ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

すぐそこに秋 でも・・・

2012-09-16 23:38:53 | 日々の出来事
      

まだまだ日中は残暑が厳しく、昔からいわれている「暑さ寒さも彼岸まで」のお彼岸は今週末ですが、いつまで続くのかなこの暑さと思います。
先週初めの天気予報で「厳しい残暑も明日まで」とか「明後日まで」と言っていましたが、それはどうも35度を超えるか超えないかが《厳しい》という形容詞が付くか付かないからしく、残暑は今月末とか昨日いってました。

母は「もうだめだわ。今年は本当に身体にきついわ。いよいよお迎えは来てくれるかしら」とブツブツ言っています。必要以上の節電をして体調を崩すよりは、母がいいと思うようにエアコンを付けたらいいと思うのですが、この2週間一緒に居てやっぱりエアコンをつけっぱなしにすることで、身体がだるくなっているのもあるのではないかと心配になってきました。

私は昔から余りエアコンで冷えるのは好きではないです。東京に行ってから、朝起きてから日差しが暑くなるまでの9時半前後と夕方になっての風は、長野の朝晩の涼しさとは全く違うけれど東京に居ても風が変わるのが分かります。母がエアコンをつけている居間から逃げたくなりますし、夜のエアコンは使ったことがなくすごしました。窓も開けっ放しにした方が少ない、位になっています。― 母が言うように8月中は夜中も熱帯夜の東京だったので、その時にはやっぱりエアコンをつけないとならなかったかもしれませんが ― でも家の中で一日中エアコンの中ですごすのは、仕事で一日エアコンの中に居ると快適温度かもしれないけれど身体は快適とは言っていないと感じたのと同じだなと思いました。(今日、長野へ来ています)

エアコンの吐き出す熱気が気温も上げていることを思うと、こんなにエアコンに頼らなかった時代が本当に懐かしくなります。グリーンカーテンなんていわなくても、昔から夏の風物詩と言われる朝顔やへちまは日陰を作り、風鈴で風を感じて、夕方縁台で涼むのは風の通り道を知っていたのでしょうね。去年も今年も皆がいっせいに打ち水をして気温を下げるというニュースを見ましたが、昔もありましたね。

電化製品というものが、段々段々と一般庶民の家庭にも出てきた時代に育った私です。何とか博物館に古い電化製品がありそうですが、今、とっても親切に色々な機能が付いていつでも電気を消費しているものばかりに囲まれている若い人には想像できない位不便かもしれません。でもそれでも生活できた。程ほどの快適さに戻る生活はできないものかなぁ。

そう思いながら、こうしてかなりの熱量を発しているPCを使っているし、無くてもすごせていた携帯をこの世代ではすごいわねと言われながらiphoneにしている私がいるし、結局ダメだなとげんなり・・・