Justice! 社会正義の実現!所得充実政策!ワクチンより検査を積極的に推奨! / 薬剤師・元参議院議員・消防団
ひらがな5文字の「はたともこ」ブログ
民主党最強チーム誕生の日 4月7日
渡部恒三氏が「30数年間一緒にいて初めて聴いた」と言ったように、おそらく今日の演説は、国民が聴いた初めての、政治家・小沢一郎、乾坤一擲の演説ではなかっただろうか。選挙の応援演説などとはまったく違い、政治家・小沢一郎の理念と未来へのビジョンが、極めて明快なメッセージとして国民に届けられた、迫真の演説だった。政権交代こそ構造改革という信念を、なんとしても成し遂げたいという情熱が、したたる汗を拭いながら必死に訴える小沢氏の姿に、満ち満ちていた。この本気モードを、いつまでも持ち続けて、政権交代を現実のものとして欲しい。
弁舌には定評のある菅氏が、今日は国民へのメッセージというよりは、内向きの語りになってしまったのはどうしたことだろう。いろいろなことに配慮しすぎて、本来の菅氏の持ち味が生かしきれていないようで、非常に残念。しかし、大事なことは、最強チームをつくること。菅氏も要職に就いて、有無を言わせぬ鋭い議論で、まやかし小泉改革の全貌を、国民の前に知らしめていただきたい。
そして、忘れてはならないのは、偽メール問題に震撼する民主党を、この間支え続けた2人の重要人物の存在だ。一貫して、オトボケ発言で人心を魅了し続けた渡部恒三氏と、あらゆる場面で、必死に頭を下げ続けた鳩山由紀夫氏だ。渡部氏のおとぼけは、もって生まれたキャラクターなのかもしれないが、なんとか求心力を維持しようと頭を下げまくった鳩山氏には、誰もが頭が上がらないはずだ。誰にも出来ることではない。
これら全ての人々が軸足を同じくし、それぞれの持ち味を十二分に発揮することができれば、怒涛の反転攻勢が現実のものとなる。
ところで、川内博史議員が昨年10月に提出したBSE問題に関する質問主意書の政府答弁について、米国産牛肉輸入再開前に現地調査をすると記してあったにもかかわらず、実際には輸入再開後の調査になったことについて、農水省は、答弁書作成後の変更事項について伝達ルールが出来ていなかったとする調査結果を発表した。混乱を引き起こしたのは、組織とルールの問題であり、担当者など特定の個人に対する処分はしないとしながら、実際には、「輸入再開前に現地調査をする」との答弁書作成に携わった担当者の中には、農水省の外に異動させられた人が居る。まったくでたらめな農水省の対応だ。
役所は、自らの過ちを決して認めない。認めないどころか、過ちを隠蔽するために、嘘までついて繕おうとする。PSE問題における経産省の対応も、まさにその典型だ。小沢氏と菅氏の強力なタッグは、どうしようもなく腐りきった霞ヶ関の悪癖を断ち、役人のための霞ヶ関ではなく国民のための霞ヶ関へと変革発展させていく責任を負っている。誰が聞いても嘘や矛盾だとわかる言い訳を、これ以上霞ヶ関の官僚たちにさせてはいけない。霞ヶ関と真正面からたたかいを挑めるか否かにも、再生民主党の真価がかかっている。ガンバレ民主党。
弁舌には定評のある菅氏が、今日は国民へのメッセージというよりは、内向きの語りになってしまったのはどうしたことだろう。いろいろなことに配慮しすぎて、本来の菅氏の持ち味が生かしきれていないようで、非常に残念。しかし、大事なことは、最強チームをつくること。菅氏も要職に就いて、有無を言わせぬ鋭い議論で、まやかし小泉改革の全貌を、国民の前に知らしめていただきたい。
