浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

退教佐久支部冬祭りに参加

2011-12-12 00:40:00 | Weblog
12月10日(土)。朝の気温ー7℃。晴れ。
 朝から一日佐久教育会館で退教の冬祭りがあり出席した。冬祭りには作品展もあり絵画・手芸・俳句・写真・版画・組み立て工作・造花など様々な作品が展示されていた。私は木彫りを持参したので『石楠花の図』を飾ってもらった。沖縄へのカンパに宛てる9条バザーも開かれていたので、干し柿を提供し並べて販売していただいた。係りのMさんが完売出来て良かったと喜んでくれた。Kさんが風車作りのコーナーを担当していて、覗いて見たら問い変換丹で強い良く回る風車の作り方を教えてもらって大変良かった。
 午後1時から坂口さんの『戦争体験を聞く会』があり

依田まつみさんの葬儀に参列

2011-12-09 18:39:28 | Weblog
12月9日(金)。朝の気温ー3℃。雪。後晴れ。
 千曲小学校で担任した依田昌子さんのお母さんが亡くなられて、今日告別式が小諸で行なわれた。朝雪が積もったので除雪をして出かけた。告別式が11時だったので早めに出て行った。大日向辺に行ったら雪は全く無い。矢張り下のほうは暖かいのだ。式場には依田さんのお手伝いの皆さんがお世話になった人ばかりで懐かしかった。40年も前のことなのに昨日のことのように思い出される。ご焼香の後、受付をお手伝いしているお二人と、挨拶しながら近況を語り合った。なほ親戚の席にMさん親子も参列しておられ御丁寧に立ち上がって御礼の挨拶をされ、恐縮してしまった。
 午後妻がズボンの裾上げを何本もしてくれた。坂城から電話で連絡があり、16日に伺うことにした。

庭石の移動

2011-12-09 17:40:21 | Weblog
12月8日(木)。朝の気温ー3℃。小雨。
 午前8時40分の予約で歯科医院へ行く。一番に治療を受けて待合室に戻ったら、Mさん、Tさん、Yさん、Sさんなど、沢山の知人が来て居て驚いた。先日などは誰も居なくて一人だけだったことも有る。小さな町に歯科医院が三軒もあるので、医院経営も大変かもしれない。今日の位患者が居ればまあまあ良いかも知れない。
 帰宅してから妻と家周りや軒下のごったくの片付けと移動をした。はぜっぽや杭がまだまだいっぱいで積みきれないほどある、燃やして戻ってから、夕方、庭石の移動をした。一番は昔水車で使っていた石の大きな臼である。池の西側に置いていたが反対側に移動した。形は一抱えでも石は重いものである。妻と二人でとっついてもびくともしなかったが、がじとてこで何とかこじ上げ、動かし、さっき燃やさずに残しておいた丸太を60センチに何本も切りコロを作って何度も差し替えて、静かに転ばしながら、時間をかけて移動させ漸く予定の位置に据え付ける事が出来た。高齢の二人の手や力では如何せん無理だったが...。捨てたがり屋の妻が感心したように言った。”何でも役に立つんですね。この家は何でもとってあるからこういうときは不自由しませんね。”

家の周りの片付け

2011-12-09 17:07:56 | Weblog
12月7日(水)。朝の気温1℃。曇り。
 午前にJA西部支所に用事に行ったら、係りが居ないので手続きが出来ないと言う。午後自宅を訪問してお届けしますというので、お茶の用意をして待っていたが現れなかった。そんな事で遠くにも行かれなかったので、二人で家の周りの片づけ仕事をしていた。お陰で大分片付いて良かった。落ち葉や木の枝などを燃やして、サツマイモを焼いて焼き芋大会をした

ノウゼンカズラの大木を切り倒す

2011-12-09 16:52:38 | Weblog
12月6日(火)。朝の気温ー2℃。晴れ。
 農作業がほぼ一段落した。さあ、いよいよこの季節に二人暮らしになった昨年から毎年恒例となりそうな家の内外のガラクタ片づけの始まりである。12月と1月前半は100年間貯めに貯めた大量ののごったくの片づけと移動である。家にある2本のノウゼンカズラが余りにも大きくなってしまい二人ともこれから高齢になるし、先に行って手に余ると言う妻の発案で、一本を切り倒した。その間に妻が門口にあるノウゼンカヅラを枝の剪定した。チエンソウで根元から切り、倒れた幹を運べるように短く切り刻んだ。片付いたら周りが広々して気持ちが良い。物置の中に積み込んであった蚕飼育の竹かごが50枚ほども積み上げてあったので、運び出しエンドウマメのつるの手にでも使うように、畑のビニールハウスに運び込んでおいた。
 午後は歯医者に行く。夕方から一日中妻が片づけてくれたはぜ棒やくいっぽ、庭木等全てを満載して軽トラに乗せて運び出し燃した。月が出た、やっと燃し終わった。もうじき満月だ。