高校生のみなさん、(^◇^)ノ お~ぃ~ゲンキか!
みなさん、明日は七夕ですね。すでに五色の短冊に≪合格祈願≫を書いたことでしょう・・・・
みなさん、5節句のこと、覚えていますか?
HageOyaji通信:第37話≪今日は”ひな祭り”≫ で 、5節句のことを記載しました。中国大陸から伝わった暦の上の風習の一つで、節供とも言われている。日本の生活に合わせてアレンジされていくつもの節句が伝わっていたが、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めました。
1月7日 人日(じんじつ)・・・・・・・七草
3月3日 上巳(じょうし)・・・・・・・桃の節句、雛祭り
5月5日 端午(たんご)・・・・・・・・菖蒲の節句
7月7日 七夕(しちせき/たなばた)・・ たなばた、星祭り、
9月9日 重陽(ちょうよう)・・・・・・ 菊の節句
七夕は、旧暦の7月7日のお祭りでしたが、最近では新暦の7月7日(湘南ひらつか七夕まつり、前橋七夕まつり、浅草下町七夕まつり)に、または新暦で月遅れの8月7日(仙台七夕まつり、岩手うごく七夕、高岡七夕まつり、安城七夕まつり、山口七夕ちょうちんまつり、愛媛内子笹まつり、大分七夕まつり)に行われるものがよく知られています。旧来通り旧暦の7月7日(新暦8月末頃)に行う地方もあります。
七夕といえば、竹笹の枝に色とりどりに飾られる、願いをこめた短冊が思い浮かびます。また、牽牛と織女が年に一度逢瀬をはたす物語を誰もが知っているでしょう。
七夕の由来は、天の川をはさんできらめく牽牛星・織女星の物語。
今から2000年前には既に中国で成立していた伝説だといわれています。機織りに励んだ天上の織女にちなんで、星に技芸の上達を祈る「乞巧奠(きこうでん)」という宮中行事が生まれ、日本へと伝わりました。
こうして七夕は、日本では奈良時代に宮中の行事としてとりおこなわれるようになりました。もっとも、乞巧奠の伝来以前の日本にも、7月7日にけがれをはらう行事があったといわれています。古事記に記された、天から降り立つ神のために美しい衣を織る棚機女(たなばたつめ)の伝説も、中国の織女の伝説と重なるものがあったはずです。
江戸時代になると、七夕の行事は民間にも広がります。この頃から行われていたのは仙台と高岡、山口のみといわれており、その他の七夕まつりは、ほとんどが戦後盛んになり、50年ほどの歴史しか持っていないのです。笹竹に短冊をかざるスタイルもこのころ定着したようです。日本古来の伝承や風習と、中国の行事がうまく混ぜあわさったからこそ、七夕はいまでも日本の各地にさまざまな形で、大切に伝えられているのかもしれませんね。
この時の笹を7月6日に飾り、さらに海岸地域では翌7日には海に流すことが一般的な風習である。しかし、近年では飾り付けにプラスチック製の物を使用することがあり海に流すことは少なくなったようです。
文部省唱歌「たなばたさま」にある五色の短冊の五色は、五行説にあてはめた五つの色で、青・赤・白・黒・黄をいう。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸(くす玉)をつるす。さらに、上記乞巧奠は技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願い事は芸事であるとされる。
まだ、≪合格祈願≫を書いていない新暦で行う地域のみなさん、早く書きましょう・・・
◆現在の主な七夕祭り
仙台・仙台七夕祭
平塚・湘南ひらつか七夕まつり
一宮・おりもの感謝祭一宮七夕まつり
安城・安城七夕まつり
清水・七夕祭り
高岡・七夕祭り
山口七夕ちょうちんまつり
みなさん、明日は七夕ですね。すでに五色の短冊に≪合格祈願≫を書いたことでしょう・・・・
みなさん、5節句のこと、覚えていますか?
HageOyaji通信:第37話≪今日は”ひな祭り”≫ で 、5節句のことを記載しました。中国大陸から伝わった暦の上の風習の一つで、節供とも言われている。日本の生活に合わせてアレンジされていくつもの節句が伝わっていたが、そのうちの5つを江戸時代に幕府が公的な行事・祝日として定めました。
1月7日 人日(じんじつ)・・・・・・・七草
3月3日 上巳(じょうし)・・・・・・・桃の節句、雛祭り
5月5日 端午(たんご)・・・・・・・・菖蒲の節句
7月7日 七夕(しちせき/たなばた)・・ たなばた、星祭り、
9月9日 重陽(ちょうよう)・・・・・・ 菊の節句
七夕は、旧暦の7月7日のお祭りでしたが、最近では新暦の7月7日(湘南ひらつか七夕まつり、前橋七夕まつり、浅草下町七夕まつり)に、または新暦で月遅れの8月7日(仙台七夕まつり、岩手うごく七夕、高岡七夕まつり、安城七夕まつり、山口七夕ちょうちんまつり、愛媛内子笹まつり、大分七夕まつり)に行われるものがよく知られています。旧来通り旧暦の7月7日(新暦8月末頃)に行う地方もあります。
七夕といえば、竹笹の枝に色とりどりに飾られる、願いをこめた短冊が思い浮かびます。また、牽牛と織女が年に一度逢瀬をはたす物語を誰もが知っているでしょう。
七夕の由来は、天の川をはさんできらめく牽牛星・織女星の物語。
今から2000年前には既に中国で成立していた伝説だといわれています。機織りに励んだ天上の織女にちなんで、星に技芸の上達を祈る「乞巧奠(きこうでん)」という宮中行事が生まれ、日本へと伝わりました。
こうして七夕は、日本では奈良時代に宮中の行事としてとりおこなわれるようになりました。もっとも、乞巧奠の伝来以前の日本にも、7月7日にけがれをはらう行事があったといわれています。古事記に記された、天から降り立つ神のために美しい衣を織る棚機女(たなばたつめ)の伝説も、中国の織女の伝説と重なるものがあったはずです。
江戸時代になると、七夕の行事は民間にも広がります。この頃から行われていたのは仙台と高岡、山口のみといわれており、その他の七夕まつりは、ほとんどが戦後盛んになり、50年ほどの歴史しか持っていないのです。笹竹に短冊をかざるスタイルもこのころ定着したようです。日本古来の伝承や風習と、中国の行事がうまく混ぜあわさったからこそ、七夕はいまでも日本の各地にさまざまな形で、大切に伝えられているのかもしれませんね。
この時の笹を7月6日に飾り、さらに海岸地域では翌7日には海に流すことが一般的な風習である。しかし、近年では飾り付けにプラスチック製の物を使用することがあり海に流すことは少なくなったようです。
文部省唱歌「たなばたさま」にある五色の短冊の五色は、五行説にあてはめた五つの色で、青・赤・白・黒・黄をいう。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸(くす玉)をつるす。さらに、上記乞巧奠は技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願い事は芸事であるとされる。
まだ、≪合格祈願≫を書いていない新暦で行う地域のみなさん、早く書きましょう・・・
◆現在の主な七夕祭り
仙台・仙台七夕祭
平塚・湘南ひらつか七夕まつり
一宮・おりもの感謝祭一宮七夕まつり
安城・安城七夕まつり
清水・七夕祭り
高岡・七夕祭り
山口七夕ちょうちんまつり