指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

「なぜ、こんな男が議員になれたではなくて、議員だからこんな男でもなれた」のである

2016年02月16日 | 政治

自民党のゲス不倫議員の話題が今もテレビで報じられている。

すぐに思うのは、「なぜこんな人間が議員になれたのか」だろう。

だが、よく考えればすぐわかるが、「議員だからこそ、この程度の人間でもなれた」のである。

 

                 

昔々、田中角栄が総理大臣になったとき、よく言われたのが「学歴などのない男がよく総理大臣になれただが、議員内閣制の総理大臣だからこそなれたのだ」と私は思った。

なぜなら、国会議員に学歴等の資格制限はなく、選挙で当選すれば誰でも議員になれる。

言ってみれば、非常に民主的なのだ、当たり前だが。

勿論、当選するには、それなりの能力や努力が必要であり、田中角栄は、凄い才能の人間だったと思う。多分、日本の戦後で最も能力の優れた人間だったかもしれない。

そして、学歴、家柄等がまったくなかった彼が、最後は内閣総理大臣にまでなれたのは、日本の戦後の民主主義の成果だったと思う。

さて、今や国会議員になるためには、自民党では、各選挙区の「予備選挙」で選ばれれば、自民党の候補者になれる。

今回の「不倫議員」も、予備選挙で候補者になり、選挙では民主党候補に接戦で勝ったとのこと。

要は、予備選挙に勝てれば、議員になれるわけで、その意味では自民党の予備選挙は非常に重要だということになる。

多分、その際の決め手になったのは、彼のカッコ良さだったと思う。それに問題の記者会見を見ても、一応まともな事を言っているように見える。

だが、その本質は・・・大いに疑問があったわけだが。

彼は、大企業にいたが、辞めてベンチャー企業を立ち上げたとのことだが、議員になる方が、ベンチャーとしては一番だったわけである。

陰ながら今後のご活躍をお祈りするものである。


サイレント映画2本 『海援隊快撃』『天保泥絵草紙』

2016年02月16日 | 映画

強い風の中、湘南新宿ラインで横浜から阿佐ヶ谷に行き、モーニングショーを見る。

坂本頼光の活弁、宮澤やすみの三味線で2本のサイレント映画『海援隊快撃』『天保泥絵草紙』を見る。

『海援隊快撃』は、言うまでもなく坂本竜馬で、月形龍之介が主演した朝日映画聯盟の作品、監督は志波西果という方。

名前は聞いたことがあるが、作品を見るのは初めて。

                     

 

終了後の坂本の話では、朝日映画聯盟は月形と志波が作った独立プロだったが、これともう1本しか作品はないそうで、理由は、志波が主演女優の桜井京子と駆け落ちしてしまったからとは笑える。

作品としては、坂本竜馬の勝海舟との出会いによって攘夷派から開国、さらに薩長連合への道を開くが、近江屋で殺された短い生涯を描くもの。

月形龍之介が二枚目だったことがよくわかり、殺陣もすごいが、ただ回転数が当時の18コマではなく、フィルムセンター版なので、24コマ上映なので、動きが早くなってしまっているとのこと。それに合わせるのには、非常な苦労があるらしい。

坂本は、サイレント作品の収集もしており、某コレクターから膨大なフィルム・リストを見せられ「1000万円!」と言われたことがあるそうだが、勿論購入せず。

別にオークションで入手したという、この作品の別版もビデオ上映されたが、そこには脚本に伊藤大輔の名、撮影に山崎一雄の名も見えた。

客席にいた牧田尚さんからは、「このフィルムを持っていますよ!」とのお言葉もあり、大いに驚く。

この別版は、画面も音もひどいのだが、牧田さんのお言葉では、上映会の映像を撮影したDVDだろうとのこと。

「へえー、そんなやり方があるのか」と思ったのだが、実はこの夜の帰り、横浜市内の古本屋で同じく月形龍之介のDVDを買ったのだが、それもひどい映像なので、これも上映会撮影ものだったと分かった。

