孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

自己顕示欲を糧にする

2016年02月10日 | 日記
かなり前のことになるが、ワイドショーの司会者が、「自分は癌を患っているが、負けずに癌と闘う・・・」とテレビで宣言した事があった。

あの辺りが嚆矢ではなかったか、最近やたらと「芸能人」たちが「自分は癌だ。」と、はやりの言い方をすれば、「カミングアウト」している。



何度も何度もテレビカメラの前で、病と闘う自分を見せたりするのだが、見るたびにやせ細っていくのを見ると、私ならずとも世間の人は、「もうダメだね。持たないね。」と思うだろう。



こういう風潮のときにたまたま見た朝のニュースで、「ああ、こういう人の心情なら共感できるなあ。」と思わされた偶発的な出来事を報ずるニュースがあった。

それは、先日降った大雪の日の出来事だった。あるテレビ局の撮影スタッフが通りかかった田舎町で、どこかから助けを求めるような声を耳にしたのだった。

ぐるりを見渡しても降り積もった雪だけで真っ白だったが、声のする方向に微かに人の頭のようなものが見えた。声をかけると返事があった。

腰まで降り積もった雪をかき分けてその方向に進むと、老女が雪にすっぽりと埋まっていてかろうじて肩から上が雪の上に出ている程度だった。

撮影スタッフは老女の周りの雪を掘って助け出した。一体何があったのかと聞くと、大雪だったので朝心配して庭先に出て屋根の雪を見上げた途端、ザーッと雪が落ちてきて一瞬で埋まってしまったのだ、と言う。

「運良く頭は埋まらなかったので、声をふりしぼって助けを求めていたら、あなた方が通りかかったんです。助かってよかったです。でも、あのまま誰も来なかったら、それはそれで、私の運命もここまでかなと思っていました。」

見たところ、80歳前後の老女だったが、かくしゃくとした話し方で、サラッと言ってのけたには、私は見ていて思わず「ホオォォ・・」と感心したのだった。

人間の生死の境目など、方程式で決るものでもないし、何がどうなるのか、どこでどうなるのか分かったものではない。高額な薬を飲んでも、最先端の医療手術を受けても助かることもあれば、ダメなこともある。

そのくらいに考えていれば、いざ大病に冒されたとしてもうろたえることもないのではと思うのだが。

芸能人の中には、自分が病気になってどうやって克服したのか、出るとこ、出るとこで吹聴して廻る人がいた。自分はこうやって病気を克服し、健康を維持しているのだと自慢するわけだ。



最近、見かけなくなったなと思ったら、どうも体調が芳しくなく、体重も30キロ近く減ったそうだ。

格闘技で鍛えた体でも、女性独特の乳癌には冒されることはあるだろう。特にそれ自体は何も不思議ではないのだが、そうなったこと、そして手術を決断したことを逐一公にして、またそれを大きく報道する芸能マスコミ。



全国の女性達、乳癌なんて怖くないんだよ、心配しなくてもいいんだよと、勇気と安心と希望を与えるのが自分に与えられた使命だとでも感じているのだろうか?

今朝も、昨年ニューヨークで華々しくミュージカルデビューをした、日本のCM俳優がマスコミ各社に伝えてきたという、「胃がんの手術を受けて療養中」という直筆のファックスのことを大々的に繰り返し伝えていた。

「妻が受診するように勧めてくれた人間ドックで、早期の胃癌を見つけていただいた・・」そうで、「現在、療養させて頂いて・・」いるそうだ。

「病院を紹介してくれた娘には感謝している」そうで、何より「この出来事が、検診を中々受けられない方達への『受診のきっかけ』となれば」と願っているとツイッターとやらで、呟いているそうだ。

マスコミ各社への『報告』では、「このために、来月からNYで公演予定のミュージカルが少し遅れることをご理解頂けたら幸い・・」だと伝えていたが、NYでこの人の出るミュージカルを楽しみにしている視聴者なんて一体いるんだろうか?

