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くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

錯覚

2005-12-20 13:39:35 | エッセイ

xmasshibuya2300

 もうすぐ、楽しみにしていたクリスマスなのだけれど...。
 クリスマス寸前のこの期間、思考は何故かクリスマスを通り越してしまい、その先の大晦日と正月のことで一杯になっていることに、ふと気づかされるのであります。
 うっかりすると、本当にクリスマスが終わったあとのような気分~何となく気持ちが改まってくる、気が抜けて少し呆然とする~にまでなってしまう。そんな時は慌ててカレンダーを確認したりしております。
 そんな気分を過ごしてからの、本当の(?)クリスマスとはいかがなものか。
「やあ、とうとうやってきたぞ」と順当に嬉しいのか。
「あ、そう言えば今日イヴだった」と不意打ちで嬉しいのか。
 どっちにしても嬉しいんだったら、いいのですが。


xmasshibuya300

 普段は仏頂面している山手線の通勤客も、殺人的渋滞の首都高を走るドライバーも、この時期だけは表情が違っている。僕よりもずっと年齢が上の人々も、小さな楽しみを抱えているように見えるのです。気持ちにも余裕が出ていて、普段は決してしない席の譲り合いなんかやっているのです。
 クリスマス時期で一番楽しいのは、そういう街の人々の雰囲気だなぁ。


しんとして、冷たいけど、昂揚するところ

2005-12-11 13:20:13 | エッセイ

 実にひさしぶりのぐるぐるトラックバックであります。
『不埒な天国~Paradiso Irragionevole~』の“Il Colore del Cielo”に心底「ハッ...」とさせられ、さらにその記事のトラックバック先は『J'sてんてんてまり』の“なにいろのそら”だったのであります。

 何に「ハッ...」としたのかと言えば、それは

>飛行機の中から見えた
>いつまでも暮れない夕暮れの空

 と表現された2枚の写真なのでした。
 その写真を見た瞬間、拡大クリックするまでもなく、高高度を飛ぶジャンボの中の雰囲気を想い出したのです。
 さらに作者albero4さんの
>機体の外は凍りつくような寒さだから~(以下原文参照)
 という文章を読んで、その表現の妙に一人「そうそう...」と声を出してうなずく。僕ぁ飛行機など、たった一回の旅行でしか乗ってないけど、それはそれは強い記憶となって残っているのです。

 小さな座席でままごとのような食事をし、ソ連(当時)の上空ではカーテンを閉められたりして、延々何時間も過ごした特殊な空間。
 成田に向かう機上では、「ああ、このあとは日本に帰るだけなのだ...」とやや残念な気分だけれど、みんなが寝ている中で一人窓外を眺めると、雲の上の世界というのはいくら眺めていても飽きることがなかった。こここそが、死ぬほど来たくてたまらなかった、成層圏の世界なんだなあ、と。

 僕は学生のときにハンググライダーをやっていたのだけど、あれはいくら上空を目指しても、高空の雲の上までは行けないのですね。エンジンを持たないグライダーというのは、上昇気流に乗ることで上昇するのだけれど、その気流のてっぺんというのが低空の雲だからです。
 高く、高く どこまでも、どこまでも
 もっと高く もっと、もっと  さらに高みへ、空気が吸えなくなるまで(死んじゃうよ)

 おそらくそこは、神の領域なのですね。それが蒼い成層圏。

『J'sてんてんてまり』では、その蒼を連想させる青空の写真が載っています。でっかい空であります。
 唐突に、こんなインスパイアを楽しめるのが、ブログの面白さでありますねぇ。


追:そうそう、ヒコーキと言えばこの人、dii-chaiさんであります! 何となれば『チャイディーな世界』“空の上から”にもぐる~っとトラックバック。こちらの航空写真も「いやっほう」です!


秋はひたすら感傷的になるが、

2005-12-05 15:14:03 | エッセイ

 冬になると、少し現実的になる。そんなことを、さっき、ふと思った。
 それは例えば、秋の切なさは、悲しい思いをした自分を哀れんで切くなる、というような歪んだ自意識なのかもしれない。それに対して冬の切なさは、子供がうんと寒がっているのに灯油を買う金がないとか、雨が降っているのに傘がないとか、そういうことかも知れない。
 冗談はともかく、気候が寒くなってくると、自分勝手な気持ちはだいぶ引っ込むのだ。そうして他人の好意や協力に、素直に感謝したりするようになる。少なくとも僕の場合。

 先週はトーキョーに来ていたalbero4さんと遊ぶ機会を得た。彼女は仕事の関係でアントニオ・ガットとリカルド・ルーチというイタリア人を連れてきていて、そこにブログ仲間のあきこさんとまゆみーなさんも参加して、総勢6人で新宿の居酒屋で遊んだのだった。

akihuyu2300

 宴の終わる頃、ガット・アントニオが
「ネコという漢字を書いてくれ」
と言った。ガットとはイタリア語で猫という意味らしい。僕は曇った窓硝子に大きく「猫」と書いた。ついでにリカルド・ルーチのルーチは光なので「光」も並べて書いた。
 二人はなぜかその前でポーズを決めたので、厳かに記念撮影を行った。女性3人は、僕の「猫」の書き順が違っていると言って笑った。