そして、忘れてはならないのは、偽メール問題に震撼する民主党を、この間支え続けた2人の重要人物の存在だ。一貫して、オトボケ発言で人心を魅了し続けた渡部恒三氏と、あらゆる場面で、必死に頭を下げ続けた鳩山由紀夫氏だ。渡部氏のおとぼけは、もって生まれたキャラクターなのかもしれないが、なんとか求心力を維持しようと頭を下げまくった鳩山氏には、誰もが頭が上がらないはずだ。誰にも出来ることではない。
これら全ての人々が軸足を同じくし、それぞれの持ち味を十二分に発揮することができれば、怒涛の反転攻勢が現実のものとなる。
ところで、川内博史議員が昨年10月に提出したBSE問題に関する質問主意書の政府答弁について、米国産牛肉輸入再開前に現地調査をすると記してあったにもかかわらず、実際には輸入再開後の調査になったことについて、農水省は、答弁書作成後の変更事項について伝達ルールが出来ていなかったとする調査結果を発表した。混乱を引き起こしたのは、組織とルールの問題であり、担当者など特定の個人に対する処分はしないとしながら、実際には、「輸入再開前に現地調査をする」との答弁書作成に携わった担当者の中には、農水省の外に異動させられた人が居る。まったくでたらめな農水省の対応だ。
役所は、自らの過ちを決して認めない。認めないどころか、過ちを隠蔽するために、嘘までついて繕おうとする。PSE問題における経産省の対応も、まさにその典型だ。小沢氏と菅氏の強力なタッグは、どうしようもなく腐りきった霞ヶ関の悪癖を断ち、役人のための霞ヶ関ではなく国民のための霞ヶ関へと変革発展させていく責任を負っている。誰が聞いても嘘や矛盾だとわかる言い訳を、これ以上霞ヶ関の官僚たちにさせてはいけない。霞ヶ関と真正面からたたかいを挑めるか否かにも、再生民主党の真価がかかっている。ガンバレ民主党。
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靖国問題 4月6日
自民党の「平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」が、活動を再開するそうだ。安倍総理誕生へ向けての布石の一つであって、根本的に国会議員としての自覚が皆無の行動だ。国の名を背負い、ましてや総理大臣として、「私」である宗教法人・靖国神社に参拝することは、たとえA級戦犯が合祀されていなくても、あってはならないことだ。国家の代表が、特定の宗教法人に肩入れすることは、明らかに憲法20条に違反する。
そもそも靖国に参拝する歴代の総理大臣は、本当の意味で犠牲者に心を寄せているならば、靖国神社の前に、まずは千鳥ケ淵に出向き、海外で犠牲になられた無名戦士の御霊に心を寄せるべきではないか。それをせずして、アジア諸国や最近では米国からも懸念が寄せられる靖国参拝にこだわることは、百害あって一利なし、まったく発展性のないお粗末な行為としか言いようがない。
靖国神社は、アジアを征服するために戦争は必要であったと戦争そのものを正当化し、戦争によって犠牲になった朝鮮半島や中国の人々を無視し、それらの人々にまったく心を寄せていない。そんな自分勝手があるだろうか。一般人の私は、それでも、戦没者に対して哀悼の念を持って靖国神社に参拝するが、靖国神社は実は極めて偏狭な精神の上に成り立ち、神社の存在そのものが、同じ戦争で犠牲になった多くのアジア諸国の人々を傷つけていることを決して忘れてはならない。
ベストセラー「超バカの壁」の筆者である養老孟司氏は、総理大臣が靖国神社に参拝することには否定的だ。しかし、靖国神社に変わる国立墓苑の設立についても、否定的な見解を示している。そもそも無宗教の施設への参拝は参拝ではなく、実際には、無宗教と言えども、国が新たに宗教をつくるのと同意だと、養老氏は述べている。しかし、神が存在しないのだから「拝む」必要はないわけで、国立追悼施設に対しては単純に「お参り」で良いわけで、戦没者へ心を寄せるための国立のモニュメントをつくることは、平和への誓いを新たにするためにも必要なことではないかと私は思う。広島や長崎・沖縄にそれが有るように。
