加齢を愉しむために

未来に希望を抱けるように生きたいという願望を叶えるために如何に行動すればよいのかを探してみたいと思っています。

秋の風の中で

2007年10月21日 | Weblog
緑葉と枯葉の美しいハーモニー

枯葉が舞い、赤い実も目立ちはじめました。
そんな季節の中で庭の片隅にホトトギスの花が緑の葉をバックに風に揺れています。

枯葉や赤い実と瑞々しい緑の葉が何の違和感もなく同じ空間にある。

最近の私は加齢による色々な変化に関心があります。
身体的な老いは具体的なデータで、ある程度判る気がします。
なのに気持ちの老いを客観的に知るのは難しいと感じています。

若い頃の老人観では体も心も自然に枯れて仙人に近づくのかな~と漠然と思っていました。

自分が老人と呼ばれる年齢になってみるとちょっと違うと感じています。
確かに身体的には徐々に衰えていることを感じることができます。
でも心は自然に枯れていくといった感じがしないのです。

私より高齢な人達とお話しても「気持ちは変らないのよね~」
とおっしゃる方が多いのです。

身近な母を観察してみても悟りを開いて穏やかな日々を過ごしているとは思えないのです。

いまだに未熟な私は悟りを開いて穏やかに暮らすなんて無理そうなのでこれからも夢を追いつつ忙しく生きてゆくしかないかな~と感じています。

爽やかな秋風の中の緑葉と枯葉が自然に溶け合っているように心と身体がうまく融合できたら素敵なのに・・・


薫りと記憶

2007年10月13日 | Weblog
記憶の再生

金木犀の季節になりました。今年は花つきが特別に良く、薫りも深いように思います。

夕刻、木の下で目を閉じ薫りに包まれていたら、遠い昔、寮生活をしていた頃の記憶が蘇ってきました。校庭の梅林の中で梅香に包まれて思い悩んでいた青春時代の心の痛みまでも感じたように思いました。

記憶は嗅覚、視覚、聴覚、味覚、触覚、突発的情報などに刺激されて突然呼び起こされるように感じます。

薫りによって呼び起こされる記憶は沢山あってもそれらは宇宙の中に点在する星のようなものでそれぞれは独立しているような気がします。
なのでその時の状況の中で最も適した記憶が選ばれるのかな~?
そういえば最近思わぬ方からの連絡を受けて学生の頃を思い出していました。




はっと我に返ってみると今現在の自分が庭の掃除をしている。
どちらも私なのに何かぜんぜん違う気もする。
時空を超えた瞬間を経験してもそれが現在とうまく繋がらないのです。
記憶は必ずしも連続とは限らないように思えています。

思い出して心に響くような記憶を沢山創っていくことが充実した人生を
過ごしたことになるのかな~。