世の中には、いろいろなことがあるものだと思う。

もう1本の『天保泥絵草紙』は、天保水滸伝の河内山宗春を描くもので、意外にも筋は、黙阿弥の劇に忠実なものだった。

帝国キネマは粗製乱造と言われ、『何が彼女をそうさせたか』のみが名作とのことだが、結構きちんと作られていることが分かった。

 

 

 


2本のリアリズム映画 『七人の刑事・終着駅の女』『東京湾』

2016年02月15日 | 映画

日曜日は、ラピュタで2本のリアリズムの刑事ものを見た。1965年日活の『七人の刑事・終着駅の女』と1962年松竹の『東京湾』

                               

 

『東京湾』は、野村芳太郎監督で、東京下町の京成立石や西新井橋あたりを舞台にした作品で、昔から評価が高く、私はずいぶん昔に川崎国際で見たのだが、フィルムの状態が悪くてよくわからなかったので、再度見ることにした。今回は非常にきれいなフィルムで大変満足した。

脚本は松山善三と多賀祥介となっているが、後にATGに関係する多賀だが、この頃は松山の家に寄食していたのだそうだ。

銀座で浜村純が、ライフルで殺され、刑事たちが捜査すると、殺されたのは厚生省の麻薬捜査官であることが分かる。

そこから刑事の西村晃が、戦友で荒川放水路で貸しボート屋をやっていて、麻薬運搬のルートを勤めていた玉川伊佐男と対決し、最後は手錠で繋がれていたため共に鉄橋から落ちて死ぬ。

西村とコンビを組む若い刑事は石崎二郎で、佐分利信の息子だったが、これくらいしか出なかった。いくら父が名優と言っても子供も名優というわけではない。

犯人と刑事が同じ戦友というのは、ある意味で黒澤明の『野良犬』と同じ設定であり、まだ戦争が残っていた時代であることを強く感じる。

オールロケの撮影が非常に良いが、企画が佐田啓二というのが注目される。

ヌーベルバークがいなくなり、佐田はいろいろと彼なりに新しいことへ挑戦していた。渋谷実監督の『甘い汗』での悪役もそうで、もし彼は事故で死ななければ、監督やプロデューサーになれたと思う。

同様に、大映の市川雷蔵もそうで、彼は加藤道夫の『なよたけ』を映画化したかったというのだから、これも残念なことだった。

 

『七人の刑事・終着駅の女』は、どこの記録にもない作品で、家に戻って調べると、『八月の濡れた砂』と『不良少女・魔子』の後、9月に日活がお蔵入り作品から公開したものだった。

舞台は上野駅で、駅構内、台東署、飴や横丁、上野駅の地下道、食堂などが頻繁に出てくる。刑事は、テレビと同じ係長堀雄二以下の7人のメンバーである。

撮影はこれもオールロケで、台詞は後で付けたもののようだ。撮影は、監督の若杉光夫とコンビの井上完で、記録映画のようなタッチに非常なリアティがある。

また、録音は安恵重遠(藤原釜足の弟で東宝ストの馘首組)、監督補は宮川考司と独立プロの連中である。

上野駅のホームで女を殺した犯人は、やくざのチンピラの杉山元で、吉田毅の顔も見える。

やくざの親分が宮坂将嘉の他、幹部が梅野泰靖、刑事に芦田伸介と大滝秀治、さらに庄司永健や草薙幸二郎と、劇団民芸映画である。

殺された女の同僚で、旅館の女中が笹森礼子で、この公開時にはもう女優を辞めていたはずで、彼女の最後の映画だと思う。

ともかく、この1960年代前半は、日本映画史で見れば、一番リアイズム的表現が頂点に達した時であった。

 

 

 


大駱駝艦公演『クレイジー・キャメル』

2016年02月15日 | 演劇

日本の芸術、文化の世界で、最も異常なことの一つに舞踏がある。舞踏は、基本的にマイナーのまま、世界的にはメジャーになってしまったという稀有な例である。

以前、大野一雄さんの公演について、横浜市のある幹部は、

「あんなおじいさんが、おばあさんのように白塗りしてわけのわからない踊りをしているのが、なんで芸術なのかね、気持ち悪いだけではないかね」と言った。

普通の価値観、美的意識から見れば、その通りだろう。

だが、トランプで、負のカードばかりを集めると最大の点になるように、マイナーそのものがメジャーになったのが舞踏、もしくはBUTOHである。

                          