そもそも、去年の4月に公演が始ったとき、ニューヨークタイムズが、ニューヨークポストが、ウォールストリートジャーナルが、デーリーニュースが、そろって彼の演技を酷評していたことは、日本では遠慮してほとんど報道されていない。

“His diction is not always coherent,” The New York Times said, while The New York Post called Watanabe’s English “rough.” “His solo turn, ‘A Puzzlement,’ is just that — a garbled mess,” it added.

(彼の話し方は理解し難かった。NY Times )(彼の英語は荒っぽくて、独唱のところは酷いもので、もう意味不明で滅茶苦茶だった。 NY Post)


『彼の独唱は耳障りだった』、『セリフが意味不明で、めちゃくちゃだ』、『演技がオーバーで、ちょっと迷惑モノだった』などなど・・惨憺たる批評は、今でもネットで検索すると記事が閲覧できる。

それでも、営業面で色をつける必要があったのか、ナントカ賞にノミネートはされていたようで、彼にとってもただのCMタレントではなくなる、輝かしい栄光となっている。

今回のカミングアウトもその営業の一環であったに違いない。

達観した者に言葉は要らない。

それは、プライバシーを切り売りして自己顕示欲を満たそうとする人たちとは、まるで身分が違う雪の中の老女が教えてくれた。

高梨、敵なし!

2016年02月09日 | 日記
オーストリアで大活躍の高梨沙羅選手が、飛んで、飛んでついに10連覇を達成した!もはや敵なしの圧倒的な強さを見せ付けている。



何とか日本人の活躍にブレーキをかけようと、ルール改正をしたがる関係者の思惑とは裏腹に、地元のファンは日本の小さなジャンパーに惜しみない拍手と祝福を送っているそうだ。



インタビューで、モチベーションについて尋ねられた高梨選手は、「男子のレベルには達していない。W杯のテレビ中継を見て圧倒されている。」と答えたそうだ。彼女の究極の目標は、男子と同じ条件でやっても対等に戦えるようになることだそうだ。

地元・オーストリア、スキー連盟の会長は、「とにかく美しいジャンプ。人格もすばらしい。」と賞賛したそうだ。同じ日本人として、この褒め言葉は何とも喜ばしいではないか。

日本には、「勝って兜の緒を締めよ」という言葉がある。頂点を極めてベラベラよく喋る運動選手がいるが、アレは見ていて鬱陶しい。少し寡黙なくらいが丁度いい。


彼女の活躍をもっと伝えて欲しいのに、マスコミは高梨選手とは対極にあるような元職業野球選手のことを連日伝えている。



「言語道断だ」とか、「残念だ」とか、「言葉が出ない」とか、「自分の人生でもきれいな放物線を・・・」などと、いろんなコメントが聞えるが、「コメンテーターたち」やマスコミは、半分は清原に同情しているのではないかという気がする。

紳士たれ、とか球界のジェントルマンとかいう『野球人』たちは、彼が現役の頃から様子が変だとは思わなかったのか?首をすくめて成り行きを見守っている『野球人』がたくさんいることだろう。心の乱れが服装や格好に表れるのは、素人でも子供でも分かるものだ。

普段から子供たちに、「夢を持て・・」だの、「あきらめるな・・」などと言っては偉ぶって「指導」していたようだが、子供たちは『野球人』たちの、極道者のような風貌に知らず知らずのうちに「あこがれ」を抱いていき、その慣れの果てが、賭博だったり覚せい剤であったりするのでは。

それが証拠に、ほれ現役の選手にもいるじゃないか、似たような風体の仲間が。



このような醜態を育んできたのは、取り巻きのファンやスポーツマスコミや、ゲーノー界であることを思い知るべきじゃなかろうか。

八面六臂!!日本女子

2016年02月07日 | 日記
泣きべそをかきながら卓球の特訓をする幼い少女のCMがテレビで流れ、その後期待通り一流選手に成長した福原愛さんも、28歳になった。

彼女の後を追って、20歳の石川佳純選手が登場したと思ったら、いつの間にか15歳の平野美宇と伊藤美誠の「みうみま」コンビが大活躍をしている。



元々白人達のお祭りだったオリンピックが、有色人種の活躍の場になってしまい、それならとスタートした冬季オリンピック。

アフリカには雪は降らないから、白人が大活躍できると踏んでいたら、アジアのチビどもがしゃしゃり出て来て、目障りで仕方ない。

北欧発祥のスポーツ、スキーのジャンプなど、札幌オリンピックでは「日の丸飛行隊」が70m級ジャンプで金銀銅を独占した。高校生だった私達は、ジャンプの真似をして大喜びしたものだった。

