孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

人気なかった女性登山家

2016年10月22日 | 趣味の世界
何年前だったか、私が富士山五合目で外国人登山客相手の登山指導のアルバイトをしたときのこと、その時の同僚達の間でなんとも評判の悪かった方が、20日に癌で他界した女性登山家、田部井淳子さん(77歳)であった。

何もなくなられた方を悪く言うつもりはないが、ニュースを見て自然に当時のことを思い出してしまった。

  登山家、田部井淳子さん、77歳

ニュースによると、『田部井さんは山岳環境の保護団体の代表を務めるなど、環境保護の大切さを訴える活動にも取り組んできたほか、本の執筆やテレビ出演などを通じて山登りの魅力を伝え続け・・』たそうだ。

しかし、当時我々が目にした田部井さんは、数十人の高齢者登山客を率いて富士登山をするために富士宮口の五合目にいた。

高齢者の方たちは、みな素人の方たちのようで、それは服装や真新しい登山靴を見れば一目瞭然であった。私は疎かったのだが、当時一緒にいた同僚達の一人が、あれはエベレストに女性で初めて登頂した、田部井淳子だよ、と教えてくれたのだった。

次の日だったと思うが、富士登山を終えて下山してきた田部井さん一行は、五合目にある展望広場に集合して、田部井さんは一行に向かって何かを話していた。

その時、同僚がその話を横で聞いてきて、我々に教えてくれた。彼によると、田部井さん御一行は、どうも通販会社の顧客達のようで、田部井さんはその通販会社が企画した高齢者達の富士登山をガイドするとともに、その通販会社が扱う登山用具や登山ウエアの販売促進に一役買っているようだった。

盛んに通販で扱う登山用品購入を高齢者達に勧めていたようだった。

その後、御一行は現地解散となったようで、高齢者達はゾロゾロとシャトルバスの発着所の方に歩いていった。

そして、ガイドした田部井さんは、多分通販会社の女性だろうが、その女性について五合目登山口のすぐ近くに駐車してあった車に向かい、下山していったのだった。

その光景をぼんやりと眺めていた私は、「おやっ?」と思ったのだが、隣にいた同僚もそう感じたようで、「ガイドさんはお勤めを終えたら、お迎えの車でご帰宅なんね。」と呟いた。

別の同僚は、「以前、彼女と山小屋で一緒になったことがあり、みんなで彼女の話を聞いたことがあるけど、自慢話ばっかりだったよ。」と笑っていた。

以来、このことが先入観となって、私の彼女に対する印象は、あまりいいものではなくなっていた。

強靭な体力と精神力を持ち合わせていた女性登山家も、癌細胞にはかなわなかったようで、どうも病院のベッドで息を引き取られたようだ。

ともあれ、ご冥福をお祈りします。




ヤバイと思ったら、謝罪・言い訳

2016年10月22日 | 社会観察
フィリピンの男性の正装は、バロン・タガログというシャツで、暑いフィリピンには風通しがよくて着心地もよさそうだ。

私は8年以上赴任していても、着ることはなかったが、日本人駐在員の中には背広代わりによく着ている人もたくさんいたようだ。

確か素材はパイナップルの葉の繊維で、肌が透けて見え、ポケットはないのが特徴だった。これは、約300年間フィリピンに支配されていた時代の名残で、ポケットはないので何も盗ってはいません。服の下に武器を隠してはいませんという意図がある平服だったようだ。

  バロン姿のフィリピン大統領

スペインの植民地だったフィリピンはその後、スペインをやっつけたら独立させてやるというアメリカの策略にまんまと引っ掛かり、独立できるどころか米国に乗っ取られ、その後50年間米国の植民地となった。

これだけ長い期間欧米の植民地となって奴隷同然の扱いを受けてきた民族は、もはやそのDNAレベルにまで被支配者根性が根付いてしまっている。したがって、フィリピンでフィリピン人を使って仕事をする場合は、独特のフィリピン人気質を理解した上で取り掛からないと上手くいかない場合がある。

これは、フィリピンに限らず、その民族の歴史を少し勉強した上で現地に赴任することで、その後の苦労がかなり軽減され仕事がし易くなるものだ。

今度フィリピンの大統領に就任したドゥテルテ氏は、その無軌道な言動から、米国のトランプ氏に例えられているようだが、私は彼が就任した当初から、彼の「フィリピン人らしさ」を見て取っていた。

  フィリピン人そのもの


それは、ダメもとで言いたいことを言うというが、ガツンと否定すると、案外アッケラカンと要求を引っ込めるという、私が何度も赴任中に経験した「フィリピン人らしさ」だった。

支那にノコノコ出かけていったドゥテルテ氏は、『軍事と経済に関しても、米国との決別』と宣言した、と報道された。彼は、" I announce separation from the US.Both in military and economics also. " と言ったらしい。

「セパレーション」とは、別離、離脱、離婚、分離などという意味がある。

しかし、彼はこの支那人向けにサービスのつもりで言った発言が予想外にアメリカで不評で、騒ぎになっていると知り、帰国してからは、あれは、「外交政策の独立」を唱えたもので、関係の断絶を意味するものではないと釈明したそうだ。

何の恥じらいも戸惑いもなく、アッケラカンと釈明する姿は、フィリピン人そのもので、軽佻浮薄が服を着ているように見えた。

自分の言動に矜持の欠けらも感じさせないその姿勢は、最近我が国でも流行の現象のようだ。

  死刑は人殺し!

ちょっと前にもブログにあげた、老醜を晒す尼僧コスプレ老婆が、死刑賛成は「殺したがるバカども」だと威勢良く批判した事がそれだ。

世間で批判が相次ぐと、新聞紙上で謝った。「お心を傷つけた方々には、心底お詫びします」

そして、最近では青森県黒石市の夏祭り『黒石よされ写真コンテスト』の「市長賞」入賞取消しのドタバタ対応も首をかしげた。

写真コンテスト最高の「黒石市長賞」入賞が決った写真の被写体だった少女がその後、自殺していたとわかり、しかもイジメを苦にした自殺ということで、主催者の黒石観光協会は、「コンテストの趣旨にそぐわない」などの理由で賞を取り消したのだった。


コンテストの趣旨は、何だったのかよく分からないが、被写体が他界しているのでは、ダメだったのか、イジメの被害者だったのがダメだったのか、不可解である。

  市長は当初賞を取り消したのだが・・

黒石市の高樋憲市長は遺族は写真公表を了承していたのだが、「亡くなられた方であるとすれば、再考すべきではないか」といって、主催者が再考することになったようだ。

ところが、これが世間に知れると数え切れない苦情が電話とメールで市役所に殺到したのだった。市長は記者会見して謝罪し、賞の取り消しを撤回したうえで、「黒石市長賞」を改めて贈ると発表した。

写真を撮影した方は、遺族の方が受賞すべきと受賞辞退して、遺族の方が受賞したようだが、市長や関係者の対応が「人権」云々を言い訳にしている点で、どうも私は腑に落ちない。

しかも、テレビのインタビューであれだけ市長の対応を批判していた遺族の方が、賞を受けたとすれば、それも同じように腑に落ちないのである。

いずれにしろ、予想外の反応があると、とっさに謝罪やいい訳をしてその場を収めようとするのは、このところ枚挙に暇(いとま)なしといった情況ではなかろうか。