 

今回の題名のキャメルは、駱駝で、まさに砂漠を駱駝が行く、大駱駝艦そのものである。

麿赤児は、今回の公演を「金紛ショー+舞踏」と言っており、20ほどの金粉ダンサーと、女学生姿の麿、もう一人の女性の女学生との、やや同性愛的関係、そこに入り込んでくる、かつての日活映画での小沢昭一の学帽を被った大学生のような白塗りの中学生との「三角関係」の交錯である。

交錯毎に大きく音楽が変わり、ビバルディーの『四季』に合わせて劇は進む。

白塗り中学生の出現で、麿と女学生との関係にひびが入るが、中学生はそれをまったく無視している。

だが、最後中学生男が倒れるとき、股間には金色の男根が直立している。

これをどう見るかだが、やはり唐十郎の劇によく出てくる「男と女のすれ違い劇」だろうと思う。

これを見た私の知人は言った。

「かつての女性舞踏ダンサーの舞踏ブス顔がなくなり、スタイルも抜群に良くなったが、これじゃマイナーではなくてメジャーじゃないの」

世田谷パブリックシアター


川津祐介が演じた森新太郎と宮崎謙介

2016年02月13日 | 政治

アマゾンで買った関川秀雄監督の『いれずみ無残』という無残な出来の映画を見ていた。

                

 

これは羽衣の女という彫物を持つクラブのマダムの荒井千津子と、弁天小僧の刺青の川津祐介が出会い、あたかも二つの刺青が呼び合うようにくっ付いたり離れたりする映画である。

そこに、荒井を慕うズベ公の松岡きっ子が出て来て、荒井とのレスビアンになるという作品である。

松竹には珍しい、刺青とレズで、大ヒットし、これが1968年4月に公開された後、なんと1か月後の5月に『新・いれずみ無残』が公開されている。

実は、この『いれずみ無残』は、公開時に新宿の昭和館で見ている。だが、当時は気が付かなかったが、川津が演じた森新太郎という詐欺師の男は、生来の嘘つきで、自分の嘘に酔ってしまう人物なのことがよくわかった。

世の中には、こうした異常な人間がいるもので、その典型は今村昌平が映画『復讐するは我にあり』で、緒形拳が演じた西口彰という詐欺師の殺人鬼である。

彼は、その場、その場で、求めている人間になってしまい、それを見事に演じて、周りのすべての者をだましてしまう。

その果ては殺人になるのだが、この西口の本質は、詐欺師である。

さて、無残映画『いれずみ無残』を見終わると、テレビで、「ゲス不倫議員」とされた宮崎謙介議員が記者会見をやっていた。

非常に大げさに演じているものだったが、テレビは恐ろしいと思う。

こいつはなんとか「悲劇的」で「不運」な、しかしそれでも運命に戦う男を演じていることがはっきりと見えてしまった。

こういう軽薄な男になぜ女性は騙されるのだろうか、と思うかもしれない。だが、この男は自分をもだまし自己陶酔しているので、そう簡単には他人は、その演技を見破れないのである。

因みに、映画では、荒井千津子と川津祐介は、すべてに行き詰って最後は心中して終わるのだが。

 


『母べえ』

2016年02月11日 | 映画

私の知り合いで、この映画の原作者の野上照代を大変に嫌いな人がいる。普通の元公務員で、彼女になにも関係はないが、「話し方が偉そうで嫌だ」というのだ。

確かにそうしたところはあるだろうが、それは彼女の責任ではなく、野上女史を偉くしてしまった周辺の問題である。

今や、彼女は「世界の巨匠」の側近の数少ない生き残りでは仕方はないが。

私も、そうしたこともあり、公開時も見ず、昨年録画しても見ないでいたが、見てみると結構面白い。

                  

 

