孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

日本人の時間感覚

2016年10月04日 | 社会観察
以前、Youtube で、日本を観光旅行中の外国人らしき二人がアップした動画をみたが、その二人の表情が実に面白かった。

新幹線が時刻表通りに出発するのを検証する動画で、まず出発する時刻が表示されたパネルを写し、車内の二人の腕時計のアップが写されて、今の時刻がわかる。

チャイムが聞えて、ドアが閉まる。そして電車がゆっくり動き出した瞬間、再び腕時計の時刻を写すと先ほど映った発車予定時刻ピッタリだった。二人は少し呆れた表情で見合って動画が終わった。

恐らく、秒単位で管理される鉄道は、世界中でも日本だけではないだろうか。

鉄道とは違う環境のバス路線も同じように大きな違いは無い。何か特別な理由がない限り、バス停の時刻表の通りにバスはやってくるのが普通だ。

私が赴任していたフィリピンなどは出発地のバスターミナルにこそ時刻表はあったが、途中のバス停には、そんなものはなかった。地元の利用者は一体どうやってバスが来る時刻を知るのか、不思議でならなかった。

そのフィリピンの軍幹部が訪日したときのエピソードがある。

東京での用件を済ませ、その日は新幹線で関西に向かうことになっていた。側近が、「閣下、そろそろ東京駅に行く時間です。電車に乗り遅れないように出かけましょう。」と言うと、閣下は「電車が予定時刻通りに発車するわけがない。慌てるな。」と部下をたしなめた。

その後、東京駅に着き、予定通りの新幹線に間に合い、予定通りに発車すると、閣下は側近にこう呟いた。「日本人にできて、我々に出来ないはずがない。帰ったら部下たちにこのことを伝えよう。」

その通り、閣下は国に帰ると、数百人の部下を集めて東京駅での体験を語ったのだった。

「日本人ができて、我々に出来ないわけがない。フィリピンタイムなどと言われる汚名を晴らそうではないか。」

日本人は、確かに時間を守る民族だ。時々、マニアックだと思えるくらい時間に対しては几帳面だ。私も例外ではなく、時間にルーズな人は全く信用できないと思うタイプだ

昔、渡米した100名ほどの仲間の中に、沖縄県出身が7人ほどいたが、彼らは時間を守るという神経はまったく持ち合わせていなくて、私は最後まで彼らとは口もききたくはなかったという記憶がある。

今日、職場の業務の中で、顧客クレームに基く検査結果の報告書が廻ってきた。それは購入して1年半ほど乗った自家用車のデジタル時計が遅れる、という内容のクレームだった。

  ダッシュボードのデジタル時計

ディーラーの検査員の検査でも1週間で約2分遅れることを確認したので、計器ごと新品と交換した、と報告されていた。1週間で2分の遅れということは、1日に約17秒である。規格では、日差が+1.5 秒、-0.0秒だそうだ。

実際に返送されてきたクレーム品を検査したところ、0.5秒の遅れが確認されたそうだ。しかし、これはストップウォッチでの確認なので、このレベルなら通常は問題無しという判定だそうだ。

  どちらかというとアナログがいい

デジタル時計は、中に水晶振動子という部品があり、これが正確な1秒を刻む。今週の週刊新潮の高山正之氏の人気コラム、『変見自在』でも話題になっていたが、この水晶に電圧をかけると正確な振動をするという原理は、ピエール・キュリーの発見だそうだ。

この原理を使えば、正確な時計が出来ると考え、世界中の時計屋がクオーツ(石英)時計を目指したのだが、大きさはタンスよりは小さくならなかった。世界が諦めかけた時、日本のメーカーが腕時計の中に入れてしまった。精工舎である。

精工舎はその特許を只で世界に公開したという。口の悪い高山氏(それが魅力だが)は、精工舎のことをコラムの中で『せこいビル・ゲイツとは違う。』と賞賛していた。

  身の回りは時計だらけ

私の愛車についているデジタル時計は、多分1週間で3~4分進む。いつも10分ほど進んだところで、修正することにしている。

私が子供の頃は、家の大黒柱にぜんまい時計が掛かっていて、定期的にぜんまいを巻くのが私の役割だった。

  ボーン、ボーンという音がよかった

あの頃も、我家の掛け時計がどれほど正確だったのか、はたまた正確ではなかったのか、さほど気にもならなかったものだ。