March 22, 2016
季節の変わり目はいつもけだるい。読書会の日、暖かいお天気でよかった。本は、石川明人『キリスト教と戦争』(中公新書)だ。日本のキリスト教徒は総人口の0,8パーセントにすぎないが、様々な面、たとえばクリスマスのような行事などで、人々の生活に深くかかわっている。著者は、愛と平和を唱えるキリスト教徒がなぜ戦争をするのかといった素朴な疑問にこたえる形で、キリスト教と戦争の歴史を、多くの文献を駆使して、分りやすく解説している。そういった点ではこの著作は成功しているのだが、戦争について語る姿勢があまりにも単純に思えた。著者は現在42歳、戦争を知らない世代だ。この世代に共通するものであるとは思うが、彼らの未来にいらぬ危惧感を抱いた。しかし一方で、人は時代を生きるという。それぞれの時を共通する人たちが感じる想いは、彼らに委ねるべきなのかもしれない。
私がレポーターだったので、珍しくレジメを作ったりした。しかし、ここは読後感を書く場所ではないので、内容の詳細には触れない。その歴史は戦争の歴史といっていいほど戦争と密接な関係を持ってきたキリスト教の、歴史的背景や、様々な闘いに登場する人物についての記述は、薄れかけていた世界史を再読する機会になり、勉強になった。ただ、歴史の中でのキリスト教と戦争のどんなかかわり方に対しても、著者の結論が、人間の根本的な矛盾と限界で締めくくられていることには、物足りなさを感じた。西欧の文化に接する上で欠かせないキリスト教について、またキリスト教徒と切り離せない戦争について語る時、さらに踏み込んだ政治的、哲学的視野を持って探求してもよかったのではないか、と思う。さらに、戦争を知る世代の人間として一言付け加えるならば、戦争はあくまでも平和と共存しないものである。戦争の悲劇を忘れないことこそ、いつの時代においても、世界中のどこにあっても、私たちに必要なことだろう。前段とは矛盾する内容になってしまったが、悩ましところである。
画像は、妹のメールから、「あせび」。