お寺さんぽ Ver.03

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秋篠寺 その2 (奈良)

2007年12月01日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は奈良は「秋篠寺」です。

えー元旦早々から二日休む羽目になってしまいました。
何があったのか、時間あったら跡地の方にでも書きたいと思います。
すみませんでした。

さて、ここはブログ開始当初にやりましたが、その頃と書き方変わったのでもう一度。
…というか、「太元帥明王」書いたからオコボレ記事なのよ。
(※「太元帥明王」記事はまた後で紹介します)

宝亀七年(776)
奈良時代。
「光仁天皇」の勅願により、開山は僧正「善珠大徳」でした。
完成したのは平安遷都とほぼ同時期だったようです。

なお、噂の神様「太元帥明王」を日本へ連れて帰ったのが「小栗栖常暁(おぐるすじょうきょう)」こと常暁さん。
なんでかは調べつきませんでしたが、常暁さんが道場として選んだ地が奈良の「秋篠寺」でした。
…そこの井戸で「太元帥明王」のお姿を見てびっくりした以後、霊地とされるのでした。

えー、井戸をのぞいた常暁さん。
水底に見えた自分の影を眺めるうち、”その背後に長大なる憤怒の形影”が重なったのです。

まるでホラー映画ですね。
嘘か妄想か、たんなる疲労かは知りませんが、ともかく「太元帥明王」を見たのですよ。
こうして、明王の由緒を持つ真言密教の道場として栄えるのでした。
なんでも言ってみるもんです(笑)

保延元年(1135)
平安時代後期ですか。
この頃の兵火に遭って、講堂などの一部以外、主要伽藍などなどが全焼してしまうのでした。
それから鎌倉時代から室町時代、さらに戦国時代など、本堂や諸尊像の補修・その他復興造営されていたようですが、権力者からの保護も少なかったのか、あまり成果はなかったようなのです。
そのまま、明治時代まで寺領の大半を失ったままでした。

なお、現在の国宝・本堂は鎌倉時代の大修復によるもので、元々は金堂だったそうです。
平安・鎌倉期の仏像がずらりと並ぶ良いお寺なんですが…白黒でやたら小難しいパンフレットをどーにかして下さい。
ちょろっと読むだけで凄まじい眠気に誘われますよ。


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