三陸鉄道の思い出・・・琥珀のネックレスも

2020-02-18 10:53:43 | 日々思うこと
先日久しぶりに舞台が三陸と言うので「ぶらタモリ」
を見た。
昔夫と三陸鉄道リアス線に乗ったことがある。
当時まだわたくしも勤めていたけれど夫婦で
有休をとって出かけた。
たまたま夫の職場に業者(近ツリ)があいさつに来た
ようで「行程票を頼んでおいた」という。
出来上がってきたものを見て少し気に入らなかった
ので作り直して乗り物とホテルを頼んでもらった。
すると「奥様の案のほうがよいですね」とお世辞だろう
けれど褒めてくれたそうだ。
彼はまだ入社1年とちょっと、こちらは結婚前から1人
旅の計画を作ってきた。年季が違うよ(笑)。

当時は三陸鉄道は南アリス線(盛ー釜石)北アリス線
(宮古ー久慈)に分かれていて釜石ー宮古の間は
JR東日本の線路だった。
南から北上するコースを取った。
遠い昔のことで詳細は忘れてしまったけれど、釜石駅を
降りたら目の前が新日鉄釜石だった記憶がある。

途中は船に乗り換えて海側からのこぎりのような形の
リアス海岸を眺めたりもした。船上でおせんべいを買って
鷗に放り投げると上手にくわえて飛んで行く。
結構楽しかった。

終点の久慈は日本で唯一琥珀が取れるというので駅
からタクシーで工場まで見に行った。
大粒の琥珀のネックレスが欲しかったけれどかなり高価
だったので買うのをあきらめた。

その後、中国の黄山を訪れたとき、大きな荷物(スーツ
ケースなど)をおみやげやさん(?)に預けて山頂で必要
な物だけを持って登る。
山頂では3泊した。
”黄山を見ずして山を見たというなかれ”と言われる素晴
らしい景色なのだが霧が出てなかなか晴れたよい景色
が望めない。
下山して荷物を受け取りにお土産屋さんに寄ったとき、
夫がお店の人と何か交渉している。(夫は簡単な中国語
できる)
近寄っていくと登る前に目をつけていたという琥珀の
ネックレスを前にいくらか安くするように言っていた。
「久慈で買えなかったから」と言って大粒の琥珀の長い
ネックレスを買うことになった。

今は少し重くて、かなり立派であまり出番がなく、引き出
の中で眠っていることが多い。
しかし思い出の品の一つである。
コメント (4)
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