Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

窓の柵

2016-10-24 | 想い・雑感
幼いころ
アパートの一階に住んでいた

そこの窓には転落防止の柵が取り付けられていた
柵の高さは窓のせいぜい半分くらいだったが
私の身長より高かった
金属製で直径5mm程度の円柱が縦び
その隙間はせいぜい10cm程度だったと記憶している

2~3歳の頃だと思うのだが
その隙間から顔を外に出せていた
頭が小さいし柔らかいからできていたのだろう

ある日出した顔を引っ込めようとしたとき
一瞬顔を抜くことができなくなり
まずいぞ たいへんだ
と思った感覚が確かに今も記憶に残っている

その残った感覚は
確かに私自身だと感じる

物心ついたころから
今の自分まで
確かにつながっているという感覚だ

体の構成成分は
完全に入れ替わっているはずなのに
自我が連続していることが不思議だと思う

死というのは
その自我が途絶えることになる
それがどういうものなのか
その時を向かえないとわからないのだろう

もちろん迎えてもわからないのかもしれないが
ひょっとしたら認知症の入り口に立てば
連続した自己と不連続な自己との間を行ったり来たりして
自我の断絶というものがどういうものなのかわかるかもしれない

物質的には違うもので構成されながら
連続する自我とはいったい何なのだろうか

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2 コメント

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Unknown (志村建世)
2016-10-24 20:56:29
耳が引っ掛かったのではありませんか。前進では通っても、後退では邪魔になります。
 幼い記憶は、やはり脳細胞に残るのでしょうね。認知症の入り口を往来するときの、底知れぬ不安感を、いま妻の上に見ています。
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Re:Unknown (hanamegane_2006)
2016-10-25 11:57:53
耳も柔らかいのでなんとか抜けて、福助の頭の最も幅のある部分が引っかかったと思います。
その年齢にならなければ見えて来ない風景がありますね。いつまである命かはわかりませんが、ある限りはその風景を味わっていきたいと思っています。
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