ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

生きているものの神

2010-06-02 04:59:20 | カトリックの信仰
 今朝は早起き、4時半から目が覚めて、あ~、KさんもSさんもこの時間から起きて、歩いて、聖書を読んで、祈って一日が始まるのだんらと思い出す。

 こちらには英語対訳付きの聖書を持ってきているのだが、一度も開いたことがない。勉強会でヨハネ福音書を読んでいるが、そっちはフランシスコ会訳の分冊を使っている。

 さて、今日の福音はマルコ12:18-27 イエスと復活を信じないサドカイ派の問答という形の中で、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか」と手厳しい。時々何を大切に生きているのかと信仰を問いながらいないととんでもない思い違いをしていることになる、と思うことがある。福音は「神は死んだ者の神ではなく、生きているものの神なのだ。あなたがたは、大変な思い違いをしている」と結ばれている。

 私たちは生きている。しょっちゅう思い込みや思い違いでお互いを枠にはめてみてしまう弱い存在だ。落ち着いて考えれば、全然大きなミスではないのにまず「自分ではない!」とまず自己弁護し、その先に誰かに責任を求めてしまっている。他者を簡単にさばいている、そのことに気づかずに傷つけている。ときには互いに傷ついているのだが、その痛みに鈍感になっている。悲しく思う、痛みを覚え、もがいている、そんな自分を含む人間のいきているところに、イエスだったら「共に生きる神」として寄り添って下さるのだということを深く受け止める一日としたい。そんな信仰を豊かにするセンス、信仰の感覚は意識していないと簡単にスルーしてしまう。


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