事実と違うところもあるようだが、エピソードが豊富で飽きずに見ていられる。

良いのは、主人公の母べえの吉永小百合と坂東三津五郎夫妻にとって一見敵のように見えた人たちが、生き生きとしていて興味いところである。

笑福亭鶴瓶が演じる、奈良から来たという得体の知れない叔父さんが典型で、照美の姉初子の体の変化を嫌らしく言ったりする。

だが、街頭の愛国婦人会の贅沢品反対、貴金属供出運動には敢然と反抗し、「贅沢の何が悪い!」と言い放つのである。

また、故郷の父親は、元警察署長で三津五郎が投獄されると「最初から結婚に反対だった」と言い、太平洋戦争開始後も、転向しないと知ると上京してくる。

四谷の旅館で、母べえと孫たちにすき焼きをご馳走しようとする。

そのとき、照美が卵を割って机に落としてしまうと「もったいない」と言って口で吸って飲んでしまう。

これは誰かと思うと、先日亡くなれた中村梅之助で、彼が連れてきた下品な女は、彼の再婚相手の左時枝で久しぶりだが、適役だった。

何かと母べえに便宜を図る、でんでんの隣組会長、三津五郎が投獄されると留守宅に足しげく通ってきて世話をする、三津五郎の教え子の浅野忠信、

みなすべて吉永小百合が密かに好きだからやっていて、またそれを知っていて利用する美人の狡さ。

この辺は、吉永小百合の面目躍如だが、私はやはり彼女では少し年を取りすぎていると思う。

吉永の姪で、美術をやっていて浅野が好きだが、戦争中に故郷に帰る檀れいから、浅野の真意を言い当てられた時の吉永の困惑。

それは悪くないが、この役が若い檀れいだったら、もっとリアリティがあると思うのだ。

鈴木瑞穂の偉い先生と衝突しせっかく出たカステラが、梅之助と喧嘩して席を立ち、スキヤキが食べられなかっとき、輝美が口に出す

「カステラ・・・」「スキヤキ・・・」が笑えるが、母べえは、幼い照美にとって、自分の意地のために子供に好きなものを与えない、良くない母親である。

現在に近い時代になると、照美は中学校で美術を教えている戸田恵子で、初子は医者の倍賞千恵子になっている。

二人に看取られて母べえは、父べえのところに行く。

日本映画専門チャンネル

 


『あじさいの歌』と『春の夜の出来事』

2016年02月11日 | 映画

神保町シアターで、『あじさいの歌』と『春の夜の出来事』を見る。

             

 

『あじさいの歌』は、昔川崎の銀星座で見ているが、今回見てみて「これは石原裕次郎・芦川いづみの映画ではなく、東野英治郎・轟夕起子の映画ではないか」と思えてきた。

偶然出会った、裕次郎は大富豪の東野英治郎の大邸宅に行き、芦川いづみと知り合う。

世間に出たことのない深窓の令嬢という設定は、今では考えられないが、昔エリザベスサンダースホームの沢田美喜さんは、子供時代にお金があることを知らなかったと言っていた。彼女は三菱財閥のお嬢様で、台東区の旧岩崎廷の外にはほとんど出なかったようだ。

「世の中にはあるらしいとは聞いていたが、実際に見たことも使ったこともなかった」そうである。みな使用人がやってくれたからである。

東野英治郎は、昭和初期の若いころは女性不信に陥っていて、彼の妻は、芦川いづみを生んですぐに家を出てしまったという。

これは、小津安二郎の映画『東京暮色』で、笠智衆を捨てて若い男と出て行ってしまった山田五十鈴と同じではないか。

東野曰く、妻と一緒に出て行った「毒にも薬にもならぬ」男は大坂志郎と非常な適役で、今も大阪で旅館をやっている轟夕起子の従僕として仕えている。

最終的には、裕次郎や中原早苗らの若い世代の空気が邸宅の中にも入ってくることで東野英治郎も変わり、轟を許すことになる。

音楽は斉藤高順で、戦後の『晩春』以後の小津安二郎作品の「サセ・レシア」の斉藤高順である。

東野英治郎の住む大邸宅は、元は横浜の野毛山にあった横浜銀行頭取のお屋敷とのこと。

内部の場面もかなりそこで撮影されているようで大変なお屋敷で本当にすごい。

横浜銀行にいた友人に聞くと、1970年代には、もうそれはなかったとのこと。今は、野毛山にある浜銀の職員住宅のある場所のようだ。

 

