加齢を愉しむために

未来に希望を抱けるように生きたいという願望を叶えるために如何に行動すればよいのかを探してみたいと思っています。

介護

2005年09月06日 | Weblog
夏の思い出
慌しく過ごしているうちにもう9月になって・・・・・介護に係わるようになって1週間の過ぎる速さは想像以上で、何がそんなに落ち着かないのか?考えてみました。
母が90歳を過ぎた頃から現状把握できなくなったことで誰かが傍についていないといけなくなった事が最大の原因です。母は過去の事はかなりしっかり覚えていて、計算等はすいすいこなし、長い間書道を趣味にしていた事もあって難しい漢字も私なんかより沢山覚えています。なのに10分前の事は全く覚えられないのです。ただそれだけのことなのにそれが本人はもとより家族から日常の平穏を奪ってしまっているのです。なんだかとても贅沢な悩みのような気もします。
でも現実には同じ事を何回も聞かれ、その度に同じ説明を繰り返すこと、現状把握出来ずいらいらする母の気持ちを紛らわすことに疲れ、自分自身がいらだち、そんな自分に嫌悪感を覚える連続に疲れてしまうのです。
私の場合は姉妹が多いので、介護といってもほんの一部を担っているだけです。それでもこれだけ圧迫感を感じるのですから独りで介護を担っている方はいかばかりかと思います。
夏休みに1週間程、母をわが家に預かった際、何とかもう少しゆとりを持って介護できないものかと思い、いくつか試してみました。
安い光電話を活用し、姉妹の協力を得て母の話し相手をしてもらう事で自分だけの時間を確保しました。又自分を癒す目的で、億劫がる母を連れ出し、娘の助け得て箱根に泊まって温泉を楽しんできました。




結果は大成功で娘の案内で今流行のケーキの美味しいお店に立ち寄ったり、ホテルでのちょっと気取ったディナーを楽しんだり、露天風呂でゆったりしたりと楽しい時間を一杯持つことができました。母もちょとオスマシして昔の母の面影を見せてくれました。勿論いろいろトラブルもありましが・・・・・
これからは介護から開放された時間は母の事をあれこれ思い悩まず、自分のために大切に使い、介護に係わる時も自分ひとりで抱え込まないで気楽にやってゆきたいと思いました。
母の介護は自分の老後の身の処し方について考える良い機会とも捉えています。

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2 コメント

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介護 (jitsu)
2005-09-12 16:56:47
介護にも人それぞれ・・・

いろんな型があるようですが、

どんな型であるにしろ、人が人を介護して行くって事、大変だと思っています。



ただ、必ずや終わりがある・・・

半日か1年か3年か、はたまた10年間か・・・



私を取り巻く周りの人達、御両親を見送り、今度は相棒の介護に遭遇してます。



頑張っておられる人は皆明るいですね。

一人で背負わない事。

心のゆとりを持つ事。

いつかは別れが来る事。

心身共に健全で生きて行けるよう、努力する事。

家族や取り巻く友人達とこんな事を話し合っています。



神はむごい事しはりますよね。

どんなかたちにしろ“老い”は人格を無視して人それぞれにお与えなさる。

でも人は、甘んじてその“老い”を受けなくちゃ黄泉の世界にはいけないのでしょうね。



しゃべれなくてもいい、私が判らなくなってもいい、生きていて欲しかった・・・

3年前90で逝った母を恋しがる今の私です。



どうぞ気負わないでお母様を大事にして下さい。     じつより



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ありがとう!! (mirai)
2005-09-12 21:24:52
じつさんからこのような心のこもったコメントを頂いたりすると明日はもっと優しく接しようと温かい気持ちが沸いてきます。ありがとうございました。
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