孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

災害募金詐欺・日本協賛党

2016年04月19日 | 政治ネタ
私がフィリピンに赴任したのは、ピナツボ火山が噴火した後で、付近の広大な農地は見渡す限り火山灰に覆われていて、ところどころに住家の屋根らしき突起が見えていたのを覚えている。

工場のある輸出加工区は、マニラ市内から車で3時間以上かかり、途中には大きな川があって、かろうじて橋は落ちずに残っていた。

橋の欄干には子供たちが10人以上座っていて、そこを通行する車に向って手を差し出し物乞いをしていた。前を行く自動車の助手席の窓が開いて、腕が出たかと思ったら、パァッと何かを撒いたように見えた。

ドライバーに聞いたら、「今、小銭をばら撒いたのさ・・。」と笑って教えてくれた。半分くらいは橋の下を流れる川に落ちていったが、それらをめがけて子供たちは一斉に飛び込んだのだった。金額は全部でせいぜい数百円程度だったと思う。

火山の被災者には同情するが、小銭をばら撒く気にはならず、かと言って私は車を止めて子供たちにお金を恵んでやる気にもならなかった。

あれは、母屋を新築したばかりの歳の瀬だったので、今からもう30年以上前のことだった。大晦日の夕暮れだったと記憶するが、一人の若者が玄関に立っていた。

カミさんが、「ちょっと、応対してよ。」というので玄関に行くと、丁寧に頭を下げた青年は、やおら紙の鋏んであるクリップボードを差し出し、もう一方の手で身分証のような紐で首にかけてあったものを私の目の前に示した。

何だろうと思って、良く見ると「学生証」と書かれていた。東京大学○×学部と書かれた下に顔写真が印刷されていた。

クリップボードには、確か「カンボジア難民がどうのこうの・・・」と書かれていたが、私はすぐに察して後は読む気にもならなかった。

案の定、青年は「募金をお願いします。ご近所の方にはご協力いただきました。」と元気良く言った。私は、一呼吸置いてから、「こんな乞食みたいな真似はやめて、アルバイトでもやって稼いだ金を難民救済に寄付したらよかろうに。悪いけど、ウチでは興味ありませんので、お引取り下さい。」と、毅然として言ってから、「もう二度とウチには来ないで下さい。」と付け加えた。

昔から、私は「募金」というものは、ほとんど胡散臭く思えて、手足がすくんでしまう。時々、募金詐欺のニュースを見聞きしても、さほど驚かず、「当然あり得るもの」だと再認識するだけだった。



熊本地震でも同じことが起きているようで、おそらく三日やったら止められない詐欺商法なのだろう。

しかし、これを政治活動とセットにするとは、悪知恵も大したものである。しかも天下の公党がである。



当事者の政治家は、まったく悪いことだとは感じていないようで、ツイッターでお礼まで書き込んでいたというから、呆れて言葉にならない。



この政党が最近は、大学生などの若者を操って国会周辺でデモをさせてみたり、いかにも日本の若者の代表者のような体裁で海外の集まりに参加させたりしているようだから、まともな日本人達は要注意である。




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