浅間の煙

じいさんの気ままな独り言

「坂の上の雲」を見る

2011-12-26 14:47:29 | Weblog
12月25日(日)。朝の気温ー4℃。雪後晴れて又午後は雪降り。吹雪となった。
 朝除雪。午前は毛糸ボンボンの飾り付けをし、午後は垣根の切り捨てた枝葉を片付けた。縄で束ねたら23束も有った。2回に分けて運び神明沢入りの畑に積み上げた。最後は雪の降る中暗くなってしまったが、軽トラのライトで何とか片づけられた。午後6時半となる。
 夜のテレビで『坂の上の雲』を見る。3年連続の最終回である。明治の富国強兵時代の物語であるが、戦争に明け暮れて犠牲者を沢山だし、弱小国日本が背伸びをして世界の列強国と肩を並べる過程の一こまである。日本海海戦で勝利し、ロシアからの賠償金はゼロであったところで終わったが、このときロシアは国内が大荒れに荒れているときで、帝政ロシアが倒されて革命の波が起きて来る時代であった。戦後秋山が「戦争は犠牲者が沢山出て敵も味方も痛ましい限りである。軍人を止めて僧侶になって犠牲者を弔いたい」と言う意味の言葉を述べているが、このドラマの締めくくりの言葉として適切であったと思う。先年旅順港を訪れ、203高地にも登って見たので、指揮をとった乃木将軍の苦悩も良く理解できた。ステッセルと会見した水師営の家屋も残されていて見てきたが、今回のドラマでは表現されては居なかったようである。
 雪の降りそうな頃、春日からKさんがお歳暮を届けて下さった。作業中だったのでなんの御もてなしもできず申し訳なかった。

竹割り用の十字型楔

2011-12-24 17:43:33 | Weblog
12月24日(土)。朝の気温ー10℃。晴れ。風が冷たい日であった。
 竹細工を始める時期と成り、妻が竹割用の十字型楔を作って欲しいと言うので、朝から板を見つけて材料と道具を用意して設計図道理に上手く仕上げた。針金で補強もして満足の行くものが出来上がった。T先生も立派が楔を作って下さった。夕方Nさんが竹ひご作りの幅とり機を手直ししたものと新しいものと3枚作って持って来てくれた。T先生から戴いた楔を見て、鉄の楔で作れば頑丈でよく割れるという妻の話に"任せてうちで作れる"といって帰り、1時間ほどで又来てくれた。溶接して鉄の楔を作って持って来てくれた。重さが2キロほどもある立派なものである。これなら永久に使えそうだ。重いので気をつけなければいけないと思うが、二階のベランダにあがってセットし下に下りて、竹を何度も地面に落とせば危険が無いからと妻が言った。
 午後の作業は生垣の刈り込みの続きをした。3時には全て終わったが、刈り落とした枝などは全部は片付かなかった。又仕事が明日に残ってしまった。
 夕方近所のNさんが手づくりケーキを沢山持って来て下さった。クリスマスイブにいいものを戴いてほんとに良かった。

年金改悪反対の署名のお願い

2011-12-23 23:46:05 | Weblog
12月23日(金)。朝の気温ー5℃。晴れ。
 朝から午前中、全日本年金者組合の取り組んでいる、消費税によらない最低保障年金制度を求め年金改悪反対の署名活動をした。友人知人の家を訪ねて賛成をして頂き、どのお宅でも快く協力して下さった。割り当ては用紙2枚で10ぴつなので達成できて良かった。なほ新しい仲間を迎える目標も達成できて大変嬉しい事である。
 午後は生垣の刈り込みを続けてやる。もう少しで終わるところで暗くなってしまった。山の手入れほどもある大量の枝葉を明日は片付けなければいけないので、作業が大変である。

「年金者しんぶん新年号」記事原稿を依頼される

2011-12-22 19:41:58 | Weblog
12月22日(木)。朝の気温0℃。晴れ後曇り。冬至。
 寒さが大分緩やかになった。
 生垣の刈り込みの続きをした。
 全日本年金者組合長野県本部から『年金者しんぶん新年号』に新年に当たっての決意や思いを書いて送ってくれと依頼されたので、これから何か一言書くことにする。

生垣の刈り込み・小荷物の発送

2011-12-21 20:39:04 | Weblog
12月21日(水)。朝の気温ー8℃。晴れ後曇り。
 東京・千葉へ米リンゴ野沢菜など詰め合わせで5箱荷造りをして、郵便局から発送した。
 天気予報では、朝の内だけ晴れで天気が悪く成りそうであったが、午後になっても太陽が出ていたので、生垣の刈り込みを始めた。半分ほど残ってしまったが明日出来たら続きをすることにした。
 望月のMIさんが、刻み藁のロール巻きを軽トラに山のように積み上げて持って来てくれた。1巻きが50キロほどもある大きな玉が13個も有って使い切れないかも・・・。