「書かれていることはほぼ、実体験です」
こういう自伝的な本が、よくある。
最近読んだのでは、西原理恵子の『女の子ものがたり』。絵本のような作りだけど、内容はかなり、切なかった。
昔から好きだったのは、椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』とか、村上龍の『69』。奥田英朗の『東京物語』。
これらはあくまでも“お話”だから、設定がすべて事実というわけじゃない。
特に登場人物は、当人だと特定できないようにボカしたりする必要もある。
自分が勤めていた会社の名前なんかも、そうだ。
かくいう僕も『桜町荘セレナーデ』という自伝的小説を続けている。
「前出の先生たちと並べて紹介するのは、いかがなものか」
こういう意見もあると思うが、ともかく、書き続けている。
こういう小説で難しいのは、自分をどこまでさらけ出すか。
『女の子ものがたり』では、友人の姿はかなり生々しく描かれている。
親が人を殺したとか、母親が逃げたとか、生活の様子まで詳しく描かれているけど、主人公はそうでもない。
主人公については、内面描写がメインであった。
「ちょっと、ズルいな」
読み終わった直後は、そう思った。
振り返って、自分の書き方はどうかと思案する。
すると、やっぱり友人のことは詳しく書いてるけど、自分のことはある程度、都合のいいように書いてるなと、認識した。
人というのは、他人のことはよく分かっても、自分のことは分からないのだ。
だからといって、自分をさらけ出し過ぎると、自虐的になる。
これはいけない。
この塩梅が、よく分からない。
そういう部分では、東海林さだおがすごく上手だ。
この人は、
「うわ、そんなことまで書いちゃっていいの」
というくらい、自分の恥体験を披露している。
下宿で覗きをやっていたとか、そんなことまで書いちゃう。
でも、自虐的ではないのだ。
面白くてゲラゲラ笑って、最後にちょいと切なくなる。
これはやっぱり、力量が違うなと思うんであります。
こういう自伝的な本が、よくある。
最近読んだのでは、西原理恵子の『女の子ものがたり』。絵本のような作りだけど、内容はかなり、切なかった。
昔から好きだったのは、椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』とか、村上龍の『69』。奥田英朗の『東京物語』。
これらはあくまでも“お話”だから、設定がすべて事実というわけじゃない。
特に登場人物は、当人だと特定できないようにボカしたりする必要もある。
自分が勤めていた会社の名前なんかも、そうだ。
かくいう僕も『桜町荘セレナーデ』という自伝的小説を続けている。
「前出の先生たちと並べて紹介するのは、いかがなものか」
こういう意見もあると思うが、ともかく、書き続けている。
こういう小説で難しいのは、自分をどこまでさらけ出すか。
『女の子ものがたり』では、友人の姿はかなり生々しく描かれている。
親が人を殺したとか、母親が逃げたとか、生活の様子まで詳しく描かれているけど、主人公はそうでもない。
主人公については、内面描写がメインであった。
「ちょっと、ズルいな」
読み終わった直後は、そう思った。
振り返って、自分の書き方はどうかと思案する。
すると、やっぱり友人のことは詳しく書いてるけど、自分のことはある程度、都合のいいように書いてるなと、認識した。
人というのは、他人のことはよく分かっても、自分のことは分からないのだ。
だからといって、自分をさらけ出し過ぎると、自虐的になる。
これはいけない。
この塩梅が、よく分からない。
そういう部分では、東海林さだおがすごく上手だ。
この人は、
「うわ、そんなことまで書いちゃっていいの」
というくらい、自分の恥体験を披露している。
下宿で覗きをやっていたとか、そんなことまで書いちゃう。
でも、自虐的ではないのだ。
面白くてゲラゲラ笑って、最後にちょいと切なくなる。
これはやっぱり、力量が違うなと思うんであります。
この年になると記憶もあいまいになってきて
自分の都合のいいように思いこんだりしてます。
それをちゃんとわかってる間はまだ大丈夫かな(笑)
最近の椎名誠さまは(あくまでも、さまなのだ)
書く内容がだんだんやわらかくなって
どーでもいいのよ風であります。
息子さんに子供が生まれてるので
彼はおじいちゃんなのだ・・信じられない。
ハヤトさんの自伝本はいつごろ完成するのでしょうね~
きっと、そういう知恵が働かないと、人は生きていけないんではないかとも思いますなァ。
別に記憶が正確である必要はないんだもんね。
>最近の椎名誠さまは(あくまでも、さまなのだ)
>書く内容がだんだんやわらかくなって
>どーでもいいのよ風であります。
激しく同意。友人と話しているような文体ですねェ。あそこまで力が抜けるのは、羨ましい。
ともかく僕は、今やってることを続けまする!
ああ、なるほど。本当に波瀾万丈の人生を送る人というのは、そうそういないもんですね。
誰でも経験しそうな話~若い頃のバカをやった話なんかを、実に面白く語れる人がいるけど、あれも才能だなァと思います。そういう人は自分をどこか突き放して見られるようで、これは自分にはない部分であります。
やっぱりプロだなあと思います。
ブログをやっていても、心の中のふるいで、
コレは書いてもいいこと、書いてはいけないこと、と
振り分けてる自分がいます。
自分の気持ちの中でも、
あまりにも醜いことは書きたくない。
自分ではそういう感情もあることを知ってるけど、
不特定多数の人にさらしたくない。
それと同じように自分の恥さらしな過去は
できるだけ知られたくない。
自分の全てをさらすことのできる人は
勇気があって、潔いと思えるけれど、
ワタシの恥は、一生ワタシの胸にしまって、
墓場まで持って行くつもりです。(笑)
結局、自分をよく見せたいという気持ちが捨てきれない、悪あがきしてる自分があるわけです。
そっちのほうが多かったりして。
>結局、自分をよく見せたいという気持ちが捨てきれない、
>悪あがきしてる自分があるわけです。
本当はこうしたい、それをやってる人もいる。しかし自分はそれが出来ない。
こうした矛盾を抱えて生きているのが、人間なんですなー。
その矛盾する姿そのものが、また人の心を打ちますね。