豪勢なメンチカツ・ランチの日々が続いた。
来る日も来る日も肉屋に通い、熱々のやつを買ってきた。当時の子供は本当に肉に餓えていた。
「お肉は美味いなあ!」
「そうだねお兄ちゃん!」
揚げカスも残さずに平らげたものだ。
また、食事に使った食器類はきれいに洗って収納しておくことも忘れなかった。どういうわけか、親にバレることを怖れていたからだ。
そうして怯えながらも誘惑に負け、毎日食べていたのだが、ある日、僕に変化が起こった。
毎日安いメンチカツを注文することに、突然恥ずかしくなったのだ。
肉屋のオヤジにはすっかり顔を憶えられてしまった。それである日、
「メンチカツ2枚下さい」
このお決まりの台詞を
「いつものカツ2枚下さい」
少々変更した。それで通じると思った。
ところがオヤジは胴間声でこう言ったのだ。
「カツは100円じゃ2枚買えないねえ。100円しか持ってないんだろ?」
恥ずかしかった。顔から火が出るとはあのことだ。
(大人はどうしてこんなひどいことを言うんだろ)
僕はメンチカツと言い直した。オヤジは鼻を鳴らして油紙に包んだ。
それから暫く経ったある日。
午前の番組『セサミストリート』を観ていると、妹が突然言ったのである。
「お兄ちゃん。八百屋でチョコフレーク売ってたよ」
「えっ、ほんと!?」
「うん。昨日、お使いのときに見たの」
森永チョコフレークは当時100円。これはビンボー家庭にとって高額だった。僕もお金持ちの松島君の家で初めて食べたのだ。
品のいい甘さのチョコレートがコーティングされ、囓るとコーンフレークのような歯触り。
駄菓子屋では到底味わえない優雅なものだった。
その日、僕らはリカちゃんとミクロマンを突き合わせて会議を行った。
「チョコフレーク食べたい。どうしても食べたい」
「そうするとメンチカツは買えない。おかずはどうする?」
「いいよ、お昼なしでも。チョコフレーク食べようよ」
「よし、買ってこよう!」
こうして幼い兄妹は、初めての衝動買いを経験することになる。
チョコフレークの包装を開いたとたん、六畳間に夢のように香ばしい匂いが広がった。
「すごいすごい! 美味しいねお兄ちゃん!」
「ゆっくり食べるんだぞ。一つずつだぞ」
残り少なくなってくると、チョコレート部分をまず舐めて堪能し、その後フレーク部分を食べるという2段階摂取方法を用いた。
しかし、しょせんは餓えた子供に1箱である。饗宴はすぐに終わってしまった。
「お兄ちゃんお腹空いたよお。何か作ってよお」
「何もないよ、どうしよう」
「グラハム・カーの世界の料理ショーみたいなの食べたいよ。お兄ちゃん何か作ってよ」
妹は涙を流している。無駄遣いをしてしまったという罪悪感まで沸いてきたのだ。
「もう絶対お菓子は買わないことにしよう。指切りな」
「もう買わないよお~。うわ~ん」
「うわ~ん」
グラハム・カーへの道程はまだまだ遠い。
『チャイディーな世界』“テキーラトニック”~にトラックバック。
夏は白物ですよねdii-chaiさんっ! 凍ってますえ。ちなみにゴードンさんの回し者ではないです。
日曜の午後。開け放った窓から、誰かが吸っている煙草の匂いが流れてくる。わずかだが風が出てきたので、エアコンはとめてある。
掃除も終わった。シャワーも浴びた。日干ししている布団が白く輝いて眩しい。夕方にはふんわふわだろう。
『だから、事件についても僕についても忘れてくれたまえ。だが、そのまえに、ぼくのために〈ヴィクター〉でギムレットを飲んでほしい。それから、こんどコーヒーをわかしたら、ぼくに一杯ついで、バーボンを入れ、タバコに火をつけて、カップのそばにおいてくれたまえ。それから、すべてを忘れてもらうんだ。テリー・レノックスのすべてを。では、さよなら』
参考文献:ハヤカワ文庫『長いお別れ』レイモンド・チャンドラー 訳/清水俊二
まずは今日初めての一杯。鮮烈な青みが喉を通っていく。
もう一口。
混濁した意識が階層に収まっていく。順番。大事なのは、優先順位だ。
もう一口。
買い物は夜にしよう、とパキラが言った。そうだな、もう少しこのゆっくりした時間を楽しもうか。
酒の肴は風、記憶、笑った顔。
昨日(7/17)から築地の東劇で『ゴッドファーザーpartⅡ』が始まりました。いやあ劇場で観るとすさまじい映画ですねえ。100%楽しめました。74年の作品だそうで。デ・ニーロがマーロン・ブランドの声色まで真似ているのがすごいっ!
