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お盆の一日2011年8月

2010-04-05 11:04:00 | 日記
2011/08/15
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記201108>お盆の一日
 14日の日曜日、姑のところへ行き、お仏壇の舅にお線香をあげてきました。息子もお線香をあげたけれど、夫は「ボクは無宗教」と言って、仏壇に手を合わせることもしない。姑も同じような考えで、ふたりは母子で考え方がよく似ています。姑は「親戚縁者やご近所の手前、何もないというのもみっともないから」というので仏壇は買ったけれど、お盆になったからそこに亡くなった魂が戻ってくるということは考えない。
 
 姑の「本日の昔話」は、夏祭りのこと。田舎の神社の夏祭りなど、東京から見たらどうということもない人出だったけれど、田舎のこどもには出店が並ぶ祭りで小遣いを使うのが何よりの楽しみ。10銭のこづかいを、食べ物に使うか「月遅れで田舎に届く雑誌」を買うかで半日悩んだそうです。親から「ああいう屋台のものを食べるとおなかをこわすから」と脅されても、みなが食べている食べ物を食べて見たい。ものすごくおいしそうに思える。でも、食べてしまえばそれっきりだけれど、雑誌ならあとあと残るから、お祭りが終わったあともしばらく楽しめる。両方買うことはできないこづかいの額で、近所の○○ちゃんが50銭ももらえるのがうらやましかった、と言っていました。
 姑の父親は早くに亡くなり、姑の母親は女の細腕で家を守り、姑の兄と姉を師範学校にやり、姑を女学校へ出したのです。10銭のこづかいは姑の母親にしてみれば、せいいっぱいの小遣いだったのでしょう。今から70年も80年も前の遠い田舎のお話でした。

 原爆や空襲で人々が地獄のような苦しみを味わったのも遠い日々のことになって、人々の記憶から薄れていってしまうのかと思っていましたが、今年はこれまでにも増して、原爆の被害に思いをいたす人々が多かったように思います。
 児玉龍彦(東京大学先端科学技術研究センター教授、東京大学アイソトープ総合センター長)が、7月27日に衆議院厚生労働委員会で参考人として発言。「熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております。ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます」だ、そうです。むろん児玉発言への反論もありますが、今なお原爆の後遺症に苦しむ人がいることを思うと、3.11の後遺症を私たちはこれから先、数十年にわたって負っていかなければならないと覚悟する夏なのだと感じます。

 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と、憲法は高らかに宣言しています。しかし、今の状況では、幼い子ども達がこれから先どのような影響を受けていくのかという恐怖と有効な政治的判断や放射能への対策が欠乏している、という中での生活をせざるを得ない。

 「平和で安全な生活」は世界中の人の願い。私たちの願う安全な生活とは、小さなささやかなものなのですが、これすらも、ベクレルやらシーベルトやらの前には脅かされています。
 夫と姑は、夏になると強くなる湿疹に悩まされている点もよく似た母子なのですが、姑が最近皮膚科の医者を代えたことに関して夫に相談すると、夫は「どの医者でも出してくる薬は同じようなものだから、医者をやたらに代えるべきではない」という意見でした。

 まもなく日本のトップも変わるということですが、おそらく、顔を代えたところで、処方箋はたいして変わらないものになることでしょう。
 「平和で安全なささやかな生活」は、どうなっていくのでしょうか。
コメント
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