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 日曜日は別のブログ仲間、Noritanさんとお茶をした。上の画像は、彼がアメリカ土産に買ってきてくれたフォトフレーム兼コースター。
 だいぶ前に、彼がこの商品を紹介した記事があって、そこに僕は「これはいいですね」とコメントしたことがあった。彼はそれを、ずっと忘れずにいてくれたのだ。
 上の画像のなかで、左に見えているコラージュ風写真は、幼なじみでブログ仲間のマサル君が作った新型名刺。ちょっと切り抜いたら、このフレームにぴったりと収まった。

 様々な人の好意によって、自分は生きているのだなあと、素直に思ったりして。特に今は、ブログという細くて目に見えない線でのつながりを、大事に思うのであります。いつか僕は恩返しが出来るのだろうか?
 こういうことを感じさせる冬も、悪くないものですねぇ。


 この記事は
『不埒な天国~Paradiso Irragionevole~』“Tornata a Firenze”
『walkup.sunnyday.jp』“探すの得意なんです”“実家へ”
『マサルブロログ』“flickr graph 名刺”へトラックバック。


はい、○○です...♪

2005-11-29 12:33:41 | エッセイ

 80年代の半ば、留守番電話機が一気に普及した時期がありました。
 それまでは、録音する機械が別売りで、電話機とつなげて使うようになっていたのです。
 折しも、バブル景気に向かう最中のこと。若者たちはおしゃれな一人暮らしに憧れていて、そんな若者をターゲットにした商品がいくつも出てきたのでした。

rusuden2400
電話機を冷蔵庫に入れておくのがおしゃれな時期もあった

 
 応答メッセージは、みんな自分の声で吹き込んで作っていたのだけど、これがなかなかキンチョーしたものです。気に入らないと、マイクロテープを巻き戻して、何度も録り直したりして。
 そこに誰かが思いついてBGMを入れるようになったのは、間もなくのこと。この選曲にはみんな凝ったものでした。
“短めの前奏で、インパクトがあって...”
 なんて考えたのですねぇ。
 
 だから、そういうところに電話を掛けると、最初にまず何かの曲の前奏が流れる。そうして程良いタイミングのところでようやく、
「はい、こちらは○○です。お電話ありがとうございます。あいにく私は外出しております...」
なんて聞こえてきたのです。
 丁寧な口調が泣かせます。それを聞いたほうの人物も、割とキチンとしたメッセージを吹き込んだ。
気の利いた台詞を残さなきゃ!”なんて考えた。
  
 今だったら「ただ今、留守にして...」というメッセージを聞いたあたりで電話を切ってしまう。他に連絡する手段がいくつもあるからですね。ましてや、そこに音楽なんか流れてきても、誰も聞いている暇なんかないだろうなぁ。
 思えば当時は、ずいぶんとのんびりした時代だったのですね。


魅惑のバラードは、いずこ

2005-11-09 21:40:45 | エッセイ

 その昔、SADEという黒人女性の曲を初めて聴いたときには、大いに感じ入ったものでした。
 クールで、洗練されていて、どことなく退廃的。部屋にSADEのCDがあれば、その人は即ち「おしゃれな人物」と感心されたのであります。
 さて、ソウルミュージックの醍醐味と言えばバラード。これが80年代に青春を過ごした世代の共通観念だと思います。ネスカフェのCFで使われた『優しく歌って』by ロバータ・フラックから始まって、アニタ・ベーカー、ディオンヌ・ワーウィック、SEALなどなど、ソウルミュージシャンはメロウでロマンティックな歌をたくさん聴かせてくれたのですね。
 例えばスキーに行くときなぞ、みんなカセットテープでベスト版を作って車に持ち込んでくる。すると大抵は、B面の2曲目あたりに“これぞ”と思う入魂のバラードが入っていたものです。
「お、ここでAfter7かあ!」
「こないだディスコで掛かってたんだよね」
なんていう具合。今では考えられないけど、バラードはもっともっと普通に聴かれていたのだよなあ。

coredo280color

 ディスコと言えば。
 チークタイムで、恥じらいながらも身体を密着させると、それはその後の二人の時間を、何とな~く、何とな~く示唆しているような雰囲気になったものでした。その雰囲気とはつまり、その、健全な男女なら当然持ち合わせている欲求と悦びと言うのですか、そういった方面のことを、あくまでもスマートに、大人っぽく伝え合ったのです。今の時代ほど露骨ではなかったのね。
 そうして、そんなときに流れていた曲は、やはりメローなソウルバラードだったのであります。