民主党の黄門様・渡部恒三氏は、議員宿舎が近いこともあり、毎朝、靖国神社を参拝しているそうだ。小泉総理は、総理を退いた9月以降、毎日、靖国を参拝するだろうか。本当に戦没者に心を寄せていたら、ズボンのポケットから小銭を取り出し、チャリンとお賽銭を投げ入れたりはしないはずだ。誰も見ていないところで、貫けてこそ信念だ。小泉総理や安倍官房長官に、そこまでの覚悟があるだろうか。
総理大臣が靖国参拝にこだわればこだわるほど、日本は世界から取り残される。日本の精神や文化が、世界の尊敬の対象からはずされてしまいかねない。枝葉末節にこだわるあまり大局を見失うほど、日本は愚かな国ではないはずだ。日本の国益と偏狭で自分勝手な信念とのどちらが重いかは、言うまでもない。靖国に祀られている戦没者の遺族の方々は、養老氏の言う「バカの壁」を、とうに超越しておられるに違いないはずなのだから。
そもそも靖国に参拝する歴代の総理大臣は、本当の意味で犠牲者に心を寄せているならば、靖国神社の前に、まずは千鳥ケ淵に出向き、海外で犠牲になられた無名戦士の御霊に心を寄せるべきではないか。それをせずして、アジア諸国や最近では米国からも懸念が寄せられる靖国参拝にこだわることは、百害あって一利なし、まったく発展性のないお粗末な行為としか言いようがない。
靖国神社は、アジアを征服するために戦争は必要であったと戦争そのものを正当化し、戦争によって犠牲になった朝鮮半島や中国の人々を無視し、それらの人々にまったく心を寄せていない。そんな自分勝手があるだろうか。一般人の私は、それでも、戦没者に対して哀悼の念を持って靖国神社に参拝するが、靖国神社は実は極めて偏狭な精神の上に成り立ち、神社の存在そのものが、同じ戦争で犠牲になった多くのアジア諸国の人々を傷つけていることを決して忘れてはならない。
ベストセラー「超バカの壁」の筆者である養老孟司氏は、総理大臣が靖国神社に参拝することには否定的だ。しかし、靖国神社に変わる国立墓苑の設立についても、否定的な見解を示している。そもそも無宗教の施設への参拝は参拝ではなく、実際には、無宗教と言えども、国が新たに宗教をつくるのと同意だと、養老氏は述べている。しかし、神が存在しないのだから「拝む」必要はないわけで、国立追悼施設に対しては単純に「お参り」で良いわけで、戦没者へ心を寄せるための国立のモニュメントをつくることは、平和への誓いを新たにするためにも必要なことではないかと私は思う。広島や長崎・沖縄にそれが有るように。
民主党の黄門様・渡部恒三氏は、議員宿舎が近いこともあり、毎朝、靖国神社を参拝しているそうだ。小泉総理は、総理を退いた9月以降、毎日、靖国を参拝するだろうか。本当に戦没者に心を寄せていたら、ズボンのポケットから小銭を取り出し、チャリンとお賽銭を投げ入れたりはしないはずだ。誰も見ていないところで、貫けてこそ信念だ。小泉総理や安倍官房長官に、そこまでの覚悟があるだろうか。
総理大臣が靖国参拝にこだわればこだわるほど、日本は世界から取り残される。日本の精神や文化が、世界の尊敬の対象からはずされてしまいかねない。枝葉末節にこだわるあまり大局を見失うほど、日本は愚かな国ではないはずだ。日本の国益と偏狭で自分勝手な信念とのどちらが重いかは、言うまでもない。靖国に祀られている戦没者の遺族の方々は、養老氏の言う「バカの壁」を、とうに超越しておられるに違いないはずなのだから。
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