「青地に金の傘や!」と覚えたので、金メダル・笠谷選手、銀メダル・金野選手、銅メダル・青地選手という三選手の名前を忘れることはない。

日本選手の活躍が忌々しくて仕方ない北欧の専門家達は、ナントカしてこいつらの出番を無くそうと知恵を絞り、「スキー板の長さの規定」を変えたり、ジャンプ用「スーツの規定」を変えたり、体重と身長の比率で制限を加えたり、日本人に不利になるようにめまぐるしくルールを変えてきた。

しかし、その都度日本人選手はルールに従って勝てる方法を考え、白人たちに対抗している。その先頭を走っているのが、高梨沙羅選手だ。



沙羅 敵なし自己記録更新の9連勝!通算40勝目をマーク!!

『ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)ジャンプ女子は6日、オーストリアのヒンツェンバッハで個人第11戦(HS94メートル、K点85メートル)が行われ、高梨沙羅(19=クラレ)が合計257・2点をマークし、連勝を自己最多の9に伸ばして今季10勝目、通算40勝目を挙げた。

 高梨は1回目にただ1人90メートルを越える最長不倒の93・5メートルを飛び、2回目も93メートルと、2位以下をまったく寄せ付けなかった。高梨は今季11戦中10勝と圧倒的な強さを誇っており、通算でも67戦目で40勝目となっている。(スポニチアネックス 2月6日(土)22時46分配信 )』


  高梨沙羅選手の飛行

今年20歳になる彼女は、今や飛べば優勝するという、世界を相手に大活躍するスポーツ選手である。時折テレビで目にするが、優勝した後の現地マスコミのインタビューにも、通訳を介さず立派に堂々とした態度で、謙虚に感想や抱負を述べている。

女子フィギュアスケートも、「真央ちゃん」の後に続く選手が次々出てきて、お互い切磋琢磨している。人数が多すぎて、私など顔と名前が覚えきれない。



これまでは、スター選手が一人いて、後はどんぐりの背比べ的な状況が続いたようだが、女子フィギュアスケートのジュニアは磨けばピカピカ光る逸材の宝庫の様相を呈しているらしい。

スケートに限ったことではないが、選手たちはそのスポーツを通じて人間性を成長させるという意識で日頃の練習に取り組んで欲しい。指導者もそこまで見据えた指導をして欲しいものだ。

現役を引退した後、芸能事務所に所属して、おちゃらけバラエティー番組の人寄せパンダ役になったり、私生活を切り売りしたり浮名を流したりするのを見ると、「子供たちに夢や勇気を与えたい」と言っていた事とはかけ離れてしまっているようで、残念に思うことがある。




今や飛ぶ鳥の勢いにも負けそうも無い高梨沙羅さんは、高校進学先にインターナショナルスクールを選んだそうだ。

その理由は、『海外へ遠征した時に英語が喋れると精神的に余裕ができる』からだという。入学わずか4ヵ月後の2012年8月に高等学校卒業程度認定試験に合格した。早く競技に集中できる体制を整えたかったため1日11時間の勉強をして合格したというから定めた目標に向って着々と努力していたのだった。



彼女を見るといつも、もう一人の世界を駆け巡り八面六臂の活躍を見せてくれる若い女性のことを思い出す。

珍獣ハンター・イモトである。




そういえばこの二人、どことなく似ているようなきがするのだが。世界を相手にしていると似たような面相になるのだろうか?


鳥肌ものだった。老女ドライバー?

