を眠らずに過ごして、
健康長寿を願うというもので、
江戸時代以降に農村で流行した庶民信仰とのこと。



霜が降りないせいか、マーガレットなどが生き生きと咲いていた。
(我が家のは今にも枯れそうで元気がない)
道端のオキザリス・セルヌアも綺麗。



10:30
間口漁港に到着。
漁港をぐるっと回ると、南端の防波堤の脇に小さな隙間(入り口)がある。



中に入ると海岸で、ここから江奈湾までの3㎞は岩礁歩きとなる。
目の前の小さな灯台は間口港灯台。



右手前方の岬には剱埼灯台(つるぎさきとうだい)が見える。
剱崎灯台は、1866年(慶応2年)に、アメリカ・イギリス・フランス
オランダの4か国と結んだ江戸条約に基づき、
明治政府が 1871年(明治4年)に設置したもので、関東大震災後に再建された。

剱埼灯台と対岸の千葉県館山市の洲埼灯台までを結ぶ線が浦賀水道で、
東京湾と太平洋の境界となっている。



10:42
剱崎の碑

地名は1660年頃、徳川幕府の官財を積んだ船が難破し時、
岬の突端から、海南神社の官主が剣を海に投じ、
龍神の怒りを鎮めたことから生じたといわれている。
神奈川の景勝50選に指定されている。





海水の浸蝕でできた洞窟なども数多く見ることができた。







右側の橋は幅が狭く、渡るのが怖かった。



猫の鳴き声がするので、辺りを見回すと釣り人がいた。



一瞬のシャッターチャンス!
頬が白いのでホオジロだろうか?



漁船が数隻だけの小さな入り江もあったが、ほとんどが起伏の激しい岩場。
トレッキングシューズを履いてきたのは正解だった。
暑くなったので、夫はダウンを脱ぐ。
海は雄大だが、シニア夫婦には景色を楽しんで歩く余裕はない。
「岩礁の道」とはよく言ったものだ。



11:30
江奈湾だぁ~~~
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関東ふれあいの道 

2018-03-02 | 関東ふれあいの道・神奈川県

神奈川県の小さな山を歩いているとよく目にするのが、
「関東ふれあいの道」という道標。
どのようなコースを辿る道なのだろうとネットで検索すると、
関東地方、一都六県をぐるりと一周する長距離自然歩道と書いてある。
関東一円は無理としても、せめて神奈川県だけでも歩きたいものと、
約2年前、神奈川県自然環境保全センターにパンフレット(2部)を取り寄せた。



送られてきた全17ルートコースマップを見ると、
各コースの概要や撮影ポイント、難易度(1~4)が示されている。
足に自信のない私は難易度の高い場所から目を通したが、
「丹沢山塊東辺のみち難易度・4」は、もはや登山だし、
「大山参り蓑毛のみち難易度・3」も、一人で歩き通せるかどうかわからない。
と言うことで、そのままになっていたのだ。

息子が来たとき、トレイルランの話になり、
そろそろ近くの低山で練習を始めるので、一緒に行かない?
という誘いがあった。
もちろん行動は別だが、歩き終わった時点で息子に連絡すれば、
その場所に車で迎えに来てくれるとのこと。
練習コースの参考にと、「関東ふれあいの道」のパンフレットが
あったことを思い出し、息子に1部あげた。
その日は、それ以上に話は進展しなかったが、
夫から突然、「関東ふれあいの道」を歩きたいとの話があり、
すぐに決行を決めた。

歩いたのは2月27日(火)
三浦海岸の河津桜が、見頃を迎えているというので、
①の三浦・岩礁の道から順番に歩くことにした。





「三浦・岩礁のみち」は三浦海岸の先端部を歩くコースで
コースは10.3km 所要時間は3時間だそうだ。
難易度は3

結果だけ先に記すが、バス待ち時間、ランチタイムも含めて
京急三浦海岸駅に着いて(9:30)から、駅に戻るまで(3:15)が5時間45分。
ここまでの歩数が20701歩。
けっこう厳しいコースだった。
お花見から家に帰るまでを含めると、歩数は28659歩、19.9km。
これは私のウォーキングでは最高記録かもしれない。
詳しいことは次回の記事で。
コメント (4)
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