ちなみにこの劇場は場所柄のせいかあまり混みません。シートはわりと新しいけど昔の映画館の雰囲気がある、大きくていい劇場です。って撮影するなよ。
こいつは自分の過去記事『ゴッドファーザー』にトラックバック。意味不明♪
さて、夏休みの話しだ。
楽しい休暇であったが、一つだけ僕ら兄妹をずっと悩ませていた問題があった。それは昼飯である。
母親が出勤する際に、いつもパチンと音をさせて100円玉を置いていった。それで
「お昼を食べなさい」
こういうことである。
昭和40年代の話だ。今より物価はずっと安かったが、それでも一人50円は厳しい。僕らは知恵を絞る必要があった。
よく買ったのは50円のパンだったと思う。納豆やバラ売りの玉子を買ってきて、飯を炊いたこともあったはずだ。
そんな小学2年生の僕らが、ある日、画期的なおかずを見つけてしまった。1個50円のメンチカツである。
近所の肉屋で、昼前と夕方にコロッケやカツを揚げており、これがたまらない匂いを振りまいていた。
コロッケは時々食べたが、カツというのは未知の食べ物だった。どんな味かは知らぬが、
「最上等の食べ物であろう」
我々は思っていた。
そんな肉屋を、あるとき僕ら兄妹は、匂いにつられて偵察してみたのである。
価格表にはロースカツ70円、コロッケ45円とある中で、メンチカツ50円という表記を見つけた。
「お兄ちゃん、メンチカツってなあに」
「う~ん、カツの仲間かな」
「えっ、カツが50円なの?!」
「そんなわけないよな。でも誰か買うまで偵察しよう」
そうして生唾を飲みながら偵察していると、一人の主婦がメンチカツを注文したのである。
油紙に包まれるその大きさに目を瞠った。まさしくロースカツと同じに見えた。
「わあ! お兄ちゃんあれカツだよカツだよ。このお肉屋さん、間違えて安く売ってるんだよ」
「よし、明日のお昼に買おう」
「でもそんな贅沢なもの、子供に売ってくれるかな」
「お使いだって言えばいい」
「ママに知られたら怒られるよ。パパもきっと怒るよ」
「でもあれ食べたいだろ」
「うん、食べた~い」
「よっし。任せておけよ...」
そして、翌日の昼。
「僕はお使いで来た、僕はお使いで来た...」
呪文のように唱えながら肉屋を訪問。冷蔵ケース越しに店主を見上げて
「メンチカツ、2コ...ください」
もちろん咎められることなどなく、肉屋のオヤジはニコリと笑って熱々のメンチカツを渡してくれた。
「おーい! 買ってきたじょお!」
「うわあやったあ!」
妹は家で待機していた。
「もし捕まったらお兄ちゃんは走って逃げるけど、お前がいたら逃げられないからな」
なんて会話をしていたのである。
「世界の料理ショーごっこして食べよう」
「そうだねお兄ちゃん」
白い洋皿を出し、炊飯器の飯を盛った。フォークとナイフも出してきて、コタツテーブルに向かって正座&合掌。
「いただきま~す!」
そのメンチカツの、何と美味しかったことか。
一寸レバー臭い合挽の匂いも
「これが本物のお肉なんだ!」
納得したのである。
「フォークでご飯食べるのってカッコいいよね」
「アメリカ人みたいだ」
最近、この話題で妹とメールのやりとりをした。彼女からきたメールの一部を抜粋してみよう。
食べ物にお金を使うんだから別にいいはずなのに、なぜか「絶対内緒にしよう!」と怯えていたのを思い出す。そんなわけで買ってきましたメンチカツ。2人でご飯をいっぱいよそって、メンチカツひと口につき「ご飯半膳」って感じで食べたっけなあ。「匂いだけでもご飯が食べられるね!」とか言いながら。そんくらいおいしかったのね。「この世にこんなおいしいものがあったのか」ってくらい。今となれば貧乏もまた楽し、だよね。
だがある日、このささやかな幸せはあっけなく崩壊してしまうのであった。
夏休み!