2016年02月06日 | 日記
書店に立ち寄って、少し立ち読みした後、お目当ての月刊雑誌を買った。

わが街の小さな書店は、最早書店というより、マンガ・雑誌店という方がお似合いになった。書店のシステムはよく分からないが、話題の新刊本を買いたくて出かけても、まず見かけたためしはない。

書店の後、灯油を買いにいつものセルフGSに向った。先週などは、両手にポリタンクを持った老人達で賑わっていたが、今日は駐車スペースも空いていて待ち時間はなかった。

灯油の後、ワゴン車のガソリンも補充した。その時のことである。

給油口にノズルを突っ込んで、給油し始めたとき、反対側に軽自動車が給油に入ってきて運転席から40歳位の女性が降りてきて、給油カードを機械に差し込んだ。

同時に、助手席の窓が全開して、皺くちゃの老女が外の女性に話しかけた。

「誰に言わなくてもいいんだね?」

すると、運転してきた女性がそれに答えた。「ここはセルフサービスだから、全部一人でやってもいいんです。この『満タン』というところを押せばいいの。」

その話し振りから、二人の関係は、親子というより、嫁姑らしかった。給油の仕方を教えているということは、助手席の皺くちゃの老女は運転する・・・ということか??

確かに話し方は、声も大きくかくしゃくとした感じであったが、見た感じでは年齢は少なく見ても80歳というところか。

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先週火曜日だったろうか。隣町の小さな薬局の店内に自動車が突っ込み、店を抜けて反対側の壁を飛び出して止まった。





店内にいた4人をはね、その中の54歳の薬剤師の女性は死亡した。58歳と52歳の男女2人が重傷、40歳の女性1人が軽いけがをして病院に運ばれたそうだ。


ニュースによると、警察は乗用車を運転していた男性の警備員(64)を過失運転傷害の疑いでその場で逮捕。調べに対して、男は「車が止まらなかった」と話しているということだった。

公道に面した薬局で、店のまん前から公道に垂直に道が走っていて、男の車はそちらから走ってきて、T字路から公道に進入するつもりだったようだが、薬局前の一旦停止で止まらなかったどころか、様子から見てアクセルを踏み込んだため、かなりのスピードで薬局に
突っ込んだようだった。

もちろん、運転していた男性の言うように、「車が止まらなかった」のではなく、かなりの確率で「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」のだろう。

この手の事故は、毎月のように日本のどこかで発生しているような気がする。



高齢化がこの手の事故を『加速』させていることは否定できないだろうし、これに老人の認知症が絡んでくると、事故の大きさが今後ますます深刻化してしていくのは間違いないだろう。
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お嫁さんらしき女性は、助手席の老女に、ガソリンのノズルはこれで、給油口にノズルを入れてからハンドルを握ればガソリンが出ます。一杯になれば、ハンドルが自分で戻って給油が終了ですから・・とゆっくりとした話し方で説明していた。

老女が、「お金はどこで払うんだい?」と聞くと、お嫁さんは、「さっき入れたカードから引き落とされるから、現金で払う必要はないんですよ。」と教えていた。

 (写真の老女は話とは無関係です。)

やはり、義母から言い出したのか、嫁の方から言い出したのか、どういう事情なのか知る由もないが、あの老女はこれから自分で自動車を運転し、給油も自分でするつもりなのだろう。

あらためて、助手席の老女の顔を見ると、私の母と同じ歳くらいにも見えた。

私の母は、84歳になったばかりだ。


苛々、、「レジ待ち」

2016年02月06日 | 日記
昼前、銀行・郵便局・書店・薬局・灯油買い、と用事があったので、開店時刻を見計らって出かけてきた。

最近のドラッグストアと呼ばれる大型薬局は、店内スペースの多くを食品に割いているので、眼薬と貼るカイロを買いに寄っただけでも、つい駄菓子や飲み物を衝動買いしてしまう傾向があり、まんまと店の戦略に嵌められたようで、反省してしまう。

私は物を買う時は、あまり悩まない方で、商品をサッと見比べて数秒で決めてしまうが、いつまでたっても決心できず棚の前を占拠している人を見かける。

今日も眼薬の棚の前で陣取った大きなカートを押すお爺さんが、なかなか動かず、どの眼薬にしようか決めあぐねている様子だった。

私は横から眺めて、「これでいいや!」と200円程度のヤツを取り、その場を去ったが、その後乳製品やチョコレートの棚を眺めてからレジに向う途中、眼薬の棚の方を見やると、まだ先ほどのお爺さんがいた。

