Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

留年危機一髪

2016-10-31 | 想い・雑感
 ふと恩師の顔と名前を思い浮かべてみた。幼稚園では園長さん、副園長さん、担当となったお二人の先生を思い出す。小、中、高は担任の先生プラスαをすいすい思い出す。しかし、大学の教養課程で講義をしていただいた方々は専門課程の先生方に比べてもはほとんど思い出せない。これは私が熱心でなかったことが主因で、単位を取った科目自体もすべては思い出せない。
 そんな中、留年確実となる単位を落としかけたドイツ語の教授は忘れられない。
 18,9歳といえばまだまだ睡眠が必要。それが理由にはならないが、ちょくちょく寝坊していた。そんなある日、1時限目のドイツ語の講義に寝坊で出なかった。午後からのこのこ大学に行くと、友人からテストがあったと告げられ留年決定の烙印を押された。実はドイツ語は半期に3回抜き打ちテストがあり、その3回のテストの平均値があるレベルに達し、かつ本試で合格しなければ単位がもらえないとのルールが決められていたのだ。先輩たちもかなりこれでやられていたのである。その3回のテストのうち1回が0点となるのであるからあと2回のテストを受けたところで、事実上不合格である。
 親の顔が浮かぶとともに、それまで不合格や欠点の経験がなかった私は愕然とした。でもその気持ちは不思議と長くは続かず、腹をくくりあきらめずにできるとこまでやろうと思いなおした。いまでもなぜそんな風に気持ちを切り替えられたのか分からない。
 その後ドイツ語の授業に遅れることはなかったから、遅刻は精神のたるみであったことの証左となってしまった。残る2回の抜き打ちテストは無事受けることができたが、平均点となると合格にはわずかに足らなかった。それでも本試も精一杯準備をしてから受けた。まあこれも来年に繋がるだろうと思うこととして、留年は覚悟していた。ところがところが、発表を見るとなぜか合格。
 授業の中で、「誰かは言わないが、3回のテストの平均点は足りないけれど合格にした者がある。2回目3回目はきちんと点数をあげてきており本試も合格点。あきらめずに精進した心意気をかいました。」とおっしゃった。四角四面のドイツ人だと思っていた教授から思わぬお言葉。いやあ参った。ありがたかった。あきらめないというのは大切だなぁと改めて教えられた。先輩から鬼のように言われていたドイツ人教授の顔が仏に見えた。ただしクリスチャンに仏といってはまずいのかもしれない。それでも仏である。
 今思い返してみて、ここが変わればまた大きく人生の流れも変わっていたような気がする。それがどのように変わったかはわからないし、留年したらしたで、少しでも良い方向にむかう努力はしたであろうと思うが、大きな出来事だったと思う。
 印象に刻まれた出来事、思い返さないとわからないような出来事、思い出しもしない出来事が絡まり合って今がある。そんな因縁を改めて思う。