5月12日(月)夕刻、大阪を車で発ち、1000キロ走って、13日(火)早朝、鹿児島着。フェリーで屋久島にわたりました。
5月17日(土)朝、屋久島を発ち、18日(日)、早朝大阪に戻りました。
PHOTOブログ「Adagio Photography」に屋久島の旅をアップしました。
屋久島の旅(その1)
http://adagio.velvet.jp/wp/?p=813
屋久島の旅(その2)
http://adagio.velvet.jp/wp/?p=827
をご覧頂ければ幸いです。
5月12日(月)夕刻、大阪を車で発ち、1000キロ走って、13日(火)早朝、鹿児島着。フェリーで屋久島にわたりました。
5月17日(土)朝、屋久島を発ち、18日(日)、早朝大阪に戻りました。
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屋久島の旅(その1)
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屋久島の旅(その2)
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朝はゆっくり温泉に浸かる。今日もほかに客人はいないので、静かでのんびりできる。朝食はたっぷりあるので、満腹になってしまった。
チェックアウトをしてから、別所温泉の中を歩く。最初に行ったのは、「北向き観音」。節分に、むけて飾りつけをしている最中だった。話に聞くと、善光寺が南を向きこの観音は善光寺を向いているので「北向き観音」と呼ばれているとのこと。善光寺と「北向き観音」を合わせて回ると願い事が叶うらしい。
この寺の境内には、樹齢1200年の桂が茂っており、それを川口松太郎が「愛染かつら」として、小説にし有名になった。
別所温泉の町内には、3か所の、外風呂がり、誰でも150円で入浴できる。石風呂は「真田幸村公の隠し湯」と書かれていた。坂を下っていくと、別所温泉駅に出る。レトロ調の駅舎は懐かしい気持ちにさせてくれる。丁度、上田からくる2両連結の列車が到着した。
温泉街を歩いているうちに身体が冷えてきたので、外風呂の「大湯」にしばらく浸かって、身体を温めた。
その後別所温泉を後にして上田に向かう。近くに戦没画学生の作品を集めた「無言館」という、ギャラリーがあるが、次回訪れることにしよう。昼食は、途中の道沿いにあったイタリアンの店に入る。女性だけでやっているというユニークな店で、ピッツァの生地がしっとりしていて気に入った。
上田に出て、まずは上田城を訪ねる。堀の周りに桜が植えられているので、春にはさぞかし花見客で賑わうであろう。
次に、池波正太郎が「真田太平記」を書いたことを記念して、「池波正太郎真田太平記館」問いう施設があるのを知り、訪ねてみる。
館内では「真田太平記」の作品解説や池波正太郎の自筆原稿などが展示されいる。信州ということで真田太平記に興味が湧いたが、それよりも
池波正太郎のスケッチ作品に目が行った。軽やかなしっかりした水彩画がいい。それについて、1月の終わりに「池波正太郎のパリ」と題した講演会があるそうだ。
そこを出た後、「北国街道 柳町」という通りがるので歩いてみた。宿場町を再現しようとしているようだ。古い建物を使ってパンやさんがあったので入り、アンパンを買った。
その後は、R18を千曲川沿いに走り佐久に入る。佐久からは右折して、R141を南に下って清里に戻ってきた。清里から大きく右回りに1周してきたことになる。
24日から25日にかけて、冬の信州小旅行に出かけた。今回は松本城下を歩いた後、別所温泉に向かう旅。
24日は、久しぶりに松本を歩く。まず行ったのは、「ヴィクトリアン・クラフト」。奈良井川沿いにある、クラッシック調の建物が目印。