レジは4つあるが、レジ担当が不足しているのか、時間帯のせいか、1つだけ開いていて、カゴを手にした客が二人列を作っていた。

私も列に並んで、順番を待ったが、こういう待ち時間はもう無駄で無駄で、私はいつもイライラしてしまうのだ。



先頭の客は見たところ70歳前後のおじいさんで、レジ打ちのオバサンが合計金額を告げてから、ようやくポケットから財布を取り出し、まずは親指をぺロッと舐めて、千円札を二枚出して、今度は財布の小銭入れを開けて、中をのぞいて必要な1円玉だか5円玉だかをガサゴソほじくり出していた。

こういう一連の動作は大抵の主婦に共通するものだが、男にもこの手はいるものなのだ。

店側もポイントカードはあるかとか、なければお作りしましょうか?とか、お決まりのセリフを教えられた通り、すべての客に繰り返すので、私のようなせっかちな客にはとても耐え難いもので、店員の慇懃な態度は腹立たしくなるときがある。



私が行ったことのある海外での場合と比較しても、日本の大型店のレジ打ちの態度は、丁寧といえば丁寧だが、不快感を覚えさせるほど丁寧すぎることが多々あるように思う。

最近のコンビにでは、買った商品が少ないと、「袋はご入用ですか?」と聞かれることがある。あれは良いことだ。だいたい、日本は過剰包装が目に余る。

私など手に持てる量なら、初めから「袋は要りません。お箸も、お手拭も要りません。」と言うと、「どうもありがとうございます。」と、これまた丁寧に感謝されたりして、苦笑してしまう。

先日は、暖かいものも、冷たいものも「全部一緒に入れてください。」と言ったら、店員が怪訝な表情で、「なるべく早いうちに、暖かい物と冷たいものをお分け下さい。」と言い返された。

お節介にも程があるというものだ。

心なごますTVCM

2016年02月04日 | テレビ・ラジオ
テレビのCMは邪魔臭くて、飛ばしたくなるものがほとんどだが、たまにだがもう一度みてみたくなるTVCMもある。

最近では、中部電力の「はじめる部・集客お手伝い篇」のCMがそれにあたり、わざわざ中部電力のホームページにアクセスして、その公式TVCMを観たり、CM作製のメーキング動画を観たりして、独りクスクス笑っている。



主演の「はじめる部」部長は、こういうひょうきんな役がピッタリはまる香川照之。他の部員達と街を歩いていると、オープンしたてのお弁当屋のチラシ配りをしている少女を見かける。



「お弁当屋、オープンしました。よろしくお願いしま~す。」と言ってチラシを配るのだが、なかなか受け取ってもらえないのを見て、女性部員が呟く。「受け取ってもらえないと、つらいんですよねぇ・・・。」

「まるで、マッチ売りの少女・・・」部長も呟く。

場面が暗転し、小雪もちらついてきた。少女のかぶっていたベレー帽は赤いマフラーに変わっている



すると、マッチ売りの少女風のチラシ配りの彼女は、通行人にドンとぶつかって倒れる。



そこに、颯爽と現れた「はじめる部」のイケメン部員・馬場。「大丈夫?何枚かもらおうか?」と倒れた少女に声をかける。





「一緒に配ってくれるんですかぁ?」と急に明るい声になって喜ぶ彼女。そう言われたイケメン部員・馬場は、少し後ずさりして、「いや、そういうことじゃなくて・・・」とすこしたじろぐ・・。



パッと場面が明るくなって、「じゃあ、どういうことよ!」と立ち上がり、ムッとした態度でイケメン男に向って食い下がる彼女。「一緒に配ってくれそうな顔してたもん!!」



それを見た、香川部長。パッとひらめき、「その手があったか!!」



場面は、はじめる部の企画会議室。ちゃっかり、チラシ配りの女の子もベレー帽をかぶって参加している。「中部電力で、お店の広告を出すお手伝いをして、・・しかも、電気とセットでお得にして・・・」アイデアが浮かぶ香川部長。



「お店の集客お手伝いを「はじめる」中部電力・・・」というナレーション。明るい笑顔の彼女も加わっているシーンでおわり。



何度観ても飽きない、面白いTVCMである。


「もはや反社会的職業」と結論するのは早計か?

