孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

もう一度、主語を問え

2016年04月11日 | 政治ネタ
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』

ご存知、川端康成の「雪国」の出だしの一文である。この文を英訳しろと言われたら、まず考えるのは、「はて、主語を何にしようか・・・」ということになろうか。

我々日本人は、普段の会話でも主語を省くことはごく普通のことで、「きのう、どこ行った?」「うん、映画を観て買い物して、食事して帰宅したよ。」な~んていう会話は、不自然でもなんでもない。

「雪国」の文も、別に文法的に間違っているわけでもなく、意味も簡単に理解できる。この小説で、川端康成はノーベル文学賞を受賞したわけだが、日本人以外の人はこの小説の英語訳を読むことになる。

果たして、その時の最初の一文はどう英訳されていたのであろうか。答えはこうだ。

『 The train came out of the long tunnel into the snow country. 』

トンネルを抜けたのは「汽車」で、汽車はトンネルを抜けて雪国に入ったのだった。

気のせいか、英語訳の方が、情景がよく見えるようだ。

この小説を英語に翻訳したのが、エドワード・ジョージ・サイデンステッカー氏(1921年2月11日 - 2007年8月26日)で、谷崎やら三島由紀夫の小説を翻訳して世界に紹介した、大の親日家米国人だった。

この人の翻訳で、川端はノーベル賞を受賞したと言ってもいいほどだそうで、川端康成自身、「ノーベル賞の半分は、サイデンステッカー教授のものだ」と言い、賞金も半分渡しているという。

日本語は、英語と違っていちいち主語を言わない、書かない言語であるが、時としてそれが文の真意を曖昧模糊にして、混乱を生じることがある。

今日、G7の首脳達が訪れた広島の平和記念公園にも、その好例となる原爆死没者慰霊碑があるそうだ。その碑にはこう刻まれている。


「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」



靖国神社に写真入の記念碑がある、極東軍事裁判弁護人であったインドのパール博士は、広島を訪れてこの慰霊碑の文の意味を尋ねたとき、「この文には主語がない。誰が原爆を落とし過ちを犯したのかがわからない。」と発言したそうだ。

それがきっかけで、当時「碑文論争」が起こったそうだが、現在では主語は全世界の人間を意味する「We」であり、「碑の前に立つすべての人が、核戦争を起こさせないことを誓う」という合意が形成されているそうだ。

しかし、原爆を落としたアメリカでは、米兵の犠牲を増やさないためと、戦争を早く終結させるために原爆を落としたのであって、米国には非はない、と学校で教えているそうだ。

原爆を落として一瞬で十数万人を殺したことを、「過ち」だなどとはこれっぽっちも思ってはいないのである。

碑文論争は落ち着いて、過ちとは、人類が犯した戦争という行為のことですよ、と言われても私は、喉に小骨が刺さっているようで、いい心持はしない。

こんな紛らわしい文は即刻書き換えるべきであると思う。

かと言って、どこかの半島人たちの書きそうな、「アメリカよ、謝罪せよ。私たちは、あなた方の過ちを千年間許しませんから」などとは書きたくもないが・・・。