孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

香港、「ペスト管理会社」と聞いて・・

2016年04月21日 | 外国ネタ
今日、海外からの不具合報告を簡単に和訳してくれと、A4 3枚ほどの文書を渡されたので、サラッと目を通して、大意を箇条書きに書いて依頼者に返した。

香港の自動車ディーラーからのクレーム報告書で、どこがどういう不具合で、検査員がこことここを調べたが解決しなかったので、部品を交換して対応した。不具合現品を送るので詳しい調査をして欲しい、という内容だった。

車種はいわゆる6人乗りのバンで、Pest Control Company (ペスト管理会社)の社用車だと書かれていた。

ペストとは、いわゆる「黒死病」という別名の伝染病のことだが、英語の pest は、有害生物といった意味もあり、Pest Control Company とは、「害虫駆除の会社」のことだろう。

これがきっかけで、仕事中にもかかわらず、私はしばし時空を超えて明治の化学者の偉業のことを思い始めたのだった。



黒死病は、ヨーロッパで流行するたびに大量の死者を出した恐ろしい伝染病で、14世紀にヨーロッパで大流行した際は、全人口の3分の1というから、恐らく数千万人が病死したという。



この伝染病は、その後16世紀にスペイン・ポルトガルなどがラテンアメリカを侵略した際に持ち込まれ、インディオの絶滅の一因にもなったことは周知のことだ。



19世紀アジアでも流行して、香港はその中心地であった。

1894年、明治27年5月に時の明治政府の命によって香港に渡った北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)は、到着後まもなくペスト菌を発見した。



当時の北里は、恐怖のペストという病が、病原菌が分かっている既知の伝染病と似た点がないかを調べ、検査の結果それが炭疽(そ)症に近いと判断して、病原菌の特定に力を注いだ結果であった。

そのころの香港でペストがもっとも多く発生していた地区では、患者のいない家庭はないほどだった。香港政庁は該当する約一二、〇〇〇坪を封鎖し、区域内の患者と住人を強制退去させたのち、家屋を取り壊し、家具を焼きはらった。それしか対処の方法が見出せなかったそうだ。

北里は、病原菌の伝染媒体がネズミであることを突き止め、感染経路を香港政府に進言し、家屋の消毒と菌を運ぶクマネズミの駆除を徹底させた、ペストを終息に導いたのだった。

このあたりの裏話は、コラムニスト高山正之氏がコラムに書いていたが、北里の偉業は、後の「発見者論争」につながり、手柄は白人に横取りされてしまう。

当時の日本の国力から、北里のようなケースは他にも多数あるが、知れば知るほどくやしさよりも日本人の「すごさ」を再認識することになる。

香港に今も「ペスト管理会社」があるからといって、今でもクマネズミがウジャウジャいるようなことはないのだろうが、ペストの怖さを体験しているだけに、住民の需要は大きいのかもしれない。