くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

外出着の問題

2011-04-10 12:57:13 | エッセイ

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第三台場にて


 春であります。
 東京の桜も満開に近い。長い長い冬が終わって、雀躍の季節がやって来たのだ。
 しかしこの季節の変わり目というもの、
「何を着ればいいのか」
 この問題が毎年、発生して困っている。

 うっかり厚着をすると、電車の中などは大汗をかいてしまう。
 しかし薄着で出掛けると、思いがけず冷たい風に吹かれたりする。
 こういう時は、他の人が来ている服装を参考にするのがいいのだ。
 だから、お出掛けする朝には、外を歩いている人を観察するのが習慣になっている。
 窓を開け、何人かの服装を眺めて
(マフラー着用率5割。コート8割。ジャケットのみ若干名)
 など統計学を応用して、自分の服装を算出するのであります。

 しかし、中にはとんでもない格好をしている人もいる。
 朝からTシャツ1枚で歩いている輩がいる。かと思えばダウンジャケットで着ぶくれている人もいる。
(この時期にダウンはないだろ)
 こう思いつつも、
(確かに風は冷たいし、でも気分的に厚着はしたくない。かといって上着を手に持って歩くのは面倒だし...)
 迷いに迷う。
 困惑のあまり
(何で外出しなきゃなんないんだ)
(オレ、ずっと家で仕事していたいのにな)
 理不尽な不平・不満が沸いてくる。
 それでも、何とかコーディネートを完成させ、外に出てみる。
 すると、さっきは分からなかったのに、けっこうな雨が降り出している。
(もうっ!)
 エレベーターで部屋まで引き返し、傘を持ち、ブーツに履き替えて再度外出。
 乗ろうとしていた電車にはもう間に合わない。
(ホントにもうっ!)
 憤慨しつつ、駅まで歩いて行く。
 すると、思いがけずいい匂いがする。見上げると、見事な桜が咲いているのでありました。

  
 

 





非日常~憧れはグラハム・カー

2011-03-21 11:02:29 | エッセイ

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地震直後の我が家の様子(東京・港区)

 東日本大震災は、これまで誰も想像できなかった規模の地震だった。
 震源域が三陸沖から鹿島沖まで、南北に500km、幅200kmという大きさだ。4つの震源域が連動したともいわれている。
 そんな地震が起こるなんて、いったい誰が予想できるだろうか。
 この震災では多くの人が犠牲になっている。地震から10日を経た今でも、救出と遺体収容が続いている。
 僕の妹もまた、犠牲者のひとりとなってしまった。
 妹は岩手県釜石市に住んでおり、地震後は住民と一緒に防災センターへ避難したらしいが、そこへ津波が襲ってきたのだという。
 200人ほど集まった人々は流され、そのうち20人ほどが奇跡的に助かった。
 妹は助からなかった。昨日、遺体が確認されたのだ。
 一緒に流された義母は、まだ行方不明だ。




 地震後、妹が行方不明と分かってから、僕はネットを駆使して捜索を始めた。
 Googleが提供したパーソンファインダーに名前を登録し、毎日更新される避難者リストを調べるのが日課となった。
 twitter、facebook、mixiなどにも写真入りで実名を載せ、「見かけたら情報をください」と呼びかけた。
 すると、驚くべきことが起こった。
 友人知人をはじめ、一度も会ったことがない人までが励ましの言葉をくれ、捜索に協力してくれたのだ。
 あの膨大な避難者リストに目を通してくれたのである。
 これには本当に勇気づけられた。災害のときこそ他人を気遣い、協力を惜しまないという思いやりの心。
 これは日本人の素晴らしさだ。世界に誇れる社会的資産だと思う。




 このブログを書き始めたのは2004年のこと。
 古い記事には妹がよく登場している。なかでも『憧れはグラハム・カー』というシリーズものにはよく出てきた。これは幼少時を想い出して書いたエッセイで、妹と一緒に記憶を辿ってネタを探したこともあった。
 今後はひとりで想い出さないといけない。妹の供養のためにも、想い出したらぽつぽつ書いていこうと思うのだ。



 





何でもやってみよう

2010-10-05 13:37:50 | エッセイ

 今月は、日テレの深夜番組とJ:COMというケーブルテレビの番組に出演することになった。
 今のメインの肩書きである『缶詰博士』として出るのだ。
 放送日などはいずれお知らせしたいと思うのだが、この仕事の中で
「これまでの略歴、学生時代の写真を送って下さい」
 という依頼があった。
 そこで学生時代の写真を引っ張り出してみると、なかなか感慨深いものがある。