『春の夜の出来事』は、大財閥の当主が、自分の一つの会社の懸賞に偽名で当たり、身分を偽って赤倉のホテルに行く。

当選者が、もう一人いて貧乏人の三島耕で、この二人をホテル側が取り違えることから起きる喜劇である。

富豪の執事が伊藤雄之助、娘が芦川いづみ、女中頭が東山千枝子だが、ホテルで仮装パーティがあり、東山が「巡礼おつる」になるのが一番笑わせてくれる。もちろん、芦川のピーターパンも可愛いが。

黛敏郎が、ニセ黛敏郎で出てくるのがおかしいが、西河克己によれば、

「知り合った人間で、一番頭がよくて真面目だったのが黛敏郎と三島由紀夫で、真面目なインテリは右翼になるのかな」と言っている。

ホテルの支配人が清水一郎、彼は松竹大船の俳優で、有名なのは小津安二郎の映画『晩春』での寿司屋の親父だろう。

いろいろとあるが、芦川いづみと三島耕が相思相愛になり、最後富豪の邸宅に招かれて一緒になることが示唆され、富豪も、三島や伊藤らと赤倉で楽しく雪遊びをしたことを思い出す。

最後まで富豪役が誰かわからなかったが、資料で若原雅夫と知る。若原も三島耕も、どちらかと言えば「大根役者」で、その二人がきちんと演技しているのは、西河克己の演出力の確かさである。

脚本は、ケストナーの小説を基に、西河克己と中平康が書いたもの。

西河は、自分をフェビアン二ストと言っており、ここには上流の人間も下層の人間も共に和解して、一緒にやって行くべきだとの彼の願望がよく現れていると思う。

フェビアン二ストと言えば、以外にも松竹の指導者だった城戸四郎も実はそうで、松竹大船の作品には、それがよく反映されていると思う。

神保町シアター

 

 

 


『グッバイ・ベルイマン』

2016年02月10日 | 映画

先日は満員ではいれなかったので、昼過ぎに行くが60番代だった。

食事後に、喫茶店で休んで行く。

                                       

 

「グッバイ」の題名だが、むしろ「ハロー・ベルイマン」で、彼の生涯と作品の多くの監督等のインタビューによる紹介である。

イングマル・ベルイマンは、私には苦手な監督で、『不良少女モニカ』『第七の封印』『沈黙』『野いちご』などを見ているが、その暗さと性的抑圧への苦悶のすごさには、ついていけないものがあるからだ。

中では、『第七の封印』『不良少女モニカ』には、非常に感動したが。

特に、『第七の封印』は、1950年代の米ソの冷戦時代の核戦争の恐怖を描いた作品で、大変に優れたものだと思う。

インタビューには、マーティン・スコセッシの他、ウッディ・アレン、コッポラ等が、ベルイマンを称賛している。スコセッシは、多くの国の映画を見ているので、意外ではないが、コッポラもそうだというのは、やや意外である。

スコセッシは、外国映画が好きで、今村昌平に傾倒しているのは有名である。

作中で、誰かか忘れたが、世界の大監督として、フェリーニ、黒澤明と並びベルイマンを挙げていたが、これは興味深いことである。

なぜなら、黒澤明とフェリーニは、共に第二次世界大戦で負けたことと、戦後社会の混乱の中で作品を作った来た監督である。

また、スエーデンのベルイマンは、戦後の欧州世界で一番の問題だった、米ソの冷戦下の核戦争の恐怖を鋭く描いた監督だった。

1970年代以降、彼はやや不振となり、一人で島に住むようになるが、生来の精神的なものもあったようだ。

1990年代以後回復し、大作『ファニーとアレキサンドラ』では、世界的な成功を収める。

『ペルソナ』と『ファニーとアレキサンドラ』は、いずれ見てみようと思った。

日本の映画関係者では、北野たけしだけがインタビューされているが、仕方ないことなのか。

ユーロスペース2

 

 