子供にとってこれほどコーフンする時期はなかった。昭和の貧しき子供たちも、毎日が大イベントであった。
albero4さんが書いている通り、物質的に貧しい状況にいると、その分、想像力が発達するのである。だからdii-chaiさんの言うとおり、秘密基地が欲しくなれば、すぐに廃材を集めてきて作ってしまった。当時は空き地に木材や塩ビ管など、廃材がいくらでも落ちていたのである。
夏休みで真っ先に想い出すのはキケンな遊びだ。
爆竹を1箱買ってきて、まずは庭の蟻地獄などを吹っ飛ばし、破壊と殺戮を楽しむ。
友人宅の木の“うろ”になめくじの巣があったりするとコーフンした。さらにそこのお母さんが
「なめくじが出て困るのよね」
なんて、うっかり退治を依頼したら大変なことになる。
その日も、そんなうっかり母さんがいて、僕らは親公認とばかりに爆竹遊びを行った。
まずは全員で縁側の下に潜り込み、手で双眼鏡のかたちを作って目標を伺う。
「おい、爆弾はどこにある?」
「記憶にございません」
「ぎゃははは!」これは当時のロッキード事件のギャグだった。
「この作戦では何発必要か」
「はっ、敵は巨大なので10発は必要であります」
「20本使って原爆にしようぜ」
「Oh、モウレツ~」これは丸善ガソリン"猛烈ダッシュ"のギャグだ。
原爆というのは、爆竹を分解して火薬を取り出し、何本分かまとめて破壊力を大きくしたものだ。
肥後守で爆竹を裂くと、何枚もの新聞紙がぎゅうぎゅうに巻いてあって、その芯に銀色の火薬がわずかに入っている。それを集めて巻きなおし導火線をつなぐのだ。
導火線は1箱に1本、長いやつが付属していた。
「5、4、3、2、1・・・点火!」
その後の光景は言うまでもない。大惨事である。
張本人の僕らはというと、青白い煙と爆発規模に満足し、後片付けなどせず出掛けてしまう。
いや、ひどいものである。
2B弾というのもあった。これはクレヨンが細くなったような形状で、頭の部分を石などに擦りつけて点火する爆弾。爆竹よりも強力だったと思う。
点火して10秒で爆発するのだが、これをぎりぎりまで手に持って、爆発寸前で放り投げるというのが流行ったことがあった。いわば度胸試しである。
度胸試しというのは、男のあいだでは必ず行われるもので(大人になってからでもね)、普段おとなしい奴ほど挑むことが多い(大人になってからでもね)。
その日は、寺の近くに住んでいたあきら君がそうだった。
「お前なんかに出来ねえよ」誰かがけしかける。
「出来ますね」あきら君、まんまと挑発に乗る。
「出来ませんね」
「出来ますね」
「出来ないんですね」
「出来るんですね」
あきら君は小鼻を膨らまし、2B弾を取り上げ、足元にあった石に擦りつけた。シュッと煙が上がる。
「い~ち、に~い、さ~ん・・・」
彼はどういうわけか、すごいスピードで広場を走り始めた。ちゃんと円を描いて走るのは、やはり学校教育のたまものである。
「ろ~く、な~な・・・」
あきら君の頬が突っ張っている。緊張の極みに達しているのは明らかだ。
と、その次の瞬間。
「きゅ~う、あっ!」
彼はマンガのように“9”で転んでしまったのである。そして爆発音。
「お~い! 大丈夫か~!」
幸い2B弾は手を傷つけることはなかった。それよりも転んで肘やら頬を擦りむいているし、精神的ショックが一番大きい。
「すげえ、あきら君!」
「負けそ~!」
「イカすう~!」
あきら君は泣きべそをかきながらも、かろうじてとどまった。
こうしてみんなは大人の階段を登ったのだ。