目的地まで時速何百キロという速度でフッ飛んでいき、帰りは同じルートを半分寝たまま帰ってくる。途中通過した土地については何も見ていない...。実に忙しないのだが、これが僕の鉄道旅行のスタイルだ。そんな自分を恥ずかしくも思うし、テレビの“各駅停車の旅”みたいなものを観ては真似たくなる。
もう十年以上前のこと。田舎が共通の友人と、夏の夜に帰省したことがあった。仕事を終えてから待ち合わせて上野駅に行くと、仙台まで行く新幹線はすでに終了していた。
「まいったな、どうする」
「最終はまだあるけど、那須塩原までだって」
「そこから鈍行に乗り継ぐしかないか」
調べてみると、たしかに乗り継ぎの列車がある。
「おい、鈍行で行くというのも悪くないかもよ」
「ビールたっぷり飲んで、眠くなったら寝ちゃう」
「優雅ですなあ」
盆を過ぎた平日のことだったし、今の時代、鈍行列車などというものはガラガラに空いているだろう、と僕たちは目論んだのだ。
しかし、予想とは違ってその列車は凄まじく混んでいた。通路にも乗客が溢れ、疲れ切った人々は市場のマグロのように床に寝転がっている。まるで難民の移動である。
僕たちは人々の手足を踏んづけないように気を付けながら、ドアの脇にへばりついた。ほぼ直立のまま動けない。
「何だよこれ、まいったな!」
「ビールも飲めないぜ...」
その姿勢のまま、仙台までは何と八時間である。僕は早々に手持ちの文庫本を読み終わってしまい、車内の広告を二百回読み直し、壁のシミを四百回数えた。友人は勉強があると言い、参考書に逃避してしまった。
「何か持ってないのか。暇で死ぬ」
「何もないなあ」
「紙余ってるか」
「一枚だけなら」
友人から取り上げたレポート用紙に、僕は車内の様子を描写して書いていった。タイトルは『レバノン列車』だったと思う。出来うる限りの小さな字で、びっしりと。余白がなくなってくるにつれて恐怖に似た気持ちが沸き上がる。この紙がなくなったら、あとはどうやって過ごせばいいんだ?
幸い、最後の一文を書いたところで朝が来て、鈍行列車は仙台駅に到着した。僕たちはタクシーに乗り込むと、あとは死んだようになっていたのだった。
そうか、こんな経験があったから、僕は特急旅行をしているのだな。そうだそうだ、こうなるにはちゃあんと理由があったのだ。これからも迷うことなく特急旅行だあ。
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『篠田耕一のWebsite』“373系”にトラックバック♪ テレビ東京でもよく紹介されている特急伊那路号の記事ですぞ。