『金閣寺』三島由紀夫 (新潮社:新版発行 令和二年 670円+tax)
自身で決めている「名作いつかは読もうぜシリ〜ズ」の中の一冊であった。やっと読んだ、感が強い。もっと短い話と勝手に思い込んでいた。幸田露伴の「五重塔」と勘違いしていたようだ。(こっちはまだ未読)
新潮社の令和版の装丁はオシャレになっていた。カバーは明るいオレンジ色で、そこに金色の文字でタイトルと作家名。英語でも表記されている。
期待と軽い不安が入り混じる中でページを開いた。
思ったより読みやすかった。しかし時代背景が戦中〜戦後すぐの昭和で、主人公がその時代の学僧、という設定の世界に入り込むまでに少し時間がかかった。
それと多くのシーンに散見される、三島文学を特徴づけていると思われる美文…が、ときにくどくやたらと長い。理解しようとガンバるのだが、意識が遠のいてしまうことも多かった。やれやれ。
そんな美文たちの中、生き物好きなので蜜蜂を描写しているシーンが印象に残った。少し長いがその一部を引用する。
” 私は蜂の目になって見ようとした。菊は一点の瑕瑾もない黄いろい端正な花弁をひろげていた。それは正に小さな金閣のように美しく、金閣のように完全だったが、決して金閣に変貌することはなく、夏菊の花の一輪にとどまっていた。そうだ、それは確乎たる菊、一個の花、何ら形而上的なものの暗示を含まぬ一つの形態にとどまっていた。それはこのように存在の節度を保つことにより、溢れるばかりの魅惑を放ち、蜜蜂の欲望にふさわしいものになっていた。形のない、飛翔し、流れ、力動する欲望の前に、こうして対象としての形態に身をひそめて息づいていることは、何という神秘だろう! 形態は徐々に希薄になり、破られそうになり、おののき顫えている。それもその筈、菊の端正な形態は、蜜蜂の欲望をなぞって作られたものであり、その美しさ自体が、予感に向って花ひらいたものなのだから、今こそは、生の中で形態の意味がかがやく瞬間なのだ。・・・”
まだまだ続くが、これだけでも十分にそれを味わえるのではないだろうか。
三島由紀夫の人生の閉じ方があまりにも強烈なので、読む前は物語は耽美主義的で救いのないモノと勝手にイメージしていたら全く違った。
最後の一文に拍子抜けした。いや、肩透かしを食った、と言った方がいいだろうか。
金閣寺を燃やしてはダメだが、ヒトに迷惑をかけるくらいはいいかもしれない。不器用でもいい、ということだ。と解釈した。希望を感じた。
I've read a book of "Kinkakuji" written by Mishima Yukio(Yukio is his first name). Kinkakuji is one of temples in Kyoto.
It's very famous book of his books, many literary critics admit that the book is one of masterpieces in Showa period.(Showa is the original Japanese era name. It's around over 30 years ago)
I enjoyed myself to read the book, even though... a bit difficut to understand what he wrote. His sentence is so beautiful, many critics said. Some of them are so long and complicated.
If you are interested in the book, you can find it in English. It could find other languages, too. Good Luck.
*not sure about my English..
💙💛