10月3日はアシジの聖フランシスコの帰天祭(トランジットス Transits:回想とか交通では乗り換え)であった。聖フランシスコが起点されたことを記念し、聖フランシスコを崇敬し、遺言を読み、黙とうする。
フランシスコ会の教会に所属するようになって、毎年この晩の祈りと翌4日の祝日のミサには出ている。去年は東京にいる時、仕事があったのでどちらも参加しなかった。今年は丁度、帰省中。昨日と今日参加することができた。
アシジのフランシスコは、13世紀、教会の立て直しを神から托され、み言葉に生きる道を選び、彼の生き方に倣う人の集まりができたのが800年前。 昨日も今日もフランシスコ会の司祭6人が集まり、最近ではこういう時にしか見なくなった茶色の修道服姿が晴れの日を迎えているようにみえた。
今日の説教で、
このところ兄弟(同じ修道者のことをこういう)の病気などで、いくつかの教会の仕事を任せられ、かなり忙しいI師が、司祭として教会の仕事、それに付随するもろもろの仕事が忙しくなるほどに、自分の修道者としての在り方を見つめ、家庭を持っている人が家庭に戻るとそこがほっとする居場所のように、自分たち修道者にとって、修道会は戻ってホッとするい場所なのだと思えるようになってきた。
で、フランシスコの伝記やら書いたものを読む機会も増えたが、彼の信仰者としての姿はあるのだが、彼がどういう生活をしていたのか具体的に書かれたものは何もなかった。 例えばベネディクト会の会則では、何時に起きて朝の祈り、食事をして,労働をして、昼の祈りが何時…ときちっと決められているが、フランシスコがどう過ごし、いつ働き、どんな労働をしていたのか分からないし、遺言にもない。会則の中に労働をする恵みを与えられた者は、忠実にその使命を果たし…というところがあるので、労働というのは幅広く、その人に固有に神から与えられた仕事なのだと思われるが、それぞれが忠実に使命を生きることが大事であり、お互いの仕事を認め合うことも大切なことと思う、
フランシスコ会は司祭もいれば、修道者もいる。司牧をしている者、黙想指導をしている者、奉仕活動をしている者、それぞれの働きがある。使命に忠実でないものは管区長にまで申し出る会則もあったが、それだけフランシスコは兄弟の働きを大事にしていたのだと思う。
というようなことを話された。
ひと頃10人を超える司祭が祭壇に並んだ時に比べたら6人は少ない。参加者が30人も40人もの時に比べると昨日も今日も少なかった。それでも、宗派を超えて平和を祈るときに、マザーテレサ、アシジのフランシスコ、小さき花のテレジア、皆が共感するカリスマを持っている偉大な聖人を祝うことができることを感謝したい。
フランシスコ会の教会に所属するようになって、毎年この晩の祈りと翌4日の祝日のミサには出ている。去年は東京にいる時、仕事があったのでどちらも参加しなかった。今年は丁度、帰省中。昨日と今日参加することができた。
アシジのフランシスコは、13世紀、教会の立て直しを神から托され、み言葉に生きる道を選び、彼の生き方に倣う人の集まりができたのが800年前。 昨日も今日もフランシスコ会の司祭6人が集まり、最近ではこういう時にしか見なくなった茶色の修道服姿が晴れの日を迎えているようにみえた。
今日の説教で、
このところ兄弟(同じ修道者のことをこういう)の病気などで、いくつかの教会の仕事を任せられ、かなり忙しいI師が、司祭として教会の仕事、それに付随するもろもろの仕事が忙しくなるほどに、自分の修道者としての在り方を見つめ、家庭を持っている人が家庭に戻るとそこがほっとする居場所のように、自分たち修道者にとって、修道会は戻ってホッとするい場所なのだと思えるようになってきた。
で、フランシスコの伝記やら書いたものを読む機会も増えたが、彼の信仰者としての姿はあるのだが、彼がどういう生活をしていたのか具体的に書かれたものは何もなかった。 例えばベネディクト会の会則では、何時に起きて朝の祈り、食事をして,労働をして、昼の祈りが何時…ときちっと決められているが、フランシスコがどう過ごし、いつ働き、どんな労働をしていたのか分からないし、遺言にもない。会則の中に労働をする恵みを与えられた者は、忠実にその使命を果たし…というところがあるので、労働というのは幅広く、その人に固有に神から与えられた仕事なのだと思われるが、それぞれが忠実に使命を生きることが大事であり、お互いの仕事を認め合うことも大切なことと思う、
フランシスコ会は司祭もいれば、修道者もいる。司牧をしている者、黙想指導をしている者、奉仕活動をしている者、それぞれの働きがある。使命に忠実でないものは管区長にまで申し出る会則もあったが、それだけフランシスコは兄弟の働きを大事にしていたのだと思う。
というようなことを話された。
ひと頃10人を超える司祭が祭壇に並んだ時に比べたら6人は少ない。参加者が30人も40人もの時に比べると昨日も今日も少なかった。それでも、宗派を超えて平和を祈るときに、マザーテレサ、アシジのフランシスコ、小さき花のテレジア、皆が共感するカリスマを持っている偉大な聖人を祝うことができることを感謝したい。