『恋人たち』

2016年02月09日 | 映画

「キネマ旬報」の昨年の日本映画ベストワンだというので、横浜シネマリンに見に行く。

予想通り、「夢も希望もない」作品だった。別に悪い映画ではないが、こういうものをベスト・ワンにしてよいのかね、と思う。

                                               

 

もし、若者が、ベスト・ワンだと聞いて見にきたら、驚愕し、二度と日本映画を見なくなくなるのではないか。

反アベノミクス映画としては、よくできているが。

ここに出てくるのは、下流社会の人間か、上流の弁護士だが明らかにかなり心がおかしく、同性愛になっている男である。

つまり、簡単に言えば、日本の多くの人間は、下層社会で苦しんでいるか、上層にいても心に問題を抱えているとものだと描かれている。

もちろん、歴代の日本映画の名作は、それぞれの時代の問題を表現してきた。

溝口健二の『浪花悲歌』『祇園の姉妹』は昭和初期の、ある種の好景気の中で身を亡ぼす女性であり、成瀬己喜男の『浮雲』は戦後の社会の向上とは逆に戦前、戦後の腐れ縁から逃れられない男女を表現したものだった。

それぞれが、時代に対して鋭い批判を持つものだった。

この作品で、一番面白いのは、橋梁の検査会社の同僚で、片腕の男が、爆弾作成に失敗して片腕になったというくだり。さらに、雅子様フリークの女性と、皇室詐欺を働く元準ミスの女である。

これらは、今までの日本映画には見られなかった人間像である。

製作・配給の松竹ブロードキャステングは、衛星劇場の会社だと思うが、よくこのように冴えない名作を作ったものだと感心した。

横浜シネマリン


『実録・阿部定』

2016年02月08日 | 映画

ユーロスペースの北欧映画祭で『むかし、むかし』を見ようと3階に行くが超満員で、全席売り切れとのことで、1階上がって田中登特集を見る。

                 

 

『実録・阿部定』は、1975年の公開時に見て、「これはすごい」と思った。

大島渚もそうで、川崎の映画館(たぶん駅ビルにあった駅ビル文化だと思うが)でこれを見てショックを受け、「日活ロマンポルノには敵わないと思い、ハードコアをやることにした」そうだ。

話は、言うまでもなく1936年に起きた「阿部定事件」で、2・26事件の裏というか、その社会の最底辺で起こっていた「猟奇事件」である。

全巻76分の作品で、たぶん90%は、宮下順子と江角英明のセックス・シーンばかりなのだから凄い。

50年ぶりに、さらに同じ題材の大島渚の『愛のコリーダ』を見た目でみると、作品の低予算性が目につくが。

二人がいた旅館の外を兵隊が通るシーンが何度か繰り返され、集団の隊列だと思っていたが、たった4人の兵隊である。

だが、舞台の木造の古びた旅館が非常に良いが、よくこの時期まで残っていたものだと思うが、群馬あたりだろうか。

坂田晃一の音楽も良い。

シネマヴェーラ渋谷

 


『喜劇・黄綬褒章』

2016年02月08日 | 映画

1973年に東京映画で作られた森繁久彌主演の作品、彼が紳士姿で出て来て喫茶店でコーヒーを飲み、会社に入るが、次は作業服姿になる。

清掃事業の会社、し尿収集の会社、簡単に言えば「おわいや」で、森繁はそこのベテラン職員なのだ。

              

 

相棒は青空千夜で、係長は佐山俊二、やくざのチンピラで左とん平が出るなど、喜劇人が多いが、森繁の力だろう。

前半は、バキュームカーで、各家の糞尿を吸収する様子と、その悪臭の困惑等が描かれる。1970年代でも、東京23区の下水道普及率は40%で、多くはバキュームカーによるし尿収集だったのだ。

今では、誰も忘れているので、インチキ映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、「昔はよかった」式の嘘がまかり通ることになる。