2016年02月04日 | 日記
高校生のときから、真夏の野球部応援練習をさせられる度に、「嫌々感」満載だった私は、それ以降も特に野球ファンであった時期もなく、従ってこの度の清原元プロ野球選手の逮捕の速報を見ても、まったく驚きはなく、それよりもその日の天気の方が気になっていたくらいだった。



清原選手といえば、高校野球でPL学園が一世を風靡した頃、桑田選手と並んで何度かの全国優勝に貢献した方で、あの学校の選手は皆ユニフォームの下のお守りをギュッと握り締めて、神頼みするポーズをすることで、当時から私は「胡散臭さ満載」で眺めていたものだった。



そして、確か彼がプロ野球に入団したときのセリフだったと記憶しているが、将来の夢は、と問われて曰く、「ベンツに乗って、コンビニにおでんを買いに行きたい。」と答えていた。

「何とも、さもしい夢だこと・・・」と私は思って、妙に忘れずにいたのだが、その行き着く先が今回の逮捕だとすれば、まあ当時からその程度の人間だったといえるのではないか。

野球やサッカーというと、今や男の子のほとんどが将来なりたい職業にあげるそうで、そう言わない子は男じゃないといったムードになっている。

フェアプレーの精神を大切にし、清く・正しく・美しく・・・どこかの少女歌劇団のような理想を掲げて賛美しようにも、銭が絡んでくるとそう奇麗事ばかり言ってられないのが現実のようである。



紳士・ジェントルマンたれ!と胸を張る集団の長とて、不倫女性の日記をネタに「や」で始る三文字職業の方にゆすられ(八百屋じゃないですよ)、なんと1億円でもみ消そうとしたこともあったようだ。

そうだ。そのチームの若手選手たちが、野球賭博ですべった転んだとニュースになっていたのは、ついこの間だったではないか。



清原容疑者が高校野球で活躍していた時代よりもう少し前になるが、私と同年代の江川選手という怪物が話題になったことがある。彼は私が学んだ学校のある北関東の街(南東北とからかうと地元民は激怒するので要注意!)の高校で3年生のときに全国大会に出場して、バッタバッタと三振を取り、数々の記録を塗り替えたようだった。



しかし、彼がプロ野球に入団する経緯は、銭が絡むとこうも卑しくなるものかというグロテスクなものだった。

いずれ野球を辞めたときのために、「慶応大学卒」の肩書き欲しさに、慶応大学を受験したが不合格だった。仕方なく、入れてくれた法政大学に進学したが、それでは彼はふまんだったようだ。

替わりにプロ野球「巨人軍」という肩書きを強く欲したようである。それが巨人軍の思惑とも絡んだ結果、「空白の一日」と呼ばれる猿芝居で、念願の巨人軍選手となれた。

この辺りの経緯はネットで検索すると詳しく出ているが、特別興味のない私には最後まで読む根気がない。

ただ、江川の巨人軍入団のお陰で犠牲となった小林選手には、当時から私はシンパシーを感じて、密かに応援していたような気がする。



(彼が、57歳ですでに突然死していたとは、実は私はこのブログを書いている今になって知った。所詮、野球に対する私の関心はこの程度である。)

「子供たちに夢と勇気と希望を与えたい」とは、最近運動選手がよく口にする常套句で、これをフランス語では「クリシェ」(決まり文句)というそうだ。

贈り物を渡す際に、「つまらないものですが・・・」というアレと同じである。

その運動選手(私はアスリートなどとは呼ばない主義でして・・)の言うことを鵜呑みにする親御さんたちとて、銭が絡んでくると理想など知ったことかと、二の次三の次になるのは、人間の性(さが)であろう。

ただ、一連の不祥事を眺めてみてあらためて感じるのは、広い裾野から這い上がって頂点を極めた数少ない連中がこういう浅ましいことをしでかすのは、確率として考えれば、決して無視できる値ではないだろう。

この辺り、彼ら『野球人』を取り巻く者たちの「民度」が問われてもいいのではないか。