指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『稀代のヒットメーカー 筒美京平』

2011年05月31日 | 音楽
NHKBSで、筒美京平の特番があった。
デビューから、近年まで証言や記録は、以前に出たCD集『HITSTORY』に沿ったものだが、よく描いていた。
だが、当然だが、この番組の作者たちは、筒美京平が出てきたときの意味、私たち聞き手が受けた衝撃は分かっていないと思った。
映像が、「紅白歌合戦」等のテレビ番組であり、多数の曲を紹介するので仕方がないのだが、曲のイントロが省略されているのが大いに不満だった。

なぜなら、私たちが1967年の秋に、筒美の曲を聞いて、最初に驚いたのが、そのイントロの豪華さ、劇的な構成、洒落たアレンジの工夫だったからだ。
例えば、最初のヒット作ビレッジ・シンガーズの『バラ色の雲』、さらに弘田三枝子の『渚の噂』、前者では分厚いストリングスが、後者でも弦のスタッカートにフルートが付けられていた。
それは、まるで蜷川幸雄の劇が、いつも幕開きで見る者の目を引き付けてしまうように、曲の持つドラマを集約し、「いつたい何が起きるのか」とわくわくさせた。
多分、初期の筒美では、この『バラ色の雲』『渚の噂』、そして西田佐知子の『くれないホテル』が最高だと思う。

そして、多分私たちが、彼の曲に感動した一番の理由は、「ガキ向け、若者、子供への音楽を、真面目に工夫し真剣にやっている大人が、日本にもいる」ことを知ったことだ。
それは、東京ディズニー・ランドとも似ている。

本質的に白人文化で、黒人を排除している東京ディズニー・ランドは、好きになれない。
だが、妻と子に連れられて行き、大変感動したのは、園の運営を職員が真剣にやっている姿だった。
従来の日本の遊園地は、ほとんどが「子供だまし」で、悪く言えば「子供相手なのだから、この程度でよいだろう」と言うように、適当にやっていたと思う。
昔々、二子玉川遊園地の開園すぐに、母親にせがんで連れてもらったことがあるが、多くの人気遊戯がほとんど動いていないと言う、いい加減な状態だった。

だが、東京ディズニー・ランドは、当然だが、遊園地運営も、ビジネスであり、きちんとやるべきだとの態度には感服に値する。
筒美京平の音楽のすごさも、西欧のジャズ、ポピュラー音楽の精髄を、どのように日本のポピュラー音楽に適用していくのか、という真剣な苦闘の結果にある。


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