定年までは、起きると家内が作ってくれた朝食が待っていた。それが今では、家内が起きてくるのを自分が作った朝食が待っている・・・
何かの拍子で作り始めた朝食だが、こんなに長く続くとは思ってもいなかった・・・
「ワー 美味しそうやなあ!」という毎朝の家内の「おだて言葉」に悪い気はしない
「よう出来た旦那やなあ。羨ましい・・・」との、ときたま伝わってくるご近所さんの褒め言葉も心地いい
子どもを育てるにも、部下を育てるにも、「人づくり」の心得は「8割褒めて2割叱る」ことだと言われている。「叱る」は、感情まかせの「怒る」とは違う。頭でわかっていても実践するのは容易ではない。悪口や批判は容易にできても、褒めるのは普段から意識していないとできない。
「褒められて、悪い気がする人はいない」
自分の朝食づくりが続いているのは、作りたいからではない、作らなしゃーないからでもない・・・ 家内やご近所さんの「おだて言葉」「褒め言葉」に乗せられている気がする・・・
最初は不慣れだった神輿の上も、乗り続けていると、今では当たり前のようになってきた・・・さて、いつ降りることになるのやら・・・育ててくれた家内やご近所さんに頭を下げずに降りる訳には行かなくなった・・・
<今日の朝食>
・・・マイ喫茶からの風景(今朝の6時半)・・・
<色づいた庭のクロガネモチの実>
<今朝は快晴で無風だった。街灯は消えたが陽はまだ昇って来ない。>