 とにかく多趣味だった。
 サークルはジャズ研をちょっと囓って、ハンググライダー部に転向。
 日常はスズキの400ccのバイクを乗り回すのが何より楽しかった。
 かと思えば年に数回はキャンプをやった。同級生と大菩薩峠に行ったのは、今でも楽しい想い出だ。
 ほかにもオーディオに凝ったり、絵を描いたり、料理をしたり、興味の対象が実に多かった。
 しかし肝心の勉強はさっぱりだった。
 好きな科目だけはとことんやるが、それ以外はまったく放置するという、非常に高効率を追い求めた学生であった。
 今日叫ばれる「選択と集中」を、学生時代から実践していたのであった。

 そうして今年9月に、44歳となった。
 今まで好きでやってきたことが、今の仕事にすごく役立っている。
 いわゆる“引き出しの多い男”となったのである。
 どんなことでも、好きなことはずーっとやり続けたほうがいいのですなァ。




自虐の幅

2010-09-05 11:00:23 | エッセイ
「書かれていることはほぼ、実体験です」

 こういう自伝的な本が、よくある。
 最近読んだのでは、西原理恵子の『女の子ものがたり』。絵本のような作りだけど、内容はかなり、切なかった。
 昔から好きだったのは、椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』とか、村上龍の『69』。奥田英朗の『東京物語』。
 これらはあくまでも“お話”だから、設定がすべて事実というわけじゃない。
 特に登場人物は、当人だと特定できないようにボカしたりする必要もある。
 自分が勤めていた会社の名前なんかも、そうだ。

 かくいう僕も『桜町荘セレナーデ』という自伝的小説を続けている。
「前出の先生たちと並べて紹介するのは、いかがなものか」
 こういう意見もあると思うが、ともかく、書き続けている。
 こういう小説で難しいのは、自分をどこまでさらけ出すか。
 『女の子ものがたり』では、友人の姿はかなり生々しく描かれている。
 親が人を殺したとか、母親が逃げたとか、生活の様子まで詳しく描かれているけど、主人公はそうでもない。
 主人公については、内面描写がメインであった。
「ちょっと、ズルいな」
 読み終わった直後は、そう思った。
 振り返って、自分の書き方はどうかと思案する。
 すると、やっぱり友人のことは詳しく書いてるけど、自分のことはある程度、都合のいいように書いてるなと、認識した。
 人というのは、他人のことはよく分かっても、自分のことは分からないのだ。

 だからといって、自分をさらけ出し過ぎると、自虐的になる。
 これはいけない。
 この塩梅が、よく分からない。
 そういう部分では、東海林さだおがすごく上手だ。
 この人は、
「うわ、そんなことまで書いちゃっていいの」
 というくらい、自分の恥体験を披露している。
 下宿で覗きをやっていたとか、そんなことまで書いちゃう。
 でも、自虐的ではないのだ。
 面白くてゲラゲラ笑って、最後にちょいと切なくなる。
 これはやっぱり、力量が違うなと思うんであります。 
 


ダウナー系で仕事始め

2010-01-07 13:26:11 | エッセイ

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 正月休みに、なぜかバーボンを買ってきた。
 フォアローゼスのブラックラベルである。世界で一番ウマいバーボンだと信じていて、血気盛んな頃(20年くらい前のことだ)は週に5日ほど呑んでいた。
 その頃は、バーボンを呑む自分を
「オレ、カッコいいかも」
 なぞと思っていたフシがある。
 そういうことを思い出すと、顔から火が出るような思いをするのだけど、しかしこのバーボンのウマさは本物だ。
 どこまでも濃く、甘いのである。
 そういう想い出深い酒を、新年早々、久しぶりに呑んでみる。
 燻蒸香が鼻から抜けていき、舌の上にはハチミツのような甘味がわずかに残る。1分もすると酔いが回り、物事の角がとれて、あたりが柔らかくなってくる。
 そうして数々の想い出がよみがえってくる。魔法の時間の始まりである。

 今年はますます、いろんな分野で文作をしていくことになると思う。しかし表面に出てくる(発表する)文章の背景には、自分の膨大な記憶が埋め込まれている。
 表面に現れたものはあくまでもタグなのだ。それらがシナプスのように、20年も30年もかけてリンクしていくのだ。
 結局、説得力を持つ文章というのは、自分の体験からしか書けないのだと思う。そのためには自分の内なる声を聴くことになるのだが、それにはこのダウナー系バーボン、フォアロゼのブラックが最適なのだ。