中には、カントリー雑貨、アンティークが並べられている。2階は、アンティークの家具や敷物などが置かれていた。どれも楽しいものばかりで、見ていて飽きがこない。
店内からは奈良井川の向こうに常念岳の美しい山並みが見える。
アンティークのテーブルセットが気になったのだが、結局、温度計などの小物を買って、店を出た。
次にJR松本駅のinfomation centerに行き、市内の地図をもらう。昼は蕎麦を食べようということになり、地図にあった松本城の近くの「北門」という蕎麦屋に入る。信州更科蕎麦は、やはり洗練度が違うのか、薫り高く、腰がありすっきりした味わいだった。
昼からは、中町~縄手通りを歩く。以前に来た時と府に気はあまり変わっていないが、なんとなく蕎麦屋さんが増えたような気がした。交差点の近くに松本名物の湧水が出ているところがあった。
1時間ほど散策してから、今日の宿、別所温泉に向かう。松本からは、高速を走らずにR254を取って「山才山(みさやま)トンネル」~「平井寺トンネル」~別所温泉へ出た。
夕食までにゆっくり温泉に浸かる。そういえば、温泉に浸かるのは久しぶりだ。別所温泉は、歴史は古く、湯量が豊富で源泉かけ流しだ。
「玉屋旅館」は、こじんまりとした温泉宿だが、部屋もまぁまぁで、料理も綺麗で美味しかった。従業員の接客態度もいい。
朝食の後、暫く庭と畑を見回り、みんなで記念写真を撮って、出発だ。今日は、塩尻から国道19号線を走り、旧中山道の宿場町「奈良井宿」を訪ねることにする。「奈良井宿」に着くと目印の太鼓橋があった。
駐車場からJRの踏切を越えると、昔の宿場町が広がっている。現在も普段の生活をしている匂いがある宿場町だ。馬篭や妻籠と似たような街おこしをしようとしているようだが、すこし、淋しい感じは否めない。
漆器の店が多かった。昼時になったので、島崎藤村が「夜明け前」の執筆に立ち寄ったという、「徳利屋」という蕎麦屋に入った。
藤村が据わったという囲炉裏で燻された古い建物の店だ。
蕎麦と五平餅を注文する。三色の(黒ゴマ、クルミ、サンショ)五平餅は、少し小さいのが不満だったが、田舎風のやさしい味がした。蕎麦は、やや太くしっかりした口触りだ。蕎麦つゆは、何故か関西風の薄い味付けだった。
雨脚が次第に強くなってくるなか、R19号を中津川まで走り、行きと同じく恵那山トンネルを通過しなかった。中津川からは中央道を通って、夕刻大阪に帰りついた。
6月28日に山仲間5人と一緒に蓼科山(2530m)に登ることになった。今日は、途中にある名古屋郊外の香嵐渓を訪ねた。
香嵐渓は、矢作川支流巴川がつくる渓谷で、愛知高原国定公園の一角に当たる。紅葉やカタクリの花などが有名なところだ。この時期は、渓谷にそって生えている新緑のカエデが美しかった。
香嵐渓から少し歩いたところに「三州足助屋敷」がある。三河の国のことを別名「三州」と呼ぶらしい。ここは、「消えゆく昔の日本の暮らし、明治から昭和初期の農家の暮らしを再現し、山村の暮らしや手仕事の技術を紹介」する施設となっている。時間が無かったので、施設には入らなかった。
その施設の近くに「薫楓亭」という豆腐料理の店があったので、そこで昼食を食べた。清流のせせらぎをききながら、食べる豆腐料理は、心も体も安らいで来る気がした。
その後、茶臼山高原の「芝桜の丘」を訪ねたが、平日というのにものすごい人出で、リフト乗り場も長蛇の列だ。ゆっくり見ている時間もないので、見学を諦めることにする。
そこから、飯田まで153号線を走り、飯田ICから中央道を走る。中央道は現在、恵那山トンネルの天井板撤去工事中で片側通行になっているので、それを避けることができた。
今夜の宿はみんなと一緒にいつもお世話になっているゲストハウス「ミュー」さんに泊まる。「ミュー」さんのいつもながらの美味しい料理に舌鼓を打ちながら、ワイワイガヤガヤと楽しい宴が「延々と」続いてしまった。