1950年代は、東京でも異常に臭い町だったのである。

バキュームカーは、実は川崎市の職員が考えたもので、それまでは汚わい車による収集であり、駐留軍ミュージシャンによる「ハニー・バケット・ソング」まであったのだ。

途中に、「私はあなたと塩原の芸者の娘だ」という川口晶が現れ、森繁の妻・市原悦子は激怒して家を出ていく。

同時に、元チンピラの黒沢年男も出て来て、森繁の会社の職員になる。森繁は、「し尿収集事業従事25年で黄綬褒章受章だ!」と佐山係長から告げられる。

天皇陛下に会えると、家族全員が喜び、隠し子騒動から生まれた家族の確執はすべてなくなる。

だが、黒沢のところにやくざが賭博金の取り立てに来たとき、森繁と青空千夜は、車から糞尿を大量に噴出させてやくざを撃退する。

これが新聞に載り、森繁は「会社に迷惑をかけた」と辞職願いを出すが、全員に励まされ、再び作業の様々な映像が展開されてエンドマーク。

脚本が松山善三、監督は井上一男と元松竹大船で、実態をよく踏まえた作品になっているのは、さすが。

市原悦子が、森繁の隠し子に激怒して戻る実家が草加の煎餅屋で、親父は殿山泰司だが、若妻の大原麗子をもらっているのが笑える。

日本映画専門チャンネル

 

 


口利き③

2016年02月07日 | 政治

議員への口利きと言えば、その見返りの「賄賂」であるが、40年間の市役所生活で、幸か不幸か賄賂をもらったことはない。

ただ、金銭を使った場面に遭遇したことはある。

港湾局でポートセールス担当係長の時、横浜市港湾局長を代表に、業界関係者20人を引き連れてアメリカ東海岸に行った。

ニューヨーク、ボルチモア、ニューオーリンズ港を回るため、成田空港からニューヨークのケネディ空港に着いた。

手荷物を出し、各地で招待者に渡すための記念品を入れた段ボール箱も税関に持っていく。

                                 

 

「これは何だ」と税関の担当者に止められた。

「ニューヨーク、ボルチモア、ニューオーリンズ港で招待者に上げるための記念品のネクタイ、バッチ等である」

「これは貿易である。正式の通関手続きを取れ」

「どうするのか、明日にはボルチモア港のパーティで使わなければならない」

「まず上屋に入れて、関税を課した後に出すので、1週間はかかるだろう・・・」

そのとき、ツアー代理店の日新航空の渡辺横浜支店長が来た、「金を渡せばいいんですよ!」

と言って担当者と交渉してくれた。

無事OKとなり、外に出たとき、彼に「いくらはらったの」と聞くと「2万円くらいですよ」とのことだった。

 

よく途上国の空港等では、税関職員に金を要求されることがあるという。

これは途上国は、国家に金がなく、公務員にきちんと給与を支給できないなので、その分彼らは、地位を利用して利益を得ようとすると言われている。

日本で比較的公務員の犯罪や汚職が少ないのは、人事院制度によってそれなりの給与が支払われているからである。

我々の場合は、日本人と馬鹿にして、少しからかってやろうというものだったと思う。

アメリカのような国でも、こういう連中はいるものなのだなと思った次第である。

 

 

 

 


『哀しい気分でジョーク』の横浜ドリームランド

2016年02月07日 | 横浜

以前もDVDで見て、

「これは」と思ったが、京浜蒲田のビデオ安売り店で280円で買ってきたビデオで確認すると、やはり横浜ドリームランドだった。

                   

 

作品の真ん中あたりで、自分の子供と一緒で、息子が指揮をする中学のコーラスのシーンである。

映画では、西麻布中となっているが、最後のタイトルで見ると大船中学になっており、明らかに横浜ドリームランドの屋外ステージでの撮影である。

話は、妻と別れて息子と二人暮らしだが、人気コメディアンで女と遊びで暮らしているたけし、一応恋人は若手DJの中井貴恵。

ところが、息子が悪性の脳腫瘍であることが分かり、仕事を減らして少ない時間を息子と過ごそうとする。

製作時期は、1985年4月で、浦安の東京ディズニーランドはオープンしていたが、横浜ドリームランドも一応は営業を続けていた。

その中での、撮影である。

脚本は松竹のベテランの吉田剛、監督は瀬川昌治で、たけしの他、プロダクション社長の石倉三郎、マネージャーの柳沢慎吾も良く演じている。

別れた妻は大谷直子で、今はシドニーにいるとのことで、親子でオーストラリアに行くと結婚式を挙げる時で、その相手は(タイトルにはないが)なんと清水紘治で笑ってしまう。このころは、夫婦だったのだ。

