孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

秋祭り当番、おでん係

2016年10月16日 | 社会観察
今年は我が班が秋祭りのお祭り当番に当たった。6年ごとに巡ってくる当番で、鎮守の森にある熊野神社とその近くの水神社の祭典とその後の余興の準備と進行、片付けを週末の二日間にわたって執り行うわけだ。

ということは、6年前にも我が班は担当したわけだが、その時は私はお供え物の調達とその神棚へのお供えなどを担当し、詳しい年配者の後にくっついて言われるとおりに動いていた。しかし、今年は何と、無料で参拝者に振舞われるおでん係を仰せつかった。

土曜日の水神社祭典のために100食分、そして今日の熊野神社祭典のために500食分のおでんを用意した。

直径1.5mくらいあるでかい鍋に、鶉のゆでたまご、黒はんぺん、ゴボウ巻き、ちくわ、大根、こんにゃくの6種類を放り込み、だしを溶かしてグツグツ煮ること約1時間。

スチロールのトレイに6種類のネタを1個ずつ載せて、参拝者にふるまった。ところが、おでん担当の4名はこれまで経験がなく、しかも昨年の担当者からの引継ぎがあったわけでもなく、果たして大鍋に500食分の具材が入るものなのか、所要時間はどのくらい見ればいいのか、すったもんだしたのだが、何とか無事やり終えた。

他には、余興の舞台設営とか灯篭の準備とか、甘酒担当、注連縄張り、紙垂(しで)の差込、などなど担当は様々あるが、どこの担当も引継ぎなどなくて、やり方が分からずすったもんだしている様子であった。

 大量の甘酒作りもあった

中でも議論紛糾だったのは、鳥居や参道に掲げる幟(のぼり)の向きをどうするかであったようだ。昨年の撮ってあった写真があったのだが、果たしてそれが正しい向きなのか分からず色々もめていたようだった。

注連縄に挟む紙垂(しで)にも大小の大きさがあって、大をどこに差すのか、小はこの注連縄でいいのか、などなど・・・長老に聞きたくても世代が代わっている為、その跡継ぎでは分からず、こまっていたようだ。

 鳥居前の幟

そこで何とかやりくりして祭典を終え(実際は祭典は30分もかからない)、その後の余興が始った。最初の挨拶で地区の総代さんが、挨拶した。

「この熊野神社が出来たのは、今から420年程前になります・・・」と自慢していたが、私はそれを聞いて驚いた。これまで420回も祭典を続けているにも拘らず、立てる幟の向きすら分からない実情は何なんだ?

おでんを作る手順すら標準化されているわけでもない。

班の祭り当番組長に聞くと、昨年の祭り当番からの引継ぎは、会計帳簿のファイルやその他簡単な式次第のファイルを渡されただけで、時間にして10分もかからなかった、という。さらに、細かな不明点を確認しようとすると、すごく嫌そうな顔をされて、聞きにくかった、とのこと。

注連縄を作れる長老は益々少なくなっていき、さらにお祭りの細かな差配が出来る人も少なくなっている。こういう伝統文化が伝承していかない要因の一つに、私はしきたりの裏にある由来や正式名称、理屈などが極めて曖昧であるため、聞く方も只言われるがままにやっているだけであることがあると思った。

実際、注連縄と紙垂(しで)の由来が雷雲、雷雨、稲妻であるという説が有力であるということすら、ほとんどの方が知らない様子であった。

もし自分が、いつか祭り当番に当たったときは、じっくりと宮司さんにそのあたりを確認したいと考えている。

しかし待てよ。

何年か前、富士山で外国人登山客の案内・指導のアルバイトをやった時、万一聞かれた時のためにと、ふもとの富士宮市にある浅間大社の宮司に、参拝の仕方、「二拝二拍手一拝」の由来を聞いたことがあった。

宮司の答えは、「昔からそうやっているから・・・」で、アレには大変失望させられたな・・・。