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くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

街の匂ひ

2007-09-25 21:44:47 | エッセイ

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落書き二景 若者と...

 街にはそれぞれ、匂いがある。
 そう思いませんか?
 たとえば、僕が青春時代を過ごした、東京都武蔵野市の吉祥寺は、いつも甘い匂いがしていた。
 駅の構内にあるクッキー屋と、アーケード街のソフトクリーム屋からしていた匂いなんであります。
 この匂いは今でも健在なので、

「吉祥寺=バニラの匂い」

 という公式が成り立っているのであります。
 しかし、街によっては、もっと奥深い匂いを発しているところもある。
 たとえば、渋谷。

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サラリーマンたち

 全国から集まってくると言われる、十代の若者たち。
 彼らはガラムや香水の匂いを発しているけれど、その合間をサラリーマンたちがたくさん歩いている。
 渋谷にも、オフィスはたくさんあるのです。
 そして、渋谷は古くから発展した街。
 タトゥーの店や古着の店のあいだに、どぜう鍋の店やくじら肉の店がある。
 渋谷駅を降りると、それらが渾然一体となって、ある独特の匂いを発しているのであります。
 これが、何とも形容しがたい匂いで、まさに「渋谷の匂い」としか言いようがない。
 渋谷は、僕が初めて社会人として勤めた土地なのであります。

 街によって、さまざまな匂いがある。それを身体が憶えていて、嗅いだ瞬間に、そこで過ごした時間を想い出すことが出来る。
 そういう街を、いくつも持っていることが、生きていることの実感にもなっているなあと、思うのでありますね。




箸がコロんでも...

2007-05-01 13:05:55 | エッセイ

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これがうにプリンだっ!

 一寸したことが、おかしいっていうこと、ありますよね。
 そのおかしさも「クスリ」と笑う程度のものから、いつまでもいつまでも笑いが止まらない程度のものまであります。
 今風に言うと、「笑いのツボにハマった」というヤツ、あなどれませんね。
 他人から見ればどうってことのない、些細な出来事が、爆笑を誘う。
 笑いすぎて、腹の筋肉が痛くなって、ついに立っていられなくなる。
 横になって、右に左に転がったりする。そのあいだ、ずっとひいひい笑い続け、最後に柱に頭をぶつけて、その痛さでようやくおさまったりする。しかしその顔には、まだ笑いが残っているのであります。

 中学生の頃、給食にプッチンプリンが出たことがありました。
 これがもう、たまらなかった。
 プチッとトレーに落として、それを運んでいったりすると、プリンはぶりんぶりんと、重そうに揺れるんです。
 一度揺れると、いつまでも揺れるんです。
 これが抱腹絶倒でした。
 プリンが揺れていることが、おかしかった。
 そのうえ悪友は、あるいたずらを思いついたのであります。
 牛乳用の細いストローを、やおらプリンに差し込んで、吸い込み口を指で押さえて、そいつをそっと引っ張り出すわけです。
 すると、ストローに引っ張られて、細長いプリンがにょきっと出てくる。
 ストローを差し込んでは、引っ張り出す。しまいにプリンは“うに”のようになる。
 そんなものをこしらえて、どうするのか。
 やっぱりこれを、揺らすわけです。
 これにはもう、死ぬほど笑った。しばらく給食を食べられなかったっけ。

 さて、問題なのはですね。
『箸が転がっても笑う年頃』とは、とても言えない今でも、こういう事柄が起こると、笑いが止まらなくなることなんです。
 きっと将来は、顔はしわしわだな。


 


朝飯考察 その2

2006-06-26 07:59:00 | エッセイ

Harataki280_1
会津の旅館『原瀧』にて
ここの朝飯はゴーカです

 旅館で食べる朝飯は美味い。
 塩鮭。あじの開き。味付き海苔。生卵。お新香。
 あるいはロースハムが二枚畳んであって、ミニトマトが添えてあったりする。ロースハムには、なぜかマヨネーズがしぼってあったりする。
 素朴と申しますか、清貧とも言えるような品々なのだけれど、これがどういうわけか食欲をそそるのであります。
「いただきます!」の挨拶ももどかしく、完爾と飯をかっこむ。一膳目はあっという間に平らげる。少し慌てた様子で(何故?)女中さんに声を掛け、二膳目をつけていただく。
 親戚一同の集まりなどでも、だいぶご高齢の叔父さんが、二膳三膳と、ご飯をお代わりする。
「ちょっと、もうやめておきなさい」
と奥さんに注意されているのだが、叔父さんは言うことをきかない。
「朝飯は出陣のエネルギーだっ!」とおっしゃる。それを眺めている親戚一同、内心ハラハラしている。
「ぽっくり逝かないでよ」
 と、いかにも身内らしい心配をしている人もいる。 

