孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

欧米文化礼賛作戦

2016年10月05日 | 英語関連
この時期は毎年、ノーベル賞が話題の中心になり、自然科学分野で日本人が受賞して、もう日本中が大はしゃぎになる。それに、今年こそはあの反日左翼作家の受賞なるか、とファンはドキドキしているというニュースが流れるのも、「またか・・」という感じになった。

今年は、どういう根拠なのか知らないが、イギリスの賭け屋も今年は受賞があるかも・・と煽っていた。

そして、街の100円ショップの入り口には、あの訳の分からない西洋のお祭りの真似事用の衣装やかぼちゃのモチーフなどが、「それ買え、やれ買え」とばかりに展示されるのである。親たちはどう説明して、子供たちに妙な衣装を着せるのか、毎年私は首をかしげてしまう。

そうこうしている間も、幼児に英語を教えようとする教室は、雨後の筍のごとく、日本中に増え続けているのである。

  

子供たちは、覚えるのが早いに決っている。りんごやバナナの絵を見せて、外人の先生が言い方を教えれば、すぐに真似して口にするようになる。

白衣を着て聴診器を首にぶら下げた人の絵を見せれば、「ドクタ」と言い、おまわりさんの絵を見せれば、「ポリースマン」と言う。

親はそれを見て、「おぉ!」と感動して、「私も小さいうちから英語をやっておけばよかったわ。」などと今更後悔するのである。



しかし、こうやってこの国はシンガポールやマレーシアやフィリピンのようになればいいというのだろうか。確かに、これらの国へ行くと、誰もある程度英語を話すので、タクシーに乗っても、買い物をするときも、食事をするときもあまり苦にはならない。

しかし、それだけのことである。

これらの国は長いこと欧米の植民地として、白人達に支配されていたという歴史がある。植民地として、支配され搾取され、奴隷の如くこき使われ、食料など作るな、胡椒を作れ、ゴムを作れと強いられて、多くが餓死し、戦争となれば彼らの先陣に立たされ、彼らの盾となって死んでいったのである。

使役するためには、言葉はただの弊害でしかない。まず最初にキリスト教を持ち込み、改宗させ、同時に英語を教え込む。

16~17世紀以降のアジアは、すべてそういう流れで続いている。唯一、日本はそれが思い通りに進まなかった。確かにGHQは日本人に英語を喋らせようといろいろ画策したようだ。

明治時代には、日本人の学者の中にも、日本が欧米の技術を取り込んで彼らに追いつくためには、日本語を捨てて、英語化すべきであると主張した者もいたらしい。

しかし、当時の知識人たちの良識はその道を選ばなかったのである。せっせとそれまでなかった概念を日本語に翻訳して、日本人が日本語で最先端の知識・技術を日本国内でも研究できるようにしていったのである。

2020東京五輪で外国の観光客が押し寄せてくる。簡単な英語を話せないようでは、まともな「おもてなし」ができない。せっかくの機会に外人たちと交流を深めたい。

その程度の動機で幼児に英語を覚えさせたいのなら、そうすることで失う犠牲は計り知れなく大きい。

「国連」「ミシュラン」「ノーベル賞」「アカデミー賞」「世界遺産」「ハロウィン」などなど、外国文化礼賛の雰囲気を盛り上げ、欧米礼賛の気質を植え込む。

こういう長期のしたたかな思惑を私は感じざるを得ない。

今の風潮を憂う英語学者が、何かに書いていた。『ある程度の割合の人が例えば、「大工さん」なりたいと思って、精進するのは全く構わないし、あるべき姿だと思うが、国民全員に幼児の頃から、大工さんになれるように仕込もうとするのは馬鹿げている。今の状況は、そのようなものだ。』



大英帝国の時代から、アメリカが覇権を奪い、英語の時代は続いてきた。しかし、これからもそれが続くとは限らない。その徴候があなたには見えてこないか?