ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

昼下がりの聖堂

2014-09-04 10:32:37 | カトリックの信仰
散歩の途中で自宅近くの修道院の聖堂に寄りました。
誰もいないと思って扉を開けたら…シスターが奥の方に立っておられました。
祭壇に向かって、何人かの友人たちの顔を思い浮かべながら祈りました。
静かな、静かな聖堂の中で、時々衣擦れの音…

この聖堂の十字架は、痩せて哀れなイエス像がかかっています。
太っちょのふんぞり返っているイエス像はあり得ませんが、そんなのもっと嫌ですね。
あまり、この像のこと好きじゃないのだけど、でもこの十字架の足元を飾る花はイエス様のことをいつも賛美している気がしてミサに与るとミサ後にカメラを向けたくなります。

今日も友達の顔を思いながら見上げるイエス様は、今流行の男子スカートをはいて(似合っているかも)、みんなお見通しのようです。全部受け止めて、「大丈夫だよ」って言っておられるようでした。

何が大丈夫なんでしょう・・・とりあえず・・・祈らずにはおられない友達がそれぞれに抱えていることは違うけれど、神様からの恵みに支えられて平穏な気持ちの中で過ごすことができるようにと、みんなが笑顔の中で過ごせますようにと思います。どんな形であっても神さまはいつでも見ておられるから、希望をもっていて欲しいと思います。

祈ることしかできない私はすでに、困難や悲しみ、涙の中にいる彼らに励まされているような気がします。祈れることに感謝しつつ心を込めて祈るときに、何より彼らと共にいることに気付くのです。

シスターが「十字架の道行」をしておられることに気が付きました。
遠く母国からいらしているシスターのために、良く日本にいらして長く尽くしてくださっていることに感謝せずにはいられない気持ちになりました。イエス様の十字架の道をたどりながら、復活へ導かれる祈りはいつでも珠玉の祈りです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。