たけしも、多くの映画に出ているが、良い方だと思う。やはり、よき脚本と監督が必要であるという証拠だろう。


口利きについて②

2016年02月06日 | 政治

議員による「口利き」で、たぶん一番多いのは、大学や企業への入学、入社だろう。

私も、横浜市の外郭団体にいたとき、職員の募集をやり、300人くらい応募があった。そのとき、当時市長室長だった中山君を通して、「高秀市長の知り合いの娘が受験しているのでよろしく」との電話があった。

なんでも「フランス留学の経験もあるので、国際的企業にふさわしいだろう」とのことだった。上司のH部長に相談すると、「普通にやればよいよ」とのことだった。三次までやった試験で、彼女は300人中50番くらいで、一次で落ちた。

その旨報告すると、特に何もなく、その性か、Hさんも私も部長止まりだったが、特別な便宜を図っていれば、局長や区長になれたのかもしれない。

 

飛鳥田市長の元で、田村明と共にブレーンで活躍され、その後関東学院大学の先生になった鳴海正泰さんから、お話を聞いたことがある。

「頼んでくるのは大体駄目なんで困るよ、本当に」とのことだった。

逆に依頼する方から言えば、最初から大丈夫と思っていれば、ざわざわ頼みはしないよ、ということかもしれないが。

 


『座頭市・地獄旅』

2016年02月06日 | 映画

館山から三崎への渡し船の渡り板から足を踏み外しそうになった座頭市は、浪人の成田三樹夫に救われる。

                     

 

船が出ると、そこに勝新を狙うやくざの戸浦六宏、さらに小姓姿の女林千鶴などがやってくる。

船内ではサイコロ賭博が行われ、勝新は、盆の外にサイコロを出して騙す方法で、素人から金を巻き上げたりする。だが、これはもう一度陸に上がってやり失敗する件もあるなど、脚本が非常に面白い。巨匠伊藤大輔なのだから、当然だが。

市は、幼児を連れた女岩崎加根子と知り合い、幼児が破傷風になったことから一緒に箱根の宿に泊まることになり、そこには林の兄で、親の仇を狙う山本学と従者丸井太郎もいる。

そして、林千鶴もやってきて、林は山本の妹で、道中は危険なので男の姿だったのだ。林は今は円の高林由紀子で、男姿も凛々しい美人である。

それでみなが揃うが、これは「グランドホテル」だなと思う。

最初に、毘沙門天神社で丸井が殺される。彼しか、山本・林兄妹の親の仇の顔を知らないのだと言う。

親が殺された原因は、将棋の戦いの争いで、相手は異常に早指し将棋が上手い浪人とされ、成田も実は早指し将棋であることと結びつく。

この将棋の争いから仇討ちになるというのは、伊藤大輔の『下郎の首』と同じだなと思う。

また、実は岩崎加根子の夫を殺したのは座頭市なのに、互いに交情を交わすというのも、長谷川伸の「沓掛時次郎だな」と気づく。

要は、娯楽映画の様々なテクニックが凝縮されて使われているのである。

市は風呂で、丸井太郎が殺された池から子供が拾って来た釣りの浮きを手に入れ、成田が犯人であり、仇だと気付く。

そして、戸浦らが宿に来たので、勝新を促して岩崎は旅に出ると、成田も付いてきて、二人は歩きながら将棋を指す。

もちろん、口先だけの勝負であり、最後の王手というところで、成田は鼻をかく癖を出し、勝新は「勝った!」と杖を抜き、二人の戦になる。

そこに山本・林も駆けつけて来て、仇を討つ。

最後、戸浦六宏らを片付け、岩崎の思いを知りながら、勝新は箱根の山を去ってゆく。

十国峠だろうか、遠く富士山が見える。

座頭市の中でも、最初の同じ三隅研二の『座頭市物語』、井上昭監督の『二段斬り』と並ぶ傑作だろう。

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