 

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こんなところで朝飯食ってみたい

 これに対して、ホテルの朝食はだいぶ様子が違う。
 バイキングなどと称して、大皿にベーコンだのサラダだのを盛りつけ、あらかじめ配置しているところが多い。客人たちは大人しく行列して、各々料理を取り分けていく。
 前を進む人の足取りが重い。
 所在なげに首すじをかいている方もいらっしゃる。
 全体に、「飯なんかどうでもいいしぃ」という雰囲気がある。
 自分も何となくアンニュイな気分になって着席すると、お隣には何らかの事情がありそうな中年のカップルがおいでになる。不味そうに、かつけだるそうにコーヒーをすすっている。

 そうなのだ。ホテルの朝飯は、けだるいのであります。少しヤル気がないんであります。
 かちかちに冷えて固まったベーコンをつつきながら、
「美味い朝飯はどこだ...」
と、朝飯の疑問は果てしなく続いていくのでありました。  


朝飯考察

2006-06-18 13:31:47 | エッセイ

 モーローとしながらも、ポットに湯を沸かす。
 トースターにパンを放り込む。
「ふああ、あ...」といった音声を発しながら、ベーコンを取り出す。フライパンに並べて火に掛ける。このあたりで、だいぶ意識がはっきりとしてくる。

Asameshi1280

 朝の風景である。すべてはルーティン化していて、自動的に身体が動いている。
(こういう作業、今まで何回くらいやったのかな)
 ふと、埒もないことを思う。
(えっと、一人暮らしを始めたのが、だいたい20年前だろ。その半分はちゃんと朝飯を作ってたとして、え~、10年間か)
 そこから計算を始めようとするが、すぐにバカの壁に突き当たる。
(まあ、正確なところは、今日は別にいっか。何も正確である必要はないからな...)
 それにしても、と埒もない思いは続く。
(いろんな朝飯があったわけだよなあ、うむ。こうやってベーコンが焼ける匂いを嗅げば、やはりキャンプの朝を想い出さずにはいられないものなあ)
 焼けたパンにバターをなすりつけ、皿にのせる。自らの脂にまみれたベーコンを、フライパンから引き上げる。
(キャンプの朝飯は、間違いなく美味い飯だな。風に吹かれて、朝日を浴びて。ありゃあ、数ある朝飯の中でもダントツだ!)
 今やすっかり目が覚め、
『美味い朝飯とはいかにして食ったものであるか』
的な考察に夢中になってくる。作業が止まってしまったのを見て、細君が黙って続きを引き受ける。
(あとは旅館、民宿の朝飯。あれもキャンプの朝飯に、勝るとも劣らないね)
 

 つづく 

追:この記事は『不埒な天国~Paradiso Irragionevole~ 』
“Burro di Beppino Ocelli”、
『ブログ人のトラ場』“朝ごはん、ちゃんと食べてる?あなたの理想の朝食は?”にトラックバック


(最近の)ある朝の風景

2006-03-18 10:22:18 | エッセイ

Now2dinner700

 朝、六時半起床。
 ポットをヒーターにかけてから、ステレオの電源を入れる。目覚める少し前から、ジャズが聴きたかった。昨日からの殺伐としていた気分をリセットしたかった。だからパット・マルティーノを大きめの音量で流す。朝からジャズを聴くのを朝ジャズと言うのだ。

 バスルームに入って小用を足す。顔を洗い、歯を磨く。ポットの湯は沸騰している。歯ブラシをくわえたまま、コーヒーを作る。一応は気を遣いながら~いったん蒸らしてから、湯をそっと回し入れたりして~、出来るだけていねいに淹れる。忙しい朝だからといって、まずいコーヒーを作ることもない。
 コーヒーが落ちるあいだに、グラスに水を一杯飲む。ついでにビタミン剤も摂取。僕の胃腸は単純なので、冷たい水を流し込んでやると、数分後には大きいほうの呼び声が高まった。
 ふたたびバスルームへ。ささやかな開放感と充足感。たかがダップンなのだが。

 気分は殆ど回復した。やはり音楽の力は偉大だ。ブラインドを巻き上げてみると、外は快晴である。音楽をロックに切り替えて、程良く冷めたコーヒーをすする。さて、あと十分で出勤だ。